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<飛丸日記 2月24日> 「永遠の課題」その2
飛丸日記
(2024/10/31 8:42:30)
<飛丸日記 2月24日> 「永遠の課題」その2 (2018/3/14 13:49:08)
伊藤忠中近東会社、社長就任時のプレゼンの続き。
そして、先日の最後の全社員総会でのプレゼンの続き。
写真一枚目。
初商売から、買収、全ての原料納入、工場勤務、社長、そして撤退と、
12年に亘って携わって来た中国・広東省の化学品工場。
写真二枚目。
2003年、「立て直した!」と思い、やるべきことをやった達成感、満足感の中、離任。
2007年、改めて担当になった時、如何ともし難い経営不振状態にあった。
私の4代後の社長として赴任していた、友人でもある同期とタッグを組んで、
「次世代に負の遺産を残さない」
という強い意志の下、売却先を探し、交渉。
損失を最小限に収める、また売却後リストラで会社が縮小する中、
従業員の転職先の確保に最大限努力する。
その後、売却したイタリアの会社は、市場占有の為、上海に工場を建てる。
そして我が愛すべきこの工場を、意図的に廃棄した。
驚くべき戦略である。
残務処理の為に、再度訪問。
そこにあったのは、私が気合を入れて育んで来た会社の、見る影もない姿。
酷い。酷すぎる。
二度とこれを繰り返してはならない。
写真三枚目。
散り散りになったものの、当時の部下の結婚式で、仲間が香港に参集。
絆は続く。
私の「宝物の写真」
そしてFB仲間として、その関係は今も続く。
(皆さん、無断掲載ごめんなさい)
これだよなあ、私のやりたい事は。
写真4枚目。
(これはプレゼン資料ではありませんが)
2003年、中国、香港から帰任後、2007年まで、29 回訪問。
合弁契約、土地契約、原料購入契約等々、立ち上げの全てに携わったブルネイの会社。
その後2015年1月赴任。現在に至る。
2017年4月1日 親父お袋をブルネイに呼び、会社の前で記念写真。
「人生の晴れ舞台」
http://tobimaru888.blog.fc2.com/blog-entry-231.html
「空を飛ぶこと。家族を持つこと。物理を学ぶこと。日本の代表になること。」
「そし最後の夢」
「チーム・ワークはより大きな夢を実現させることができる。」
「単に私を理解して下さい、というだけでなく、私はこう言いたい。
これから一緒に夢の実現の為に、私のチームに加わって下さい。」
以上、自己紹介のプレゼンテーション、終わり。
そう言えば、このプレゼン、気のおけないブルネイの会社の幹部社員にも
見せて熱く語っている。
それどころか、最近は、取引先銀行の重役さんやら交渉相手にさえ、
会食の席などを利用して熱く語っている。
①自分は何をやりたいのか、明確にする。
②やりたい事を説明し、説得し、賛同してくれる仲間を集う。
それは、同じ会社、友人だけでなく、場合により交渉相手も同様である。
「Optimum Operation in Collaboration」
最近の私の交渉時の決まり文句。
「皆で協力して、ブルネイにおけるガス利用の最適化体制を構築しよう!」
ブルネイ政府のお役人、時に大臣まで。
そしてガス購入先、直接取引のないガス供給会社、ガス購入会社、時に社長さんまで。
様々な会社を訪問し、この「錦の御旗」を掲げ、賛同を求める。
交渉とは、
①置かれている環境を観察し、
②何が一番良いかを考え、皆で議論して理想像を作り上げ
③そこに自分の存在が必要であれば、その機能を果すこと。
④結果的に、自分の機能、創出した付加価値に見合う利益(Benefit)が得られる。
そういうものである。
自分の利益に繋がらなければ、それはそれで仕方がない。
いや、やりたい事は「最適化社会創出への貢献」
理想像を語り合うこと。
出来れば創造的な解決策「Creative Solution」を提案すること。
それが出来れば、既に目標達成である。
