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どんな形の飛行機でも飛ぶんです! その17
飛行中年
(2024/12/25 18:57:24)
どんな形の飛行機でも飛ぶんです! その17 (2017/7/1 18:54:48)
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どんな形の飛行機でも飛ぶんです! その17 (2017/7/1 18:54:48)
皆さんもよく知るライト兄弟の飛行機。実は、とんでもなく操縦が難しい飛行機だったってご存知でした?今回はそんなお話です。
ライト兄弟の飛行機は写真を見ても分かるように、水平尾翼が前にある先尾翼という、現在はあまり一般的ではない形式でした。
なぜこの形式をライト兄弟が選んだのか?
それについては、私はよく分からないのですが…。
もともと先尾翼の飛行機というものは、あんまり安定が良くないものなんです。
それは、重心位置よりも前に水平尾翼がある関係上、抵抗になるものが前にあることにより、結果的にその飛行が不安定になりがちになってしまうんです。
そして、何よりも、ライト兄弟の飛行機には致命的な欠陥があったんです。
それは…。
水平尾翼が全部舵として動く、今で言う「フライングテール」という形式だったことです。
この、水平尾翼が全部動くフライングテールという形式。その角度の管理が難しく、基本的には水平尾翼としてしっかりと固定されていないと、とてもピッチの安定を取ることが出来ないものなのです。
基本的には、飛行機は主翼と尾翼の取り付け角の関係が、このブログで何度もご紹介しているように
この関係がないと、ピッチの安定がとれません。
フライングテールの機体の場合も、基本的にはこの関係を保っていないと、飛行機は安定して飛ぶことが出来ないんです。
で…。
ライト兄弟の飛行機をもう一度よく見てみると…。
水平尾翼は、特に決まったポジィションに固定されているわけでもなく、単純に人が持つ操縦桿に直結されているだけだったのです。
これでは水平飛行が安定して行えるはずがありません。
更に…。
ライト兄弟が最初に作った飛行機は、水平尾翼の面積、そして、重心位置からの距離がとても少なく(この両者の積が飛行機のピッチの安定性を決める水平尾翼容積という特別な言い方をする)、もともととてもピッチの安定が悪
いシロモノだったのです。
本来ならば…。
水平尾翼全体が動くフライングテールにするのではなく、安定板をある程度設けた、一般的な飛行機が採用している形式にすべきだったと思います。
余談ですが、鳥人間大会の出場機を審査する書類選考会では、このフライングテールを採用している機体は、その機体の水平尾翼が、電気的に動く、しっかりとしたサーボで、頑丈に固定されてでもしていない限り、単純に
ワイヤーなどで操縦桿に直結されている機体では、ピッチの安定がとれず、その飛行に危険があるものと判断され、大きな減点対象になっています。
でも…。
それでも…。
ライト兄弟の飛行機は見事に飛ぶことが出来ました。
これは、ライト兄弟が人一倍その飛行を訓練し、神業的なピッチコントロールの技術を習得することに成功していたことに他ならないからなんです。
正直、ライト兄弟が最初に飛ばした飛行機は、ちょっとその飛行には問題があったのですが、彼らは操縦の努力でそれを補って見事に飛んでしまったのです。
こんなことはあり得ないことですが…。
もし、私がライト兄弟の最初の飛行に立ち会ったとして…。
そして、もし、私が彼らの飛行機に乗ることになったとしたら…。
おそらく、次のような改造をしたでしょう。
それは…。
まずパイロットの位置を彼らが決めた位置よりも少し前に変更、つまり、重心位置を前に変更し、そして、水平尾翼を大きめの取り付け角に設定して、完全に固定してしまったと思います。
このほうが、かえってピッチの安定が出て飛びやすくなったと思います。
水平尾翼が完全に固定されても、もともとピッチは不安定な機体であったため、前後の体重移動だけで十分コントロールは出来たと思います。
…。
…。
なんだかんだと大先輩のライト兄弟の揚げ足取りのようなことを書いてしまいましたが…。
翼をねじってバンクをかけ、世界で初めて安定した飛行機の旋回を成功させたことは、後々の飛行機の発展に大きな功績を、ライト兄弟は残したことは間違いありません。
このアイデアは、やはり、彼らの本業が「自転車屋さん」だったからに他ならないと私は思います。
自転車はバンクをかけなければ曲がりません。
ライト兄弟は、鳥の飛行を観察しているうちに、鳥が旋回している時は、自転車と同じようにバンクをかけている事実に、自転車屋さんだったからこそ気づくことが出来たのだと思います。
ライト兄弟は、飛行機を飛ばした後は、その特許権がなかなか認められず、苦労しながら細々と飛行機や飛行機のエンジンを作る会社を立ち上げて、少ない収入を得る生活を続けることとなります。
そして、あまりパッとしない人生を過ごすことになるのですが…。
実は、先ごろ日本に導入が決まった最新鋭戦闘機のF35。
この飛行機を作ったロッキード・マーチン社という会社は、その歴史をたどっていくと、驚くことに、このときライト兄弟が起こした会社に行きつくのです。
そういった意味でも、ライト兄弟が残した功績は、やはり大きなものであったと言えます。
こんな航空界の歴史の中で、ライト兄弟よりも先に、同じアメリカで、飛行機の安定した飛行を成功させていた人物がいたことはあまり知られていません。
次回はその人物をご紹介いたしましょう!
