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<飛丸日記 2月21 日> 「最後の夢」
飛丸日記
(2024/12/25 18:57:24)
<飛丸日記 2月21 日> 「最後の夢」 (2018/3/13 0:32:51)
ここまで赤裸々に内情を語って良いのか。
サポーターの方々と、その是非を議論。
良し悪し判断つけ難し。
とは言え既に、社員の皆さんには「飛丸日記」の存在を知らせている。
「ええぃ。考えても仕方がない。」
既に実行済み。物事決めたら、前に進むだけ。
「反省は良い、でも後悔はいけない」
等と聖人君子を気取っても、実際には後悔することばかり。
ハング・グライダーではより顕著である。
真剣に戦い、勝敗を競うと、自分の良かった点、失敗した点が浮き彫りになる。
繰り返される失敗。後悔の連続。
こういう時はどうするか。
気分転換するしかない。
因みに私は自称「勉強学の大家」である。
どうやったら楽に勉強ができるようになるか。
劣った才能は、テクニックで補うしかない。
頭を使う効率を如何に高めるか。
「頭が良くなる勉強法」等などといった本は 山ほど読んだ。
10冊、20冊。いや30冊。
どれも書いてあることは似たようなもの。
一冊の中で得られる新しい事はほんの一つや二つ。
偶に書いてある「成る程なあ」
長時間勉強の合間の休憩は、殆ど効果はないという。
頭を休めるのに、全く違う科目、課題をやるのと変わらないらしい。
英語など、記憶ものの後には数学など、考える科目をする等。
そうすれば、頭の効率はそんなに落ちないとのこと。
ふーん。「成る程なあ」
まあ、そもそも本なんて、大した事はない。
商社マンになってわかった事。
「本や新聞に書いてあることは、時代遅れのこと、間違ったことが非常に多い。」
実際にある商品を扱っていると、正に生きた情報が入ってくる。いや、自分がそれを作り出す。
値段の上がり下がり、需給バランスの変化等など。
新聞の経済欄、商品欄に記載される内容は、もう遥か昔の陳腐な情報ばかりだ。
既に下がり始めた商品。にも関わらず「高騰中です。」とか。
まあ、確かに新聞記者さんがメーカーさんに取材したら、
余程、値下がりが顕著にならない限りは、「下がってます。」等とは
言わないものである。
ハング界の名言、いや、正確に言うと、(鈴木さんのお言葉)
「信じるものは騙される」
これは嫌らしい意味に取れるが、実際には
「世界選手権を何連覇もしたハング界の巨人 トーマスの名言」
「Think More」と同じである。
様は 「もっと考えろ」と。
目の前に見えること、教わったことを鵜呑みにして、
それが正しいと思って動くな。
何故そうなるのか。本当にそうなのか。何か自分の常識と比べておかしいことはないか。
徹底的に考えて、それから動け。
その為には 先ず「自分の常識を磨け。」
様々な経験を積み、実践を重ねるよ。
但し、経験がない方を侮ってはならない。
優秀な方は、その豊かな想像力で、経験者を凌駕する。
とは言え、それは非常に稀なケース。
凡人は、兎に角、経験あるべし。
様々な経験を積み、考え、それを次に役立たせる。
人生において、それが大事である。
―――
今回、三度目、最後の全社員総会。
二時間半掛けてのプレゼンテーション。
昼飯を含めて14時半まで。
最初のパートは伊藤忠中近東会社、社長就任時のプレゼン資料を流用。
計27枚。
英語であったこと。ハンググライダー中心の話であり、
冗談にしか思われなかったこと、等々の理由かな。
殆ど誰もこの前半パートは聞いていなかった。
と言う事で、ブログを読んで頂いている筈の社員の皆さん。
「最後の夢」と題して、プレゼン資料を改めて説明します。
因みに昨日アップした「最後の課題」とこの「最後の夢」
この二つはマニラ空港ではなく、3月10日、11日に、
もともとの「最後の課題」から分けて加筆修正しました。
3月10日。息子の進学の選択枝が固まり、さてこれからどうするか。
「情報は提供はする。後は自分で考えよ。」
と急遽書き加えたのが昨日の話。
タイミングの良さにびっくり。
今日は、先程ベットの中で、これを書こうと思いつく。
ということで、この話は、思いっきり長いです。
ここまで読んで来て頂いている方、お時間がなければ・・・飽きない様に・・・
この話はスキップが正解かも。
一連の話の流れとは関係ありません。
―――
さて………
「冨原淳」とは一体どういう人物なのか?