交渉術や、自分の立場、権威・権力を利用して強引に何かを推し進め、
一時的に自分が有利な立場を確保できたとしても、そんなものは続かない。
私の今までしてきたことが、それを証明している。
続かないこと、それは私がやりたいことではない。
「口先三寸の商社マン」
昨今、業績の好調と共に、給料も上がった。
ちょっとやっかみもあり、かな。
卑下して言われる商社マン。
まあ、出る杭は打たれる。特に日本では。
とは言え「Duty, Management , Creation」
①言われた事だけをやる。
②問題を解決し、物事を成し遂げる。
③新たな世界を創造し、また自ら問題を見つけ、創造的な解決策を提案すること。
世の中で、評価されるべきはこの順番であろう。
給与もそれに順ずるべきだ。
交渉術に長けた人。
それは、交渉のテクニックに長けた人ではない。
「物事を正しく理解・把握し、創造的解決策を見出し、関係者の賛同を得て、それを実現させる人」だ。
商社マンとして、いや、経営者としても、それを目指そう。
―――
3月13日、夜。息子、娘と会話する。
「進路は決めたのか?」「うーん。」
「どう考えているんだ?」「うーん。」
「おーい。私のブログは読んでいないのか?」「ちょっとだけ」
「自分のやりたい事が、わからないんだよなあ。」
「先ず頭の中を整理するため、紙に書いてみなさい。」
「めんどくさい・・・」
「何時までに決めないといけないんだ?」
「16日」
「おーい」
仕方ない。私にできることは限られている。電話越しでは伝えきれない。
一度は終了宣言したこのブログに加筆をしよう。
これ以上長くなると、誰も読んでくれないかもしれない。
話の流れもおかしくなる。
でも、それは仕方がない。
私の中で、優先順位は明確だ。
「なんでブログを通じてしか会話ができないの?」
娘からの文句。
「世の中の理(ことわり)がまだまだわかっとらんなあ。青い。
まあいいや。純真無垢。それはそれで、良いことだ。
4月から社会に出て、また私のブログを最初から読み直して、勉強して下さい。」
という事で、以下、3月14日朝、加筆。
「自分がやりたい事がわからなかったらどうするか」
「決められなかったらどうするか」
それは、「決断を保留にすること」である。
でも、時間はどんどん過ぎていく。
「世の中で唯一平等に与えられているのは時間である」
この時間を無駄にしてはならない。
無駄にしない為にはどうするか。
解決策の一つは
「考えうる全ての選択肢をあげて、それぞれを同時平行で詰める事」である。
それも手を抜かず、答えが明確になってくるまで、全てに全力投球する。
「多分、これだろうから他はいいや」
本当にそうなのか?
経験的に言うと、大抵は最終的に選んだその答えは、当初上げた選択肢のどこにもあてはまらない。
当てはまったとしても、それは更にその後の選択枝まで考えられる等、別の形である。
時間の無駄、徒労等という事は何処にもない。
もう一つの解決策。
「将来、できるだけ多くの選択肢を選べる様に、今は総合力をつけることである」
どうやったらやりたい事が整理できるのか。
「紙に書いて、頭を整理することである」
「To Do List(やることリスト)の前に 先ず Want to do List(やりたいことリスト)」を作れ。
軽重は関係ない。
兎に角思いついたことを書いてみる。特に時間は限らない。
思いついたら何時でも掛けるように、常に「Want To Do List」を用意しておくこと。
何よりこれが一番大事である。
そして日記なり、考えたことを書き出すこと。
そう言えば「生物博士」にご評価頂いた事がある。
確か「トミーがいろいろと話を繰り出せるのは、ブログを書いて、
子供に伝えようとしているからじゃない」と。
そもそも高校生の時、私が何故「五つの夢」を明確にできたのか。
それは日記を書いていたからである。
今もあるその日記。
何月何日、何歳の時に何をどう考えていたのか、明確にわかって面白い。
まあ、高三の息子君。あなたよりは数ヶ月は先行していたかな。
昨年末、帰省した最後の夜。
