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link 飛行中年 飛行中年 (2024/5/20 21:18:27)

feed 大川小学校…。 (2016/11/9 9:15:42)
先日、以前よりどうしても訪れたかったところへ行ってきました。

その場所は…。

大川小学校です。



このブログでご紹介しようと写真を撮りましたが…。

ごめんなさい。もうこの場所でつらくなり、これ以上は写真が撮れませんでした。



大川小学校。

東日本大震災にて、全校生徒108人中7割の74人が亡くなった小学校です。

この場所に訪れてみると、平日にもかかわらず何人かの方たちが、やはり、私と同じように手を合わせに訪れられていました。


実際、この場所に来てみると、いかにあの震災の津波が凄まじかったかが良くわかります。

めちゃめちゃに壊れた窓や壁…。そして、私が一番驚いたのは、二階どうしをつなぐ鉄筋コンクリート製の渡り廊下があっけなくな

ぎ倒されていたことでした。

こんなもの、ダンプでぶつかってもそうそう倒れることはないのではないでしょうか?

いかにあの津波が凄まじかったかをうかがうことが出来ます。


そもそも、なぜあのような悲劇が起こってしまったのでしょうか?

調べてみたのですが…。

実は、石巻市が出した津波浸水予想図では、大川小学校までは津波が来ないことになっていたのです。

そして、津波に襲われたはずの大川小学校自体が、避難所として指定されていたようです。

そのため、そこにいた方たちはそこを「安全な場所」と思い込んでいたのではないでしょうか?

ちなみに上に紹介した津波浸水予想図は、先の昭和の三陸津波を参考に作られたものだったようです。

しかし、実際には、東日本大震災時はその津波の規模の大きさが想定外だったため、まったく間違った情報図になってしまったのです。

私は現地に行って、地形を見てみたのですが…。

まず、海岸の形状が津波が河口に集まり津波の増幅が起こる形状であったこと、

海から4キロも離れた大川小学校ではありましたが、海抜高度はそれほど高くなく、海面の高さとそれほど変わらない位置にあった…。

そんなことから、津波に対しては十分警戒すべき場所だったように思えます。

つまり、市が出した津波のハザードマップそのものが甘かったのではないか?そう思えてならないのです。

このことについて、これから私たちはじっくり考えていかなければいけないと思います。

そもそも、それまで津波とは実際にはどのようなものか?その性質が正確に理解されていなかったのではないでしょうか?


今回の東日本大震災は、二つの地震がほぼ同時に起こった「複合地震」です。

そのような、複数の地震が同時に起こった場合、単発の地震よりも津波が大きくなることが、今回の東日本大震災で分かりました。

まさか、そんな大きな津波が来るなんて…。それが予想が出来なかったことが、東日本大震災の被害を大きくしてしまったと言える

と思います。


私は思うのですが、もっと過去に起こった災害を正確に調べ上げることが、今回の大川小学校のような悲劇を防ぐための第一歩にな

るのではないか?と、言いたいのです

たとえば、鎌倉大仏の本殿…。

現在はありませんが、建設当時はちゃんとありました。

しかし、これ、津波で流されているのです。

鎌倉幕府が設立したのは約800年前…。それから現在までの間にとんでもない大津波があったのです。

そして、鎌倉の海岸線の形を見てみると、大仏がある丁度海側に「稲村ケ崎」があり、津波が増幅して大きくなる危険地域であるこ

とがわかります。

しかし、ずっと津波の増幅現象は知られないままになっており、それがはっきり分かったのが北海道の奥尻島での津波

ででした。

岬近くの集落が、津波の増幅現象でほとんどのみこまれてしまったのです。

この出来事が起こって、ようやく津波の増幅現象の研究が進められるようになりました。

しかし、鎌倉大仏の出来事が歴史の中にあったわけですから、もっと早くその現象を知るべきだったように私には思えるのです。

今回起こった東日本大震災についても、昭和の三陸津波の情報だけでなく、更にさかのぼって過去の津波の形跡を調査していれば、

その規模を予測し、より正確なハザードマップが作成できていたんじゃないか?そして、大川小学校の子供たちを救うことができていたんじゃ

ないか?そう思えてならないのです…。















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