これから社員の皆さんと一緒にやって行く中で、
また「遠隔経営」でコミュニケーションが取りにくい中、
先ずは私の自己紹介を改めてしなければ。
イチゴを一緒に食べただけでは、誰もついて来てくれない。
作り上げた「遠隔経営」システムの説明の前に、先ず自己紹介をしなければ。
そしてこの変わった人物。
取扱説明書代わりに、自己紹介のプレゼンが必要である。
とは言え、資料を作る時間がない。
そう言えば、同様の思いで作った資料があった。
「良し、それを活用しよう。」
初めてのドバイ駐在、いや、初めてのドバイ訪問。
伊藤忠中近東会社社長。突然の辞令。
全く見知らぬ社員達。
数十人いるこの会社。どうやってこの会社に入り込もうか。
また社長として何をすべきか。
社長になるのは二回目。でも、前回とは勝手が違う。
社長就任前から、会社に深く関わっていた中国の化学品工場。
買収前、伊藤忠で始めて商売を作り、訪問し、足繁く通う。それから7年。
原料の取扱についてはアジアNo.1の経験と実績、実力があると自負していた。
「興宝国際工業」
その時の赴任とは、全く勝手が違う。
「ゆりかごから墓場まで」と言われる総合商社の取扱品目。その中近東支社。
入社以来担当の化学品のみならず繊維、食料、金属、エネルギー、建機、自動車・・・。
初めての業界ばかり。
例によって直前まで別件でバタバタ。
機上の人となり、初めて、今後の策を考える。
さて、どうしたものかなあ。先ずは自己紹介、かな。
自分を相手にわかってもらう。先ずは第一歩である。
―――
写真一枚目。
かくてこのプレゼンが作られる。
「Who is Mr. Tomihara?」(トミハラって誰?)
「CEO(最高経営責任者)に就任していきなり、私を信じて、とは言えません。」
「先ずは私を理解して下さい。」
「私には5つの夢があります。高校時代に立てたもの。」
「① 空を飛びたい。」
「② 家族を持ちたい。」
「③ 物理を勉強したい。」
「④ 何かで日本一になり、日本代表になりたい。」
「⑤ 五つ目の夢は、恥ずかしいので内緒です。」
「その後、ハンググライダーを始め、結婚して娘息子が出来、大学で物理を学び、
日本記録を達成し、フランスのハング・グライダー世界選手権に出場しました。」
「五つの夢のうち、4つは既に達成。」
「現在は五つ目の夢を追い掛けてます。」
「その夢の実現の為にも、最近の私のテーマ、
最適化社会創出への貢献(Contribution to create optimum society)]
をこの地でやりたいんです。
それはこの会社の目的、利益とも一致します。」
「自分の夢の追求、自分のやりたい事とここでの仕事は一致している。
だから私は幾らでも頑張れます。」
「私はかなり変わった人間です。」
「常に考えていること、行動基準は夢の実現」
「人格形成にあたっては、伊藤忠でのビジネス経験に加えて、
ハング・グライダーがかなり影響しています。」
「私を理解して頂くためには、先ずはハング・グライダーがどういったものか
皆さんに理解してもらう必要があります。」
―――
写真二枚目。
「これが私のハング・グライダー」
写真三枚目。
ここは、この時に飛び出した場所。天竜スーパー林道。
「飛び出す前に大事なことは、状況を良く観察すること。」
写真四枚目。
目的地は菊川町。私の生まれ育った町。
「その時、その時の条件の中で達成可能な適切な目標を設定し、
どうやったらそれが実現できるか、計画を立てる。」
写真五枚目。
「一度飛び出したら、もう途中で後戻りはできない。
常に努力を続け、より高く、そして前に進むこと。」
写真六枚目。
「時に大きな困難に見舞われ、目標を見失いそうになる時もあるが、
目標も持ち続け、状況の変化を見極める。
PDCA(計画・実行・反省・改善)サイクルを回し続けること。」
「ビジネスにおいては、Game Changerになれ。
新しいことを主導して、自分の土俵で戦え。」
