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本田宗一郎に歯向かった男…。
飛行中年
(2024/12/25 18:57:24)
本田宗一郎に歯向かった男…。 (2015/3/24 22:16:30)
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本田宗一郎に歯向かった男…。 (2015/3/24 22:16:30)
先日、某テレビ局の鳥人間番組製作スタッフから連絡があった。
「毎年審査員として参加されていた坂田さんが、今年は辞退されます。」と…。
縁あって、数年前から私は鳥人間大会のお手伝いをさせていただいているが、坂田さんはその仕事の中でとてもお世話になった方だ。
琵琶湖の鳥人間大会では機体の数が多いため、いつも二班にわかれて飛行前に機体の審査をしているのであるが、坂田さんはいつも私がいる班
で長をされている方だった。
実を言うとこの坂田さん、あの本田宗一郎に唯一歯向かった伝説の技術者であったことに私が気付いたのは、恥ずかしながら昨年のことであっ
たのである…。
ホンダが四輪車を製造するようになってから数年後、アメリカで厳しい排ガス規制が敷かれ、どの自動車メーカーもこの厳しい排ガス規制をク
リアしようと躍起になっていた。
ホンダもそんな排ガス規制をクリアする車の開発に力を入れ、新しい燃焼方式「CVCC」を使った新型車を開発しようとしていた。
その時本田宗一郎は、「何が何でもアメリカの自動車メーカーに勝て!」と、激を飛ばしていたという。
そんな宗一郎に疑問をもち、「自動車とは人にやさしく社会の役に立つことを最優先に考えるべきではないのか…。」
この考えを宗一郎にぶつけた技術者がいた。
それが私が鳥人間でお世話になっていた坂田さんだったのである。
宗一郎はその言葉に返す言葉が見つからず、結局CVCC方式が採用された「シビック」が発売になると、自分はすでに会社にいてはいけない人間
と悟り、自ら社長を退いたそうである。
このあざやかな交代劇は、後々伝説となっていたので私でも知っていた。
坂田さんはその後もホンダで第一線を走り続け、後にご自分の一番の夢であった国産の飛行機「ホンダジェット」を作り上げることになった。
で、その当の本人である坂田さんがはどんな方であったかというと…。
とにかく無駄なことは口にせず、もくもくと仕事をこなす方だったが、いつもできる限りの資料データを手にして、細かなことでも逐次メモを
とる方だった。
鳥人間の現地の会場ではいつも真夏の炎天下の厳しい状況なので、御高齢の坂田さんに負担をかけぬように私なりに気づかいながら機体の検査
を進めていたが、昨年はとうとう坂田さんが熱中症となり仕事がこなせなくなってしまったのである。
「ご迷惑をおかけしました。」と言い残して、坂田さんはその日のうちに会場を後にされた。
そんな出来事があったから坂田さんは今年は辞退されたんだと思う。
おそらくこれを最後に坂田さんは鳥人間からも引退されるであろう…。
鳥人間は某テレビ局の一番組にしか過ぎない。
しかし、この番組をきっかけにおおくの優れた技術者が育っていった事実は、世間ではあまり知られていない。
鳥人間をきっかけに、多くの若者が極限設計を学び、その経験が後の仕事で生かされているからである。
有名な話だが、宇宙飛行士の若田光一さんも学生時代は鳥人間に没頭している。
この番組製作に携わることになり、多くの審査員の方たちと交流を持つようになったが、皆さんの仕事振りはいつも本気そのもの…。
それは一番組を製作しようとするもの以上に、日本の将来を担えるような優秀な技術者を育ててやろうと意気込んでいることが私にはよく分か
る。
航空産業については、いつも二の足を踏んでいた日本から、世界を驚かせるような飛行機を作ることができる技術者を作る上げたいのである。
坂田さんが去った今、その意思を残った私たちが引き継いでいかなければならないのであるが、私など坂田さんの足元にも及ばない人間…。
でも、そんな私でも何かできることはある筈なので、これからはそれを考えながら前に進んでいくしかないであろう。
「毎年審査員として参加されていた坂田さんが、今年は辞退されます。」と…。
縁あって、数年前から私は鳥人間大会のお手伝いをさせていただいているが、坂田さんはその仕事の中でとてもお世話になった方だ。
琵琶湖の鳥人間大会では機体の数が多いため、いつも二班にわかれて飛行前に機体の審査をしているのであるが、坂田さんはいつも私がいる班
で長をされている方だった。
実を言うとこの坂田さん、あの本田宗一郎に唯一歯向かった伝説の技術者であったことに私が気付いたのは、恥ずかしながら昨年のことであっ
たのである…。
ホンダが四輪車を製造するようになってから数年後、アメリカで厳しい排ガス規制が敷かれ、どの自動車メーカーもこの厳しい排ガス規制をク
リアしようと躍起になっていた。
ホンダもそんな排ガス規制をクリアする車の開発に力を入れ、新しい燃焼方式「CVCC」を使った新型車を開発しようとしていた。
その時本田宗一郎は、「何が何でもアメリカの自動車メーカーに勝て!」と、激を飛ばしていたという。
そんな宗一郎に疑問をもち、「自動車とは人にやさしく社会の役に立つことを最優先に考えるべきではないのか…。」
この考えを宗一郎にぶつけた技術者がいた。
それが私が鳥人間でお世話になっていた坂田さんだったのである。
宗一郎はその言葉に返す言葉が見つからず、結局CVCC方式が採用された「シビック」が発売になると、自分はすでに会社にいてはいけない人間
と悟り、自ら社長を退いたそうである。
このあざやかな交代劇は、後々伝説となっていたので私でも知っていた。
坂田さんはその後もホンダで第一線を走り続け、後にご自分の一番の夢であった国産の飛行機「ホンダジェット」を作り上げることになった。
で、その当の本人である坂田さんがはどんな方であったかというと…。
とにかく無駄なことは口にせず、もくもくと仕事をこなす方だったが、いつもできる限りの資料データを手にして、細かなことでも逐次メモを
とる方だった。
鳥人間の現地の会場ではいつも真夏の炎天下の厳しい状況なので、御高齢の坂田さんに負担をかけぬように私なりに気づかいながら機体の検査
を進めていたが、昨年はとうとう坂田さんが熱中症となり仕事がこなせなくなってしまったのである。
「ご迷惑をおかけしました。」と言い残して、坂田さんはその日のうちに会場を後にされた。
そんな出来事があったから坂田さんは今年は辞退されたんだと思う。
おそらくこれを最後に坂田さんは鳥人間からも引退されるであろう…。
鳥人間は某テレビ局の一番組にしか過ぎない。
しかし、この番組をきっかけにおおくの優れた技術者が育っていった事実は、世間ではあまり知られていない。
鳥人間をきっかけに、多くの若者が極限設計を学び、その経験が後の仕事で生かされているからである。
有名な話だが、宇宙飛行士の若田光一さんも学生時代は鳥人間に没頭している。
この番組製作に携わることになり、多くの審査員の方たちと交流を持つようになったが、皆さんの仕事振りはいつも本気そのもの…。
それは一番組を製作しようとするもの以上に、日本の将来を担えるような優秀な技術者を育ててやろうと意気込んでいることが私にはよく分か
る。
航空産業については、いつも二の足を踏んでいた日本から、世界を驚かせるような飛行機を作ることができる技術者を作る上げたいのである。
坂田さんが去った今、その意思を残った私たちが引き継いでいかなければならないのであるが、私など坂田さんの足元にも及ばない人間…。
でも、そんな私でも何かできることはある筈なので、これからはそれを考えながら前に進んでいくしかないであろう。
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