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<TMC日記 3月17日> 「宴の終わり」
飛丸日記
(2024/10/31 8:42:30)
<TMC日記 3月17日> 「宴の終わり」 (2018/3/19 20:45:43)
日本からブルネイに戻って6回目の休日。
そして6回目のゴルフ。
朝の空いている時間。95KM離れたゴルフ場へ160km走行。
「ハング・グライダーが危ない危ないって、
往復の車の運転の方が、遥かに危険だよなあ。」
独り言。更に、運転中に電話。
先ずは戸田の家へ。
その後、息子には手紙を書き、ブログを読むことを促し、
昨晩は電話で話をした。
「これから直ぐに卒業式に行くところ。話している時間はない。」
相変わらず、息子の進路に心配げな嫁さん。
「昨日電話で話をした。自分で選んだその選択。
私はサポートするよ。それで良いじゃない。」
「最後の課題」は、私の中では解決済みである。
一方で、相変わらずのすれ違い。
電話した丁度その時に、家を出るところだったらしい。
なんと言う「神様の悪戯」か。
これぞ「永遠の課題 その3」である。
次に菊川に電話。
お袋が出る。
「明日の50日祭に向け、準備で忙しい。」
日本の皆さん、皆、大変だ。
強引に引き留めて、会社のことについて話をする。
女性社員の募集を広告しても、中々応募すらこない。
田舎の零細企業。当たり前の話。伊藤忠とは雲泥の差。
それどころか、病気が理由で先週一人辞めることに。
現場は大変である。
とは言え申し訳ありません。
私の出来る事は限られている。
葬儀の日に決めた親父の50日祭の日程。
息子の卒業式と絡めてこの週末に一時帰国を検討した。
金曜の夜に帰国し、来週月曜日を休めば行けないことはない。
考えた末、行かない事にした。
宴(うたげ)というには不適切だろうが、何れにせよ、
それはもうじきに終わる。
『「サラリーマン遠隔経営」って大変ですね。
頑張って下さい。』等と言って頂けるのも今のうち。
人の気持ちは薄れていくもの。
お情けでビジネスは続かない。
早く次の手を打たなければならない。
何より移ろい易い自分自身の気持ち。
「二足のわらじ」を器用に使い、気合を入れ続けることはできない。
流石に心身共に持たない。
「遠隔経営」体制を、一刻も早く作り上げねば。
特に「永遠の課題 その1」人事制度は まだまだ霧の中だ。
私の観察。
「世の中を動かしているのは感情である。」
でも、これは一時的。
「世の中は、やがて理のあるところに向かう。」
同情やら気合やら、移ろい易いもの、無理して踏ん張ったもの。
そうしたものは、続かない。やがて廃れる。
早く仕組みを構築しなければならない。
(因みに 最近、とみに思うこと。
「世の中を最終的に動かしているのは、神様の意思である。」
でも、これに従っているだけでは駄目だ。抗わなければならない。
この話はまた後で。)
先週、ブルネイの会社で行われた四半期に一度の重要な会議。
出張者が持って来てくれたゴルフ雑誌。
そこに書いてある驚くべき技術。
兎に角、やってみよう。
ゴルフ雑誌を片手にコースを回る。
失敗を繰り返しながらも、常に進歩を目指す。大事な事だ。
・・・等というのは、明らかな言い訳。
なんとスコアは118。
恐らくブルネイ最難関コース。今日で3回目。
いや、これも言い訳か。
そう言えば、昨晩、息子に言えなかったエピソードを思い出す。
息子が何時か読んでくれる事を願って、以下記載。
―――
昨年末、帰省した最後の夜。
親父お袋、そして兄貴家族と一緒に食事に出掛けた。
名古屋の大学に進学した兄貴の息子。
流石、教育が行き届いている。
早くに父親を亡くしてしまった彼ら。
私が父親代わりに、なんて話はおこがましい。
いや、不可能だ。
唯一私に出来ること。
「この広い世界を語り、人生の面白さを伝えること」
「兄貴ってひどい人なんだよなあ。何時も喧嘩ばかりしていた。」
「喧嘩して、親父が来て、拳骨でゴツン、それで終わりだった。」
「人生で二番目に尊敬している兄貴」だが、
恥じらいもあってか、悪口しか出てこない。
「兄貴には喧嘩で何時も負けてばかり。
「でも中一の時に初めて一回だけ勝ったことがある。」
「それ以来喧嘩はしなくなった。兄貴が手を出さなくなった。」
「私の目標は、今度は私から兄貴に喧嘩を吹っかけて
勝つことだった。」
「親父、兄貴、何時か三人でゴルフをして、私が一人勝ち。
それをして見たかった。」
「今はもう兄貴はいない。早くゴルフを覚えてくれ。
三人で一緒にやろう。
私が打ち負かしてあげる。」
そう語ったあの時の会話。
今はもう親父もいない。
息子に伝えたいこと。
「お前も早く大人になって、ゴルフを覚えてくれ。
そうしたら、三人で一緒にゴルフをやろう。
「大人の威厳」ってものを見せつけてやる。」
兄貴との思いもあって、親父とは帰省した時に何度もゴルフをした。
勝てない。なかなか勝てない。
そこで思いついた秘策。
親父をブルネイに呼び、自分のホーム・グラウンドで勝負をする。
それなら地の利で勝てる筈。
<ブルネイ日記4月2日> 親父、お袋in ブルネイ
「勝負はフォーム・グラウンドで」
http://tobimaru888.blog.fc2.com/blog-date-201704-1.html
当時79歳の親父。なんと11番ホールで同じスコアだった。
中々勝てない。
私は108歳まで生きる。
88歳までは現役社会生活を送る。
「息子よ、侮る無かれ。そう簡単には負けないぞ。」