「① 状況を観察、理解、把握に努める。」
「② 全体にとって何が最適かを考える。」
「③ その中で自分が担うべき役割を考える。」
「④ 価値創造できれば、結果的に利益を生み出すことが出来る。」
改めて一枚目の写真。
これは、火剣山を越え、実家上空に至ろうとしている時のもの。
私の宝物の写真。
2009年5月9日に達成しました。
写真七枚目。
降りた場所。実家がある本社工場の直ぐ近くです。
大学に入学し、ハンググライダー部に入り、ある程度飛べる様になりました。
そこで「空を飛ぶこと」という夢を明確に「達成した」と言えるように
目標を定めました。
「空を飛ぼうと思い立った火剣山、そして実家の上を飛ぶこと」
1985年、最初のトライ。
それから60回目のトライ。
練習を始めてから26年掛かって、この夢は実現しました。
写真八枚目。
その時の飛行コース。
天竜川から大井川に東進、そこから南下して、
八高山、粟が岳、火剣山を経由して、吉沢に至る。
1987年にハング・グライダーの日本記録(172km)を達成した私。
このフライトは直線で僅か50kmですが、間違いなく超難関コースです。
飛び出す為に東風を待つ。結果、向かい風の中を東進する。
時間が遅くなると、午後には南風の海風が強くなる。
それを避ける為、日照がまだ少なく、条件が悪い朝方に飛び出さないといけない。
向かい風の南風がまだ弱いうちに、できるだけ早く大井川沿いを下る。
そして最後は強風の向かい風を押して、火剣山を経由して、実家上空に至る。
火剣山には何度も到達できましたが、そこからはまた10年以上掛かりました。
緊急着陸場に実家2km手前を設定。そのままそこに降りた事もありました。
天気が良い日を見定めて、わざわざ前日に埼玉から静岡入りしての挑戦です。
写真九枚目。
何故、60回目にして目標が達成できたか、という自己分析。
飛び出す場所は、より安全確実な場所を求めて、結果的にどんどん遠のきました。
そして安全に降りられる場所を、綿密に探し、現場の下見をしました。
「何事にも安全第一」
「現場訪問の重要さ」
必ず達成する、という強い意思を持ち続け、
どうしたら達成できるか、論理的に考え続け、準備をし、試行錯誤を繰り返す。
またこの達成には、55回フライトに付き合ってくれた友達の存在があります。
そして最後の最後は神様の存在。
1987年、就職した直後に決まる静岡空港の建設、開港。
2009年3月、静岡空港開港予定日。
「まあそれまでには十分可能」と最初は思っていましたが中々達成出来ず。
迫り来る開港予定日。焦る私。
その直前には更に足繁く通い、達成を試みましたが、遂には叶わず。断念。
空港の9km 以内は 法律上、飛行禁止区域です。
「世の中の決まりは守る事」
当たり前の話。
そこに飛び込んできた驚きのニュース。
その日も挑戦の為、実家に帰省中でした。
秋のシーズン、開港までの最後のシーズンとして挑み、
叶わなず、打ちひしがれていた2018年10月。
「邪魔になる樹木の伐採問題で、開港が翌年6月まで延期になりました。」
実家でそのTVニュースを見た時の光景は今でも覚えている。
「どなた様か存じませんが、ありがとうございます!」
それからまた何度も通う。
2009年6月4日、静岡空港開港。
もう後一ヶ月しかないというその日、5月9日に「大願成就」
努力を続けていれば
「神様は時々、微笑んでくれる」
はい。粘着気質です。
最後の最後まで諦めない。
いや、ほぼ不可能となってもまだ諦めない。神様の助けを求めて。
この性格、要注意です。お気をつけ下さい。
写真十枚目。
大願成就後、考えた事。
「火剣山はもういい。でももっと、実家の上を見下ろすように飛びたい。」
「良し、9km圏内を迂回して、今度は西側から攻めよう。」
全く違うコースからの、改めて挑戦。
最初の達成までには60回掛かりましたが、今度はなんと、わずか3回目。
2009年10月11日。二度目の夢の達成。
目から鱗。なんだ、この攻め方で良かったのか。