親父お袋、そして兄貴家族と一緒に食事に出掛けた。
名古屋の大学に進学した兄貴の息子。
流石、教育が行き届いている。
早くに父親を亡くしてしまった彼ら、私が父親代わりに、なんて話はおこがましい。
いや、不可能だ。
唯一私に出来ること。
「この広い世界を語り、人生の面白さを伝えること」
「兄貴ってひどい人なんだよなあ。何時も喧嘩ばかりしていた」
「喧嘩して、親父が来て、拳骨でゴツン、それで終わりである」
「人生で二番目に尊敬している兄貴」恥じらいもあってか、悪口しか出てこない。
「兄貴には喧嘩で何時も負けてばかり。でも中一の時に初めて一回だけ勝ったことがある。」
「それ以来喧嘩はしなくなった。兄貴が手を出さなくなった。」
「私の目標は、今度は私から兄貴に喧嘩を吹っかけて勝つことだった。」
「親父、兄貴、何時か三人でゴルフをして、私が一人勝ち。それをして見たかった。」
「今はもう兄貴はいない。早くゴルフを覚えてくれ。三人で一緒にやろう。
私が打ち負かしてあげる。」
そう語ったあの時の会話。
今はもう親父はいない。
息子に伝えたいこと。
「お前も早く大人になって、ゴルフを覚えてくれ。
そうしたら、三人で一緒にゴルフをしよう。
「大人の威厳」ってものを見せつけてやる。」
兄貴との思いもあって、親父とは帰省した時に何度もゴルフをした。
勝てない。なかなか勝てない。
そこで思いついた秘策。
親父をブルネイに呼び、自分のホーム・グラウンドで勝負しよう。
それなら地の利で勝てる筈。
ブルネイ日記4月2日> 親父、お袋in ブルネイ「勝負はフォーム・グラウンドで」
http://tobimaru888.blog.fc2.com/blog-date-201704-1.html
当時79歳、11番ホールまで同じスコアだった。
私は108歳まで生きる。
88歳までは現役社会生活を送る。
それまでは、そう簡単には負けられない。
以上、今度こそ、終わりかな。
―――
そう言えば今回の帰国期間中、最近ファミリーマートの社長になった
澤田さんの記事を何度も見掛けた。
澤田さんのお陰で業績が更に上向き、丁度メディアに登場する時期か。
ユニクロの社長就任要請を断って退職したという澤田さん。
流石、何処に行っても通用する。
こういう方を「カリスマ経営者」っていうんだろうなあ。
「元伊藤忠商事の澤田さん」、更に言うと、元私と同じ化学品部門のご出身。
思い出す昔話。
「これから化学品部門はどの方向に進んで行くべきか」
休日出勤の若手研鑽の勉強会。
若輩者ながら、立場上、司会役を務めた私。
確か最年長参加者の澤田さん。
議論百出、纏まらぬ議論。いや、私に纏める気はなかった。
「議論は全然纏まらないし、こんなバラバラな状態でこの会社は良いのか」
澤田さんからお叱りのコメント。
「成功の方程式に従って、社員が一丸となって頑張っている会社を知っている。
それは見ていても気持ちがいいものだ。」
生意気な若造な私。一言。
「そんな会社では私は働きたくありません。」
澤田さんが仰っていた会社が 既にユニクロだったのかどうかは、わからない。
確かに「成功の方程式」を作り上げ、画一的な仕事を標準化して、
突き進めば、会社は大きくなる。
一方で、社員それぞれが個性を活かして多様に発展する会社もあるべきだ。
形としては恐らく、どちらも正しいのであろう。
私が目指したいのは「持続発展可能なシステムの構築」
画一的な成功の方程式に基づき拡大成長する・・・日本の杉林より、
「ジャングルの多様性」が好きである・
お気に入りの場所、「ランビル・ヒルズ」
わずか数十ヘクタールの土地に日本と同じだけの1200種類の樹木があるという。
この種の多様性こそが、変化する環境の中で、
対応し存続し続けてきた、最も有効な術の筈である。
過去10年のビジネス分析、過去3年については伝票一件毎の詳細な分析を行った。
驚いたこと。
この数年間だけでも、ビジネスの収益構造は大きく様変わりしている。
創業56年、昔ながらの商売をただひたすらずっと続けていた、とばかり思っていたが