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<TMC日記 3月17日> 「宴の終わり」 (2018/3/19 20:45:43)
日本からブルネイに戻って6回目の休日。
そして6回目のゴルフ。
朝の空いている時間。95KM離れたゴルフ場へ160km走行。
「ハング・グライダーが危ない危ないって、
往復の車の運転の方が、遥かに危険だよなあ。」
独り言。更に、運転中に電話。
先ずは戸田の家へ。
その後、息子には手紙を書き、ブログを読むことを促し、
昨晩は電話で話をした。
「これから直ぐに卒業式に行くところ。話している時間はない。」
相変わらず、息子の進路に心配げな嫁さん。
「昨日電話で話をした。自分で選んだその選択。
私はサポートするよ。それで良いじゃない。」
「最後の課題」は、私の中では解決済みである。
一方で、相変わらずのすれ違い。
電話した丁度その時に、家を出るところだったらしい。
なんと言う「神様の悪戯」か。
これぞ「永遠の課題 その3」である。
次に菊川に電話。
お袋が出る。
「明日の50日祭に向け、準備で忙しい。」
日本の皆さん、皆、大変だ。
強引に引き留めて、会社のことについて話をする。
女性社員の募集を広告しても、中々応募すらこない。
田舎の零細企業。当たり前の話。伊藤忠とは雲泥の差。
それどころか、病気が理由で先週一人辞めることに。
現場は大変である。
とは言え申し訳ありません。
私の出来る事は限られている。
葬儀の日に決めた親父の50日祭の日程。
息子の卒業式と絡めてこの週末に一時帰国を検討した。
金曜の夜に帰国し、来週月曜日を休めば行けないことはない。
考えた末、行かない事にした。
宴(うたげ)というには不適切だろうが、何れにせよ、
それはもうじきに終わる。
『「サラリーマン遠隔経営」って大変ですね。
頑張って下さい。』等と言って頂けるのも今のうち。
人の気持ちは薄れていくもの。
お情けでビジネスは続かない。
早く次の手を打たなければならない。
何より移ろい易い自分自身の気持ち。
「二足のわらじ」を器用に使い、気合を入れ続けることはできない。
流石に心身共に持たない。
「遠隔経営」体制を、一刻も早く作り上げねば。
特に「永遠の課題 その1」人事制度は まだまだ霧の中だ。
私の観察。
「世の中を動かしているのは感情である。」
でも、これは一時的。
「世の中は、やがて理のあるところに向かう。」
同情やら気合やら、移ろい易いもの、無理して踏ん張ったもの。
そうしたものは、続かない。やがて廃れる。
早く仕組みを構築しなければならない。
(因みに 最近、とみに思うこと。
「世の中を最終的に動かしているのは、神様の意思である。」
でも、これに従っているだけでは駄目だ。抗わなければならない。
この話はまた後で。)
先週、ブルネイの会社で行われた四半期に一度の重要な会議。
出張者が持って来てくれたゴルフ雑誌。
そこに書いてある驚くべき技術。
兎に角、やってみよう。
ゴルフ雑誌を片手にコースを回る。
失敗を繰り返しながらも、常に進歩を目指す。大事な事だ。
・・・等というのは、明らかな言い訳。
なんとスコアは118。
恐らくブルネイ最難関コース。今日で3回目。
いや、これも言い訳か。
そう言えば、昨晩、息子に言えなかったエピソードを思い出す。
息子が何時か読んでくれる事を願って、以下記載。
―――
昨年末、帰省した最後の夜。
親父お袋、そして兄貴家族と一緒に食事に出掛けた。
名古屋の大学に進学した兄貴の息子。
流石、教育が行き届いている。
早くに父親を亡くしてしまった彼ら。
私が父親代わりに、なんて話はおこがましい。
いや、不可能だ。
唯一私に出来ること。
「この広い世界を語り、人生の面白さを伝えること」
「兄貴ってひどい人なんだよなあ。何時も喧嘩ばかりしていた。」
「喧嘩して、親父が来て、拳骨でゴツン、それで終わりだった。」
「人生で二番目に尊敬している兄貴」だが、
恥じらいもあってか、悪口しか出てこない。
「兄貴には喧嘩で何時も負けてばかり。
「でも中一の時に初めて一回だけ勝ったことがある。」
「それ以来喧嘩はしなくなった。兄貴が手を出さなくなった。」
「私の目標は、今度は私から兄貴に喧嘩を吹っかけて
勝つことだった。」
「親父、兄貴、何時か三人でゴルフをして、私が一人勝ち。
それをして見たかった。」
「今はもう兄貴はいない。早くゴルフを覚えてくれ。
三人で一緒にやろう。
私が打ち負かしてあげる。」
そう語ったあの時の会話。
今はもう親父もいない。
息子に伝えたいこと。
「お前も早く大人になって、ゴルフを覚えてくれ。
そうしたら、三人で一緒にゴルフをやろう。
「大人の威厳」ってものを見せつけてやる。」
兄貴との思いもあって、親父とは帰省した時に何度もゴルフをした。
勝てない。なかなか勝てない。
そこで思いついた秘策。
親父をブルネイに呼び、自分のホーム・グラウンドで勝負をする。
それなら地の利で勝てる筈。
<ブルネイ日記4月2日> 親父、お袋in ブルネイ
「勝負はフォーム・グラウンドで」
http://tobimaru888.blog.fc2.com/blog-date-201704-1.html
当時79歳の親父。なんと11番ホールで同じスコアだった。
中々勝てない。
私は108歳まで生きる。
88歳までは現役社会生活を送る。
「息子よ、侮る無かれ。そう簡単には負けないぞ。」
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