「改善だけでなく、抜本的改革を図り、Game Changerになれ」
写真十一枚目。
この日は浜岡原子力発電所近くにランディング。
「二兎を追わぬものは二兎を得ず」
どこまでも貪欲たれ。
写真十二枚目。
更なる驚きのフライト。
一回目の東進南下コース。二回目の南下東進コース。
理想は最初から目標を目指す直進コース。
2010年3月10日。
今度は二度目の到達から、その次のフライトで目標が達成できました。
「There shall be a better way」(もっと良い方法があるに違いない。)
飽くなき理想の追求。
写真十三枚目。
何時もは降りてからは、鉄道、バス、バイクを使って飛び出したところに戻ります。
「出来るだけ人様には迷惑を掛けない。」
菊川インターの近くに降りたこの日。
この時はわざわざ親父に電話をして、迎えに来てもらいました。
この写真を撮ったのは親父です。
「町の真ん中に降りて、何か問題でも起こしたらどうするんだ。」
ちょっと、苦々しい顔をしていた、この時の親父。
「(次男のお前には相続はないが)お前は好きな事をやれ」
「はい。受けた教育の通り、好きな事を、やらせてもらってます。」
より向上を目指した精進の継続。
「常に全力疾走を続けていれば、いつかそれはジョギングに思えて来る。
そしてもっと速く走れるようになる。」
「精進の量に対して、成果(喜び)は指数関数的に伸びて行く」
―――
最後に残った五番目の秘密の夢。
親父の教育を同様に受けていた兄貴。
この目標達成には兄貴はかなり先行していた。
ほぼゴールに近かった。
「尊敬する人 二番目の人 兄貴」
この目標を負い掛ける事は、兄貴を追い掛けることかもしれない。
亡くなった人は、決して抜き去ることは出来ないのだが。
自分がやりたいことと、自分がやること、やるべきことをうまく一致させること。
幸福である為の一つのテクニック。
異端児理由の更なる自己分析、「ハンググライダー」
あまり人には言えないが、危険なのは否定できない。
死を意識したこともある。それも何度も。
死を意識して迎える毎日は、自ずと対応が変わって来る。
「ハンググライダー」から学んだ事は余りに大きい。
「親父」と「伊藤忠」と「ハンググライダー」
そのハイブリッド、掛け合わせが私である。
社会的責任が大きくなった今、「ハンググライダーを止める様に」のプレッシャーが
高まるのは明らか。
でも、止めない。
出来うる限り、最後まで止めない。
私からハンググライダーを取ったら、一体何が残るのだろうか。
―――
ここまで読んで頂いた皆さん。ありがとうございます。
改めて、これにて今回の件に関する私の書き物は終了。
でも実はまだ4部も未投稿原稿があります。
「永遠の課題 その1」
「永遠の課題 その2」
「Task Completed ! (やり遂げた!)」
「神様の悪戯」
『「サラリーマン遠隔経営」はじまり』
とでも題すべきこのブログ。
いつの間にか副題は
「私の尊敬する三人の人物」
となりました。
―――
この実質最終話を書いているのは、3月11日早朝。
某M社の客先用ご寝室。
外では飲めないブルネイの地。昨晩、友人宅で乾杯。
昨日もゴルフ、今日もゴルフ。
何かと比較されるM社とI社。
ブルネイの地でも、両社を代表してゴルフ対決。
日本から戻って5回目の休日。そして5回目のゴルフ。
今日現在、40勝33敗9分。
今のところ、何とか勝ち越し状態。
「精進の量に対して、成果(喜び)は指数関数的に伸びて行く」
更なる高みを求めて。
商社対決。
「負けないぞー」
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<飛丸日記 2月21 日> 「最後の夢」 (2018/3/13 0:32:51)
ここまで赤裸々に内情を語って良いのか。
サポーターの方々と、その是非を議論。
良し悪し判断つけ難し。
とは言え既に、社員の皆さんには「飛丸日記」の存在を知らせている。
