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feed 「名物顧問(吉田勝三)」 (2011/4/18 18:30:11)
02800af8.jpg <プロフィール>

 吉田勝三(かつぞう)。大正11年10月6日、京都市生まれ。道内航空界、そして現在では道内エアースポーツ界で知らぬ者のいない名物教官。日本国内、空からみる地名に知らぬところ無しの感。航空機全般に関する経験の豊富さに教え子としても頭が下がる。
 中学時代は水泳の選手。高校では外野を守って甲子園まで出場。そして慶応大学では航空部。戦争中は特攻隊として出撃を待つ日が続く。果たして終戦。飛行機を取り上げられた陸の河童はまだ22才の若者だった。
 昭和25年の朝鮮戦争勃発と警察予備隊の創設。29年の自衛隊の創設で、にわかに飛ぶための環境が整った。同年12月、新設なった自衛隊幹部学校入隊で空の生活が再開。教官生活が始まった。昭和30年の陸上自衛隊航空学校(明野)を皮切りに操縦教官生活を開始。昭和35年には札幌に転勤。そして37年には再び明野のヘリ学校で半年間の訓練。以来、丘珠駐屯地のヘリコプター隊の隊長として自衛隊に籍をおきながら、同じ丘珠空港で民間人の滑空機の操縦指導。昔は、丘珠飛行場の中でグライダーが飛び、その合間を縫ってYS-11が離発着していたということらしい。昭和47年4月には自衛隊を辞し、宮崎の航空大学校で教官として固定翼を教える。その年7月には新設なった航空大学校帯広分校に配属。ここを最後に昭和56年定年退官。
 現役民間旅客機パイロットには氏の教え子も多数。この間教えた空のひよこ達は現在では民間旅客機のキャプテンとなり、昔を懐かしむようにジャンボの機長らがモーターグライダー搭乗を体験す。その後札幌西区富岡に住居を構えた。

 興が入って特攻訓練の様を話す氏の顔は、ときに20代の青年に帰り誰もが手に汗握ること必至。氏の固定翼機の飛行時間は約9,000時間。自衛隊時代のヘリ搭乗時間は約2,000時間。そして滑空機は約2,000時間。総飛行時間は13,000時間に達する。なんとバルーン(気球)以外の航空関係ライセンスを全て所持する猛者。訓練ではジャンボ機での操縦を経ながらフィリピンまで行ったこともあるそうな。
 エアロスポーツ北海道の創設者であり、現在は同クラブの二人の教官の指導をサポートしながら、顧問の立場でクラブ運営を見守っている。
 しかし、近年体調を崩し、クラブ室へはときどき現れるにとどまっている。

 航空大学校を退官した後、請われて北海道新聞の市民講座「航空教室」の講師となり航空のすそ野を拡げることに腐心された。操縦技量、ツボを心得た操縦指導の上手さは天下一品の無形文化財。
昭和60年には、エアロスポーツ北海道を主宰。オールプラスティックの西ドイツ製モーターグライダー(グローブG109B機)を全国でもいち早く導入した。

 一時は毎日札幌から滝川へ車で通勤し、グライダー曳航機をも担当。今でもグライダーを切り離した後の着陸は模型飛行機を操るがごとしの超美技として有名。平成9年3月に引退。
 飛行機以外にも氏のスポーツ来歴は多彩。操縦指導と並行してスキーを教え、昭和35年から札幌スキー連盟に席を置くスキー指導員として、冬場は手稲山ハイランドスキー場で教え、夏場は毎早朝のジョギングで体力保持を欠かさなかった。

 フライトでは、安全面の指導にはすこぶる厳しく、派手なテクニックよりも確実な操作に対して評価が高い。このことがエアロスポーツ北海道飛行の気分/伝統となっている。これまで放った吉田語録は数知れず。
「エアロスポーツ北海道」の発展の母、いや父か。

<飛行経歴等>

・昭和17年4月 学生航空連盟 初級(プライマリー)滑空機 東京 6ヶ月
・昭和18年1月 学生航空連盟 中級滑空機 東京 6ヶ月
・昭和19年6月 海軍 93式陸中練 築城 6ヶ月
・昭和19年12月 海軍 96式陸上攻撃機  豊橋 6ヶ月
・昭和20年5月 海軍 1式陸上攻撃機 美幌 1ヶ月
・昭和20年6月 海軍 99式艦上爆撃機 百里 1ヶ月
・昭和20年7月 海軍 特攻機 三沢 2ヶ月
・昭和20年8月 海軍 (終戦) 三沢 -
・昭和30年1月 陸自航空学校教官 セスナ パイパー、連絡機、明野 5ヶ年
・昭和35年4月 陸自 ベル47G、2HU1B、滑空機H23C 札幌12ヶ年
・昭和47年4月 運輸省航大教官 ビーチ、エアロスバル 帯広 9ヶ年
・昭和56年3月 航空協会 曳航機 札幌/滝川 6ヶ年
・昭和60年6月 エアロスポーツ北海道 動力滑空機G109B 札幌 14ヶ年

 <教え子らが腕前披露 大空から吉田先生の喜寿を祝福)>

 道内のスカイスポーツ界の草分けパイロットの吉田勝三さん(78)=札幌市手稲区=の喜寿を祝う祈念フライトが「航空の日」の20日,札幌市東区の丘珠空港で行われた。あいにく体調を崩した吉田さん自身は飛行しなかったが,教え子たちがモーターグライダーで次々とおおぞらを舞い,日ごろの指導の成果を恩師に披露した。
 道内にはモーターグライダーなどのスカイスポーツクラブが札幌,滝川など約10カ所あり,約千人が楽しんでいる。吉田さんはそのほとんどの設立や指導にかかわり,普及に力を注いできた。
 旧海軍パイロットだった吉田さんは戦後,陸上自衛隊を経て,帯広の航空大学校で教えていたが,1981年春に「大空を舞う楽しさを多くの人に伝えたい」と,定年を2年残し退職。自費でグライダーを買い,道内各地でクラブの設立や操縦指導なそをしてきた。85年には丘珠空港を拠点に活動するクラブ「エアロスポーツ北海道」を設立。会員は現在,約50人に増えた。
 グライダーの魅力について吉田さんは「ふんわりとした風との一体感がたまらない」と話し,99歳の白寿まで飛ぶのが次の目標という。
 19日には市内のホテルで記念パーティも開かれ,航空会社の現役パイロットら約50人が,喜寿を迎えても現役で活躍する恩師を盛大に祝った。(1998(H10).9.21北海道新聞(夕刊)より転載)

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