実情は全く違っていた。
「現状維持是即脱落」
経営を担う意思を持って、社員を前に始めて話した時に私が伝えた言葉。
入社の時の、伊藤忠の社長が良く口にしていた言葉である。
言うは安し。実行するのには並大抵の努力では適わない。
親父も良くここまで変化に対応して来たものである。
流石、「私が一番尊敬する人」
何より異端児の私。
多様性が認められない社会では、恐らく存在が許されないだろう。
不遜な物言い。
私の様な異端児を受け入れられないようであれば
大好きな伊藤忠もそこまでだな。
良し、㈱トミハラも、社員さんに高い多様性が認められる会社を目指そう。
改めて考察。
会社は大きければ大きい程良いのか。
今の拡大を前提と出来ない世の中において、規模を求める事が良いとは思えない。
日本一、アジア一、業界一。
伊藤忠の看板があったからこそできたこととは言え、
また商社とメーカーの違いはあるにせよ
ビジネスのツボは分かっているとの自負はある。、
幾つかの会社の建て直しにも成功した。
多分、気合を入れてこの会社に取り組めば、数倍のサイズにはできるだろう。
とは言え出来たとしても、それは一時的である。。
会社を作り、大きくすることより、規模を縮小し、また撤退することの方が
経験的に遥かに大変である。
あの「肩たたき」がどんなにつらかったことか。
「持続発展可能なシステムの構築」
これからの社会、ビジネスの環境の中で、その適正規模とあるべき形は何か。
これもまた「永遠の課題」である。
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<飛丸日記 2月24日> 「永遠の課題」その2 (2018/3/14 13:49:08)
伊藤忠中近東会社、社長就任時のプレゼンの続き。
そして、先日の最後の全社員総会でのプレゼンの続き。
写真一枚目。
初商売から、買収、全ての原料納入、工場勤務、社長、そして撤退と、
12年に亘って携わって来た中国・広東省の化学品工場。
写真二枚目。
2003年、「立て直した!」と思い、やるべきことをやった達成感、満足感の中、離任。
2007年、改めて担当になった時、如何ともし難い経営不振状態にあった。
私の4代後の社長として赴任していた、友人でもある同期とタッグを組んで、
「次世代に負の遺産を残さない」
という強い意志の下、売却先を探し、交渉。
損失を最小限に収める、また売却後リストラで会社が縮小する中、
従業員の転職先の確保に最大限努力する。
その後、売却したイタリアの会社は、市場占有の為、上海に工場を建てる。
そして我が愛すべきこの工場を、意図的に廃棄した。
驚くべき戦略である。
残務処理の為に、再度訪問。
そこにあったのは、私が気合を入れて育んで来た会社の、見る影もない姿。
酷い。酷すぎる。
二度とこれを繰り返してはならない。
写真三枚目。
散り散りになったものの、当時の部下の結婚式で、仲間が香港に参集。
絆は続く。
私の「宝物の写真」
そしてFB仲間として、その関係は今も続く。
(皆さん、無断掲載ごめんなさい)
これだよなあ、私のやりたい事は。
写真4枚目。
(これはプレゼン資料ではありませんが)
2003年、中国、香港から帰任後、2007年まで、29 回訪問。
合弁契約、土地契約、原料購入契約等々、立ち上げの全てに携わったブルネイの会社。
その後2015年1月赴任。現在に至る。
2017年4月1日 親父お袋をブルネイに呼び、会社の前で記念写真。
「人生の晴れ舞台」
http://tobimaru888.blog.fc2.com/blog-entry-231.html
「空を飛ぶこと。家族を持つこと。物理を学ぶこと。日本の代表になること。」
「そし最後の夢」
「チーム・ワークはより大きな夢を実現させることができる。」
「単に私を理解して下さい、というだけでなく、私はこう言いたい。
これから一緒に夢の実現の為に、私のチームに加わって下さい。」
以上、自己紹介のプレゼンテーション、終わり。
そう言えば、このプレゼン、気のおけないブルネイの会社の幹部社員にも