「ええぃ。考えても仕方がない。」
既に実行済み。物事決めたら、前に進むだけ。
「反省は良い、でも後悔はいけない」
等と聖人君子を気取っても、実際には後悔することばかり。
ハング・グライダーではより顕著である。
真剣に戦い、勝敗を競うと、自分の良かった点、失敗した点が浮き彫りになる。
繰り返される失敗。後悔の連続。
こういう時はどうするか。
気分転換するしかない。
因みに私は自称「勉強学の大家」である。
どうやったら楽に勉強ができるようになるか。
劣った才能は、テクニックで補うしかない。
頭を使う効率を如何に高めるか。
「頭が良くなる勉強法」等などといった本は 山ほど読んだ。
10冊、20冊。いや30冊。
どれも書いてあることは似たようなもの。
一冊の中で得られる新しい事はほんの一つや二つ。
偶に書いてある「成る程なあ」
長時間勉強の合間の休憩は、殆ど効果はないという。
頭を休めるのに、全く違う科目、課題をやるのと変わらないらしい。
英語など、記憶ものの後には数学など、考える科目をする等。
そうすれば、頭の効率はそんなに落ちないとのこと。
ふーん。「成る程なあ」
まあ、そもそも本なんて、大した事はない。
商社マンになってわかった事。
「本や新聞に書いてあることは、時代遅れのこと、間違ったことが非常に多い。」
実際にある商品を扱っていると、正に生きた情報が入ってくる。いや、自分がそれを作り出す。
値段の上がり下がり、需給バランスの変化等など。
新聞の経済欄、商品欄に記載される内容は、もう遥か昔の陳腐な情報ばかりだ。
既に下がり始めた商品。にも関わらず「高騰中です。」とか。
まあ、確かに新聞記者さんがメーカーさんに取材したら、
余程、値下がりが顕著にならない限りは、「下がってます。」等とは
言わないものである。
ハング界の名言、いや、正確に言うと、(鈴木さんのお言葉)
「信じるものは騙される」
これは嫌らしい意味に取れるが、実際には
「世界選手権を何連覇もしたハング界の巨人 トーマスの名言」
「Think More」と同じである。
様は 「もっと考えろ」と。
目の前に見えること、教わったことを鵜呑みにして、
それが正しいと思って動くな。
何故そうなるのか。本当にそうなのか。何か自分の常識と比べておかしいことはないか。
徹底的に考えて、それから動け。
その為には 先ず「自分の常識を磨け。」
様々な経験を積み、実践を重ねるよ。
但し、経験がない方を侮ってはならない。
優秀な方は、その豊かな想像力で、経験者を凌駕する。
とは言え、それは非常に稀なケース。
凡人は、兎に角、経験あるべし。
様々な経験を積み、考え、それを次に役立たせる。
人生において、それが大事である。
―――
今回、三度目、最後の全社員総会。
二時間半掛けてのプレゼンテーション。
昼飯を含めて14時半まで。
最初のパートは伊藤忠中近東会社、社長就任時のプレゼン資料を流用。
計27枚。
英語であったこと。ハンググライダー中心の話であり、
冗談にしか思われなかったこと、等々の理由かな。
殆ど誰もこの前半パートは聞いていなかった。
と言う事で、ブログを読んで頂いている筈の社員の皆さん。
「最後の夢」と題して、プレゼン資料を改めて説明します。
因みに昨日アップした「最後の課題」とこの「最後の夢」
この二つはマニラ空港ではなく、3月10日、11日に、
もともとの「最後の課題」から分けて加筆修正しました。
3月10日。息子の進学の選択枝が固まり、さてこれからどうするか。
「情報は提供はする。後は自分で考えよ。」
と急遽書き加えたのが昨日の話。
タイミングの良さにびっくり。
今日は、先程ベットの中で、これを書こうと思いつく。
ということで、この話は、思いっきり長いです。
ここまで読んで来て頂いている方、お時間がなければ・・・飽きない様に・・・
この話はスキップが正解かも。
一連の話の流れとは関係ありません。
―――
さて………
「冨原淳」とは一体どういう人物なのか?
