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feed <TMC日記 1月30日> 「冨原家 サバイバル・プラン」 (2018/3/2 20:58:42)
111113  旧第一工場

パソコンの画面の右下に現れるメイルの「ホップ・アップ」機能。
私は大の苦手。できるだけ見ないようにしている。
2011年11月。自宅で仕事中に「お兄さんが亡くなった」と突然表示された。
暫くは怖くて本文を開けられなかった。
今回も自宅で「容態急変」の「ホップ・アップ」
どうしたらこの機能を止められるのだろう。

兄貴急逝の一報を受け、数時間後には機中に。
ドバイからの帰路。兄貴が亡くなった悲しみもひとしおだったが、
冷静に考えて、「担うべき重責」は正に晴天の霹靂だった。

嫁さんと義母、娘息子の4人に加えて親父お袋兄貴家族6人、計10人。
「お前は次男だから好きにやって良い。でも遺産相続はないから」
小さい頃から当たり前のこととして育てられてきた。
そこに兄貴が亡くなり、状況一変。
一気に10人の扶養家族。

帰国して葬儀を終えて、一段落してから親父に提案。
「私の給与が○○、自宅を担保に借りられるお金が総額○○。
 4人の子供たちが巣立つまでは、とりあえず何とかなる。
 会社は閉めるしかないだろう。」
「ここまで考えてくれてありがとう。
でも、会社は続ける。何とかするから心配するな。」
兄貴に社長を譲って、既に引退していた親父。
「なんとかなる訳ないだろう。
なんとかなってないから兄貴が過労でなくなったんだから。
兎に角閉めよう。俺は従業員とは話したこともないし、
その雇用責任までは負えない。優先順位ははっきりしている。」
「従業員にも生活はあるし、そういう訳にはいかない。」
私より遥かに頑固な親父。こうなったら結論は見えている。

それから初めて会社の決算書を見る。売上高を知る。
伊藤忠で得た経験で、ある程度の経営分析はできたが、
弔事休暇の限られた時間では流石に手が終えない。
頼りになったのは兄貴のパソコンの中にあった経営分析。
商売の見通し等のデータを解読する。

改めて親父と話し合う。
一番大きな、そして儲かっていない商売を止め、
定年を過ぎても働いている方には辞めてもらい・・・。
とりあえずは縮小均衡。その後、改めて再検討。
具体的な作業は親父に託して、本業に戻る。

2015年4月岡山県大佐への「夢のクロスカントリー・ツアー」
途中、実家に立ち寄る。
「会社を継ぐことを考えてくれないか」
親父からの思わぬ一言。
丁度ツアーには、人生を語り合えるMさんが参加。
道中、ずっと話し合う。
気軽なサラリーマン生活から一変。
2015年4月14日
思えばこれが始まりだった。

(写真は苦手なパソコンに写した、もとあった旧工場)

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