見せて熱く語っている。
それどころか、最近は、取引先銀行の重役さんやら交渉相手にさえ、
会食の席などを利用して熱く語っている。
①自分は何をやりたいのか、明確にする。
②やりたい事を説明し、説得し、賛同してくれる仲間を集う。
それは、同じ会社、友人だけでなく、場合により交渉相手も同様である。
「Optimum Operation in Collaboration」
最近の私の交渉時の決まり文句。
「皆で協力して、ブルネイにおけるガス利用の最適化体制を構築しよう!」
ブルネイ政府のお役人、時に大臣まで。
そしてガス購入先、直接取引のないガス供給会社、ガス購入会社、時に社長さんまで。
様々な会社を訪問し、この「錦の御旗」を掲げ、賛同を求める。
交渉とは、
①置かれている環境を観察し、
②何が一番良いかを考え、皆で議論して理想像を作り上げ
③そこに自分の存在が必要であれば、その機能を果すこと。
④結果的に、自分の機能、創出した付加価値に見合う利益(Benefit)が得られる。
そういうものである。
自分の利益に繋がらなければ、それはそれで仕方がない。
いや、やりたい事は「最適化社会創出への貢献」
理想像を語り合うこと。
出来れば創造的な解決策「Creative Solution」を提案すること。
それが出来れば、既に目標達成である。
交渉術や、自分の立場、権威・権力を利用して強引に何かを推し進め、
一時的に自分が有利な立場を確保できたとしても、そんなものは続かない。
私の今までしてきたことが、それを証明している。
続かないこと、それは私がやりたいことではない。
「口先三寸の商社マン」
昨今、業績の好調と共に、給料も上がった。
ちょっとやっかみもあり、かな。
卑下して言われる商社マン。
まあ、出る杭は打たれる。特に日本では。
とは言え「Duty, Management , Creation」
①言われた事だけをやる。
②問題を解決し、物事を成し遂げる。
③新たな世界を創造し、また自ら問題を見つけ、創造的な解決策を提案すること。
世の中で、評価されるべきはこの順番であろう。
給与もそれに順ずるべきだ。
交渉術に長けた人。
それは、交渉のテクニックに長けた人ではない。
「物事を正しく理解・把握し、創造的解決策を見出し、関係者の賛同を得て、それを実現させる人」だ。
商社マンとして、いや、経営者としても、それを目指そう。
―――
3月13日、夜。息子、娘と会話する。
「進路は決めたのか?」「うーん。」
「どう考えているんだ?」「うーん。」
「おーい。私のブログは読んでいないのか?」「ちょっとだけ」
「自分のやりたい事が、わからないんだよなあ。」
「先ず頭の中を整理するため、紙に書いてみなさい。」
「めんどくさい・・・」
「何時までに決めないといけないんだ?」
「16日」
「おーい」
仕方ない。私にできることは限られている。電話越しでは伝えきれない。
一度は終了宣言したこのブログに加筆をしよう。
これ以上長くなると、誰も読んでくれないかもしれない。
話の流れもおかしくなる。
でも、それは仕方がない。
私の中で、優先順位は明確だ。
「なんでブログを通じてしか会話ができないの?」
娘からの文句。
「世の中の理(ことわり)がまだまだわかっとらんなあ。青い。
まあいいや。純真無垢。それはそれで、良いことだ。
4月から社会に出て、また私のブログを最初から読み直して、勉強して下さい。」
という事で、以下、3月14日朝、加筆。
「自分がやりたい事がわからなかったらどうするか」
「決められなかったらどうするか」
それは、「決断を保留にすること」である。
でも、時間はどんどん過ぎていく。
「世の中で唯一平等に与えられているのは時間である」
この時間を無駄にしてはならない。
無駄にしない為にはどうするか。
解決策の一つは
「考えうる全ての選択肢をあげて、それぞれを同時平行で詰める事」である。
それも手を抜かず、答えが明確になってくるまで、全てに全力投球する。
「多分、これだろうから他はいいや」
本当にそうなのか?