これから社員の皆さんと一緒にやって行く中で、
また「遠隔経営」でコミュニケーションが取りにくい中、
先ずは私の自己紹介を改めてしなければ。
イチゴを一緒に食べただけでは、誰もついて来てくれない。
作り上げた「遠隔経営」システムの説明の前に、先ず自己紹介をしなければ。
そしてこの変わった人物。
取扱説明書代わりに、自己紹介のプレゼンが必要である。
とは言え、資料を作る時間がない。
そう言えば、同様の思いで作った資料があった。
「良し、それを活用しよう。」
初めてのドバイ駐在、いや、初めてのドバイ訪問。
伊藤忠中近東会社社長。突然の辞令。
全く見知らぬ社員達。
数十人いるこの会社。どうやってこの会社に入り込もうか。
また社長として何をすべきか。
社長になるのは二回目。でも、前回とは勝手が違う。
社長就任前から、会社に深く関わっていた中国の化学品工場。
買収前、伊藤忠で始めて商売を作り、訪問し、足繁く通う。それから7年。
原料の取扱についてはアジアNo.1の経験と実績、実力があると自負していた。
「興宝国際工業」
その時の赴任とは、全く勝手が違う。
「ゆりかごから墓場まで」と言われる総合商社の取扱品目。その中近東支社。
入社以来担当の化学品のみならず繊維、食料、金属、エネルギー、建機、自動車・・・。
初めての業界ばかり。
例によって直前まで別件でバタバタ。
機上の人となり、初めて、今後の策を考える。
さて、どうしたものかなあ。先ずは自己紹介、かな。
自分を相手にわかってもらう。先ずは第一歩である。
―――
写真一枚目。
かくてこのプレゼンが作られる。
「Who is Mr. Tomihara?」(トミハラって誰?)
「CEO(最高経営責任者)に就任していきなり、私を信じて、とは言えません。」
「先ずは私を理解して下さい。」
「私には5つの夢があります。高校時代に立てたもの。」
「① 空を飛びたい。」
「② 家族を持ちたい。」
「③ 物理を勉強したい。」
「④ 何かで日本一になり、日本代表になりたい。」
「⑤ 五つ目の夢は、恥ずかしいので内緒です。」
「その後、ハンググライダーを始め、結婚して娘息子が出来、大学で物理を学び、
日本記録を達成し、フランスのハング・グライダー世界選手権に出場しました。」
「五つの夢のうち、4つは既に達成。」
「現在は五つ目の夢を追い掛けてます。」
「その夢の実現の為にも、最近の私のテーマ、
最適化社会創出への貢献(Contribution to create optimum society)]
をこの地でやりたいんです。
それはこの会社の目的、利益とも一致します。」
「自分の夢の追求、自分のやりたい事とここでの仕事は一致している。
だから私は幾らでも頑張れます。」
「私はかなり変わった人間です。」
「常に考えていること、行動基準は夢の実現」
「人格形成にあたっては、伊藤忠でのビジネス経験に加えて、
ハング・グライダーがかなり影響しています。」
「私を理解して頂くためには、先ずはハング・グライダーがどういったものか
皆さんに理解してもらう必要があります。」
―――
写真二枚目。
「これが私のハング・グライダー」
写真三枚目。
ここは、この時に飛び出した場所。天竜スーパー林道。
「飛び出す前に大事なことは、状況を良く観察すること。」
写真四枚目。
目的地は菊川町。私の生まれ育った町。
「その時、その時の条件の中で達成可能な適切な目標を設定し、
どうやったらそれが実現できるか、計画を立てる。」
写真五枚目。
「一度飛び出したら、もう途中で後戻りはできない。
常に努力を続け、より高く、そして前に進むこと。」
写真六枚目。
「時に大きな困難に見舞われ、目標を見失いそうになる時もあるが、
目標も持ち続け、状況の変化を見極める。
PDCA(計画・実行・反省・改善)サイクルを回し続けること。」
「ビジネスにおいては、Game Changerになれ。
