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link 飛丸日記 飛丸日記 (2024/12/25 18:57:24)

feed <TMC日記 2月16日> 「親父を超えた日」 (2018/2/28 20:13:51)
180216 本社工場 

1)お通夜・葬儀とその後始末。
2)遺産の整理、相続の話し合い。
3)会社運営の体制確立。
4)取引先回り。

忙しい日々を過ごしながらも順調にやるべきことを進めて行く。
これも何より「個人保証」をする必要がないお陰である。
「町工場の継承」を行う場合、この「個人保証の引継ぎ」が最大のネックであろう。
初代社長の親父、二代目の兄貴、三代目の親父に感謝、感謝。

とは言え、他に問題がないわけではない。
人に言えない大きな問題を抱えていたりするものだ。
㈱トミハラでも、とてつもない大きさの問題が一つ。
成程、「町工場の経営者」とは、それだけリスクの高い仕事である。

親父が数年掛かりで取り組み、問題解決を図っていた案件。
冨原家最大の懸念材料。
葬儀の後始末や会社の引継ぎを行いながら、最大の力を割いて問題解決にあたっていた。

物事を進めるにあたり「Manageableか否か」が一つの基準になる。
多分、これもハンググライダーから得た教訓の一つである。
「Manageable」と判断した案件は 人に任せてお願いする。
「Manageableでない案件」には、自ら担当し、全力を注いでその解決にあたる。
冨原流経営術その一。
その正に「Manageableでない案件」がそこにあった。

「商社マンの全力投球」
とは言え、最近の私の交渉術は以前とは様変わり。
如何に、より自分に有利な条件を獲得するか、ではなく、
関係者間で最も理想となる形を見出し、そこに近づける努力をすること。
誠心誠意。
これは「青臭い、綺麗ごと」ではない。
商社マン暦30年から得た教訓。
実はこれが自分にとって、最も有利な方法である。

ふとブルネイで、やり残してきた交渉を思い出す。
「1000回以上に及ぶ交渉経験からの判断では、ここは譲歩すべきである。」
交渉先は既に相手ではなく、仲間内の説得に当たっていた。

とは言え、これからは伊藤忠の看板がない立場での交渉が必要となる。
そもそも自分が前面に立つのではなく、全て生産のプロである工場長以下にお任せ。
さて、どうしたものか。・・・ここは已む無し。
一連の面談ではこの機会を利用してお客さんの皆さんに「置石」をしてきた。
「どうしたら 値上げは受け入れて頂けるのでしょうか?」
採算分析が出来ていないが、初対面の方に先ずは値上げ要請である。

さて、最大の懸念材料。
幾度となく面談を繰り返す。外堀を埋める。
全力を注ぎ込んだ努力の結果、それが「Manageable」な状態に変わった。
その瞬間、お袋もそこに同席していた。
終わってから一言。
「すごいじゃない。お父さんも出来なかったことを、あなたはやり遂げたじゃない。」

「2018年2月16日 親父を超えた日」
世の中で一番尊敬している親父。
お袋からもらったその一言。
間違いなく自分史に残る日となった。

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