ライト兄弟の飛行機は写真を見ても分かるように、水平尾翼が前にある先尾翼という、現在はあまり一般的ではない形式でした。
なぜこの形式をライト兄弟が選んだのか?
それについては、私はよく分からないのですが…。
もともと先尾翼の飛行機というものは、あんまり安定が良くないものなんです。
それは、重心位置よりも前に水平尾翼がある関係上、抵抗になるものが前にあることにより、結果的にその飛行が不安定になりがちになってしまうんです。
そして、何よりも、ライト兄弟の飛行機には致命的な欠陥があったんです。
それは…。
水平尾翼が全部舵として動く、今で言う「フライングテール」という形式だったことです。
この、水平尾翼が全部動くフライングテールという形式。その角度の管理が難しく、基本的には水平尾翼としてしっかりと固定されていないと、とてもピッチの安定を取ることが出来ないものなのです。
基本的には、飛行機は主翼と尾翼の取り付け角の関係が、このブログで何度もご紹介しているように
この関係がないと、ピッチの安定がとれません。
フライングテールの機体の場合も、基本的にはこの関係を保っていないと、飛行機は安定して飛ぶことが出来ないんです。
で…。
ライト兄弟の飛行機をもう一度よく見てみると…。
水平尾翼は、特に決まったポジィションに固定されているわけでもなく、単純に人が持つ操縦桿に直結されているだけだったのです。
これでは水平飛行が安定して行えるはずがありません。
更に…。
ライト兄弟が最初に作った飛行機は、水平尾翼の面積、そして、重心位置からの距離がとても少なく(この両者の積が飛行機のピッチの安定性を決める水平尾翼容積という特別な言い方をする)、もともととてもピッチの安定が悪
いシロモノだったのです。
本来ならば…。
水平尾翼全体が動くフライングテールにするのではなく、安定板をある程度設けた、一般的な飛行機が採用している形式にすべきだったと思います。
余談ですが、鳥人間大会の出場機を審査する書類選考会では、このフライングテールを採用している機体は、その機体の水平尾翼が、電気的に動く、しっかりとしたサーボで、頑丈に固定されてでもしていない限り、単純に
ワイヤーなどで操縦桿に直結されている機体では、ピッチの安定がとれず、その飛行に危険があるものと判断され、大きな減点対象になっています。
でも…。
それでも…。
ライト兄弟の飛行機は見事に飛ぶことが出来ました。
これは、ライト兄弟が人一倍その飛行を訓練し、神業的なピッチコントロールの技術を習得することに成功していたことに他ならないからなんです。
正直、ライト兄弟が最初に飛ばした飛行機は、ちょっとその飛行には問題があったのですが、彼らは操縦の努力でそれを補って見事に飛んでしまったのです。
こんなことはあり得ないことですが…。
もし、私がライト兄弟の最初の飛行に立ち会ったとして…。
そして、もし、私が彼らの飛行機に乗ることになったとしたら…。
おそらく、次のような改造をしたでしょう。
それは…。
まずパイロットの位置を彼らが決めた位置よりも少し前に変更、つまり、重心位置を前に変更し、そして、水平尾翼を大きめの取り付け角に設定して、完全に固定してしまったと思います。
このほうが、かえってピッチの安定が出て飛びやすくなったと思います。
水平尾翼が完全に固定されても、もともとピッチは不安定な機体であったため、前後の体重移動だけで十分コントロールは出来たと思います。
…。
…。
なんだかんだと大先輩のライト兄弟の揚げ足取りのようなことを書いてしまいましたが…。
翼をねじってバンクをかけ、世界で初めて安定した飛行機の旋回を成功させたことは、後々の飛行機の発展に大きな功績を、ライト兄弟は残したことは間違いありません。
このアイデアは、やはり、彼らの本業が「自転車屋さん」だったからに他ならないと私は思います。
自転車はバンクをかけなければ曲がりません。
ライト兄弟は、鳥の飛行を観察しているうちに、鳥が旋回している時は、自転車と同じようにバンクをかけている事実に、自転車屋さんだったからこそ気づくことが出来たのだと思います。
ライト兄弟は、飛行機を飛ばした後は、その特許権がなかなか認められず、苦労しながら細々と飛行機や飛行機のエンジンを作る会社を立ち上げて、少ない収入を得る生活を続けることとなります。
そして、あまりパッとしない人生を過ごすことになるのですが…。
実は、先ごろ日本に導入が決まった最新鋭戦闘機のF35。
この飛行機を作ったロッキード・マーチン社という会社は、その歴史をたどっていくと、驚くことに、このときライト兄弟が起こした会社に行きつくのです。
そういった意味でも、ライト兄弟が残した功績は、やはり大きなものであったと言えます。
こんな航空界の歴史の中で、ライト兄弟よりも先に、同じアメリカで、飛行機の安定した飛行を成功させていた人物がいたことはあまり知られていません。
次回はその人物をご紹介いたしましょう!
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