新しいことを主導して、自分の土俵で戦え。」
「① 状況を観察、理解、把握に努める。」
「② 全体にとって何が最適かを考える。」
「③ その中で自分が担うべき役割を考える。」
「④ 価値創造できれば、結果的に利益を生み出すことが出来る。」
改めて一枚目の写真。
これは、火剣山を越え、実家上空に至ろうとしている時のもの。
私の宝物の写真。
2009年5月9日に達成しました。
写真七枚目。
降りた場所。実家がある本社工場の直ぐ近くです。
大学に入学し、ハンググライダー部に入り、ある程度飛べる様になりました。
そこで「空を飛ぶこと」という夢を明確に「達成した」と言えるように
目標を定めました。
「空を飛ぼうと思い立った火剣山、そして実家の上を飛ぶこと」
1985年、最初のトライ。
それから60回目のトライ。
練習を始めてから26年掛かって、この夢は実現しました。
写真八枚目。
その時の飛行コース。
天竜川から大井川に東進、そこから南下して、
八高山、粟が岳、火剣山を経由して、吉沢に至る。
1987年にハング・グライダーの日本記録(172km)を達成した私。
このフライトは直線で僅か50kmですが、間違いなく超難関コースです。
飛び出す為に東風を待つ。結果、向かい風の中を東進する。
時間が遅くなると、午後には南風の海風が強くなる。
それを避ける為、日照がまだ少なく、条件が悪い朝方に飛び出さないといけない。
向かい風の南風がまだ弱いうちに、できるだけ早く大井川沿いを下る。
そして最後は強風の向かい風を押して、火剣山を経由して、実家上空に至る。
火剣山には何度も到達できましたが、そこからはまた10年以上掛かりました。
緊急着陸場に実家2km手前を設定。そのままそこに降りた事もありました。
天気が良い日を見定めて、わざわざ前日に埼玉から静岡入りしての挑戦です。
写真九枚目。
何故、60回目にして目標が達成できたか、という自己分析。
飛び出す場所は、より安全確実な場所を求めて、結果的にどんどん遠のきました。
そして安全に降りられる場所を、綿密に探し、現場の下見をしました。
「何事にも安全第一」
「現場訪問の重要さ」
必ず達成する、という強い意思を持ち続け、
どうしたら達成できるか、論理的に考え続け、準備をし、試行錯誤を繰り返す。
またこの達成には、55回フライトに付き合ってくれた友達の存在があります。
そして最後の最後は神様の存在。
1987年、就職した直後に決まる静岡空港の建設、開港。
2009年3月、静岡空港開港予定日。
「まあそれまでには十分可能」と最初は思っていましたが中々達成出来ず。
迫り来る開港予定日。焦る私。
その直前には更に足繁く通い、達成を試みましたが、遂には叶わず。断念。
空港の9km 以内は 法律上、飛行禁止区域です。
「世の中の決まりは守る事」
当たり前の話。
そこに飛び込んできた驚きのニュース。
その日も挑戦の為、実家に帰省中でした。
秋のシーズン、開港までの最後のシーズンとして挑み、
叶わなず、打ちひしがれていた2018年10月。
「邪魔になる樹木の伐採問題で、開港が翌年6月まで延期になりました。」
実家でそのTVニュースを見た時の光景は今でも覚えている。
「どなた様か存じませんが、ありがとうございます!」
それからまた何度も通う。
2009年6月4日、静岡空港開港。
もう後一ヶ月しかないというその日、5月9日に「大願成就」
努力を続けていれば
「神様は時々、微笑んでくれる」
はい。粘着気質です。
最後の最後まで諦めない。
いや、ほぼ不可能となってもまだ諦めない。神様の助けを求めて。
この性格、要注意です。お気をつけ下さい。
写真十枚目。
大願成就後、考えた事。
「火剣山はもういい。でももっと、実家の上を見下ろすように飛びたい。」
「良し、9km圏内を迂回して、今度は西側から攻めよう。」
全く違うコースからの、改めて挑戦。