経験的に言うと、大抵は最終的に選んだその答えは、当初上げた選択肢のどこにもあてはまらない。
当てはまったとしても、それは更にその後の選択枝まで考えられる等、別の形である。
時間の無駄、徒労等という事は何処にもない。
もう一つの解決策。
「将来、できるだけ多くの選択肢を選べる様に、今は総合力をつけることである」
どうやったらやりたい事が整理できるのか。
「紙に書いて、頭を整理することである」
「To Do List(やることリスト)の前に 先ず Want to do List(やりたいことリスト)」を作れ。
軽重は関係ない。
兎に角思いついたことを書いてみる。特に時間は限らない。
思いついたら何時でも掛けるように、常に「Want To Do List」を用意しておくこと。
何よりこれが一番大事である。
そして日記なり、考えたことを書き出すこと。
そう言えば「生物博士」にご評価頂いた事がある。
確か「トミーがいろいろと話を繰り出せるのは、ブログを書いて、
子供に伝えようとしているからじゃない」と。
そもそも高校生の時、私が何故「五つの夢」を明確にできたのか。
それは日記を書いていたからである。
今もあるその日記。
何月何日、何歳の時に何をどう考えていたのか、明確にわかって面白い。
まあ、高三の息子君。あなたよりは数ヶ月は先行していたかな。
昨年末、帰省した最後の夜。
親父お袋、そして兄貴家族と一緒に食事に出掛けた。
名古屋の大学に進学した兄貴の息子。
流石、教育が行き届いている。
早くに父親を亡くしてしまった彼ら、私が父親代わりに、なんて話はおこがましい。
いや、不可能だ。
唯一私に出来ること。
「この広い世界を語り、人生の面白さを伝えること」
「兄貴ってひどい人なんだよなあ。何時も喧嘩ばかりしていた」
「喧嘩して、親父が来て、拳骨でゴツン、それで終わりである」
「人生で二番目に尊敬している兄貴」恥じらいもあってか、悪口しか出てこない。
「兄貴には喧嘩で何時も負けてばかり。でも中一の時に初めて一回だけ勝ったことがある。」
「それ以来喧嘩はしなくなった。兄貴が手を出さなくなった。」
「私の目標は、今度は私から兄貴に喧嘩を吹っかけて勝つことだった。」
「親父、兄貴、何時か三人でゴルフをして、私が一人勝ち。それをして見たかった。」
「今はもう兄貴はいない。早くゴルフを覚えてくれ。三人で一緒にやろう。
私が打ち負かしてあげる。」
そう語ったあの時の会話。
今はもう親父はいない。
息子に伝えたいこと。
「お前も早く大人になって、ゴルフを覚えてくれ。
そうしたら、三人で一緒にゴルフをしよう。
「大人の威厳」ってものを見せつけてやる。」
兄貴との思いもあって、親父とは帰省した時に何度もゴルフをした。
勝てない。なかなか勝てない。
そこで思いついた秘策。
親父をブルネイに呼び、自分のホーム・グラウンドで勝負しよう。
それなら地の利で勝てる筈。
ブルネイ日記4月2日> 親父、お袋in ブルネイ「勝負はフォーム・グラウンドで」
http://tobimaru888.blog.fc2.com/blog-date-201704-1.html
当時79歳、11番ホールまで同じスコアだった。
私は108歳まで生きる。
88歳までは現役社会生活を送る。
それまでは、そう簡単には負けられない。
以上、今度こそ、終わりかな。
―――
そう言えば今回の帰国期間中、最近ファミリーマートの社長になった
澤田さんの記事を何度も見掛けた。
澤田さんのお陰で業績が更に上向き、丁度メディアに登場する時期か。