最初の達成までには60回掛かりましたが、今度はなんと、わずか3回目。
2009年10月11日。二度目の夢の達成。
目から鱗。なんだ、この攻め方で良かったのか。
「改善だけでなく、抜本的改革を図り、Game Changerになれ」
写真十一枚目。
この日は浜岡原子力発電所近くにランディング。
「二兎を追わぬものは二兎を得ず」
どこまでも貪欲たれ。
写真十二枚目。
更なる驚きのフライト。
一回目の東進南下コース。二回目の南下東進コース。
理想は最初から目標を目指す直進コース。
2010年3月10日。
今度は二度目の到達から、その次のフライトで目標が達成できました。
「There shall be a better way」(もっと良い方法があるに違いない。)
飽くなき理想の追求。
写真十三枚目。
何時もは降りてからは、鉄道、バス、バイクを使って飛び出したところに戻ります。
「出来るだけ人様には迷惑を掛けない。」
菊川インターの近くに降りたこの日。
この時はわざわざ親父に電話をして、迎えに来てもらいました。
この写真を撮ったのは親父です。
「町の真ん中に降りて、何か問題でも起こしたらどうするんだ。」
ちょっと、苦々しい顔をしていた、この時の親父。
「(次男のお前には相続はないが)お前は好きな事をやれ」
「はい。受けた教育の通り、好きな事を、やらせてもらってます。」
より向上を目指した精進の継続。
「常に全力疾走を続けていれば、いつかそれはジョギングに思えて来る。
そしてもっと速く走れるようになる。」
「精進の量に対して、成果(喜び)は指数関数的に伸びて行く」
―――
最後に残った五番目の秘密の夢。
親父の教育を同様に受けていた兄貴。
この目標達成には兄貴はかなり先行していた。
ほぼゴールに近かった。
「尊敬する人 二番目の人 兄貴」
この目標を負い掛ける事は、兄貴を追い掛けることかもしれない。
亡くなった人は、決して抜き去ることは出来ないのだが。
自分がやりたいことと、自分がやること、やるべきことをうまく一致させること。
幸福である為の一つのテクニック。
異端児理由の更なる自己分析、「ハンググライダー」
あまり人には言えないが、危険なのは否定できない。
死を意識したこともある。それも何度も。
死を意識して迎える毎日は、自ずと対応が変わって来る。
「ハンググライダー」から学んだ事は余りに大きい。
「親父」と「伊藤忠」と「ハンググライダー」
そのハイブリッド、掛け合わせが私である。
社会的責任が大きくなった今、「ハンググライダーを止める様に」のプレッシャーが
高まるのは明らか。
でも、止めない。
出来うる限り、最後まで止めない。
私からハンググライダーを取ったら、一体何が残るのだろうか。
―――
ここまで読んで頂いた皆さん。ありがとうございます。
改めて、これにて今回の件に関する私の書き物は終了。
でも実はまだ4部も未投稿原稿があります。
「永遠の課題 その1」
「永遠の課題 その2」
「Task Completed ! (やり遂げた!)」
「神様の悪戯」
『「サラリーマン遠隔経営」はじまり』
とでも題すべきこのブログ。
いつの間にか副題は
「私の尊敬する三人の人物」
となりました。
―――
この実質最終話を書いているのは、3月11日早朝。
某M社の客先用ご寝室。
外では飲めないブルネイの地。昨晩、友人宅で乾杯。
昨日もゴルフ、今日もゴルフ。
何かと比較されるM社とI社。
ブルネイの地でも、両社を代表してゴルフ対決。
日本から戻って5回目の休日。そして5回目のゴルフ。
今日現在、40勝33敗9分。
今のところ、何とか勝ち越し状態。
「精進の量に対して、成果(喜び)は指数関数的に伸びて行く」
更なる高みを求めて。
商社対決。
「負けないぞー」
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