ユニクロの社長就任要請を断って退職したという澤田さん。
流石、何処に行っても通用する。
こういう方を「カリスマ経営者」っていうんだろうなあ。
「元伊藤忠商事の澤田さん」、更に言うと、元私と同じ化学品部門のご出身。
思い出す昔話。
「これから化学品部門はどの方向に進んで行くべきか」
休日出勤の若手研鑽の勉強会。
若輩者ながら、立場上、司会役を務めた私。
確か最年長参加者の澤田さん。
議論百出、纏まらぬ議論。いや、私に纏める気はなかった。
「議論は全然纏まらないし、こんなバラバラな状態でこの会社は良いのか」
澤田さんからお叱りのコメント。
「成功の方程式に従って、社員が一丸となって頑張っている会社を知っている。
それは見ていても気持ちがいいものだ。」
生意気な若造な私。一言。
「そんな会社では私は働きたくありません。」
澤田さんが仰っていた会社が 既にユニクロだったのかどうかは、わからない。
確かに「成功の方程式」を作り上げ、画一的な仕事を標準化して、
突き進めば、会社は大きくなる。
一方で、社員それぞれが個性を活かして多様に発展する会社もあるべきだ。
形としては恐らく、どちらも正しいのであろう。
私が目指したいのは「持続発展可能なシステムの構築」
画一的な成功の方程式に基づき拡大成長する・・・日本の杉林より、
「ジャングルの多様性」が好きである・
お気に入りの場所、「ランビル・ヒルズ」
わずか数十ヘクタールの土地に日本と同じだけの1200種類の樹木があるという。
この種の多様性こそが、変化する環境の中で、
対応し存続し続けてきた、最も有効な術の筈である。
過去10年のビジネス分析、過去3年については伝票一件毎の詳細な分析を行った。
驚いたこと。
この数年間だけでも、ビジネスの収益構造は大きく様変わりしている。
創業56年、昔ながらの商売をただひたすらずっと続けていた、とばかり思っていたが
実情は全く違っていた。
「現状維持是即脱落」
経営を担う意思を持って、社員を前に始めて話した時に私が伝えた言葉。
入社の時の、伊藤忠の社長が良く口にしていた言葉である。
言うは安し。実行するのには並大抵の努力では適わない。
親父も良くここまで変化に対応して来たものである。
流石、「私が一番尊敬する人」
何より異端児の私。
多様性が認められない社会では、恐らく存在が許されないだろう。
不遜な物言い。
私の様な異端児を受け入れられないようであれば
大好きな伊藤忠もそこまでだな。
良し、㈱トミハラも、社員さんに高い多様性が認められる会社を目指そう。
改めて考察。
会社は大きければ大きい程良いのか。
今の拡大を前提と出来ない世の中において、規模を求める事が良いとは思えない。
日本一、アジア一、業界一。
伊藤忠の看板があったからこそできたこととは言え、
また商社とメーカーの違いはあるにせよ
ビジネスのツボは分かっているとの自負はある。、
幾つかの会社の建て直しにも成功した。
多分、気合を入れてこの会社に取り組めば、数倍のサイズにはできるだろう。
とは言え出来たとしても、それは一時的である。。
会社を作り、大きくすることより、規模を縮小し、また撤退することの方が
経験的に遥かに大変である。
あの「肩たたき」がどんなにつらかったことか。
「持続発展可能なシステムの構築」
これからの社会、ビジネスの環境の中で、その適正規模とあるべき形は何か。
これもまた「永遠の課題」である。
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