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中国残留孤児って知ってますか?
飛行中年
(2024/12/25 18:57:24)
中国残留孤児って知ってますか? (2018/6/19 20:47:07)
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中国残留孤児って知ってますか? (2018/6/19 20:47:07)
今の日本の社会の中で、マスコミやネットなどで「中国」を叩くような文面のものを目にすることがあるのですが…。
はっきり言って、同じ日本人としてそのような行為を私は恥ずかしく思います。
なぜそのように中国を毛嫌いするのか…。
確かに日本叩きをしたり、日本を毛嫌いする中国人の方はいます。しかし、それは一部に過ぎないはず…。
なのに…。妙に中国人みんなが日本が嫌いかのような報道をして…。
少し視野が狭すぎるような気がしてならないのです。
もともと日本は、太古の昔から中国より多くのものを学んでいます。
水稲栽培から始まり、遣唐使の派遣より仏教や多くの学問が中国から入ってきました。
鑑真和上は、日本の仏教を立て直すために、その生涯を日本に捧げています。
そして…。
皆さんは中国残留孤児ってご存知でしょうか?
もう若い方には分からないかもしれませんが、中国に残された日本人の赤ん坊が中国残留孤児となっています。
なぜそのようなことになったのか…。
そのことを今一度整理し、隣国の中国との関係を考え直してほしいと思い、今回このブログを書かせていただきます。
19世紀から20世紀中ほどにかけ、世界の国々は自国の豊かさにつながる行為だと、大義名分を謳いながら多くの間違いを犯していました。
そんな中、日本も中国の北東部に「満州」という国を作ってしまったのですが、そのいきさつは…。
満州は本来中国の領土でしたが、日露戦争の結果、当時の二大帝国主義国家であるロシアと日本が、弱体化していた中国の頭越しに1904年に条約を結び、日本は満州での権益を獲得しました。
日本が手に入れたのは南満州鉄道の経営権と遼東半島の租借権だけでした。そしてそれを護る為に派遣されたのが日本陸軍の関東軍と呼ばれる部隊でした。
しかし関東軍は日露戦争の結果ロシアから譲り受けた権益だけでは満足せず、満州全土を日本のものにしてしまえと1931年に軍事行動を起こします。
いわゆる「満州事変」です。
関東軍は、中国軍が攻めてきたから反撃しただけ、と言い訳けをしましたがもちろん誰も信じません。
昭和天皇は激怒、「今後私の承認なしに軍隊を動かす事はまかりならん!!」と。しかし結局は後承諾。それどころか陸軍が一丸となって天皇を無視し、首謀者たちは爵位を受けたり昇進したり、、、。
いわゆる「軍の暴走」がここから始まったのです。
関東軍の満州侵略は世界から非難され、中国の提訴によって国際連盟が調査団を結成。日本、中国、満州を訪問して調査活動を行いました。
日本は国際連盟が日本に対して要望を出す前に、1932年に「満州国」を設立(のちに満州帝国と改名)。20年前に崩壊していた清王朝の廃帝の溥儀を引っ張り出して満州帝国皇帝にしました。
映画「ラストエンペラー」で紹介されたあの溥儀です。
「満州は中国人がトップの独立国だ!」と関東軍は言って世界を誤魔化そうとしました。しかし現実は満州国は100%日本の傀儡国家(日本の言いなりになる操り人形の国)でした。
そして1933年、国際連盟総会で満州国を否定する決議が全会一致で成立(反対は日本だけ)。その結果に日本は仕方なく国際連盟を脱退。
そして元から住んでいた中国人農民を追い出して日本から大量の開拓民を導入し、実質日本の国の一部のようにしました。
と、ここまでが「満州」ができたいきさつですが、ご存知のように日本は戦争に負けます。
そのとたん…。
満州にいた日本人は地獄を見ることになったのです。
敵国の真っただ中にいた日本人の多くが虐殺されました。
殺されまいと必死に逃げる日本人…。
この時、まだ何も分からず、いつ泣き出すかも分からない赤ん坊が邪魔だったのです。
赤ん坊を抱えた日本人は、一部の望みを託し、その赤ん坊を置き去りにしたのです。
ひょっとしたら、心ある中国の方に拾われて、育ててもらえるのではないかと…。
これが「中国残留孤児」なのです。
置き去りにされてしまった日本人の赤ん坊…。
しかし、その多くは心ある中国人の方に「赤ん坊には罪はない」と拾われて、わが子同然に育てられたのです。
おそらく、敵国の赤ん坊を拾い上げた中国人は、周りからは白い目で見られたと思います。
しかし、そんな逆境を乗り越えながら、日本人の赤ん坊を立派に育て上げた多くの中国人の方がいるのです。
たとえ国や政治がどのように動こうと、人間として正しいと思う道を選び、日本人の赤ん坊を育て上げる…。
私はこれこそ正しい人間の生き方だと思います。
当時、日本がこれだけ中国に嫌われていた時代に、その国の子供を拾い上げ育てた中国人が大勢いたこの事実を、私は皆さんに知っていただきたいのです。
不思議なのは、こんな大切な事実が教科書などには載せられていないこと…。
「中国残留孤児」に関することも、どんどん歴史の中から忘れ去られようとしていることです。
私は思うのですが、このような事実こそ忘れてはいけないのではないでしょうか?
そして、国と国の平和な関係を作り上げていくには、政治家同士が話し合うよりも、まずは中国残留孤児を拾い上げたような、人として正しい生き方できる人間同士がお互いの国の間で交流しあい、そして、平和へ
の道を切り開いていくことが重要だと私は思うのです…。
はっきり言って、同じ日本人としてそのような行為を私は恥ずかしく思います。
なぜそのように中国を毛嫌いするのか…。
確かに日本叩きをしたり、日本を毛嫌いする中国人の方はいます。しかし、それは一部に過ぎないはず…。
なのに…。妙に中国人みんなが日本が嫌いかのような報道をして…。
少し視野が狭すぎるような気がしてならないのです。
もともと日本は、太古の昔から中国より多くのものを学んでいます。
水稲栽培から始まり、遣唐使の派遣より仏教や多くの学問が中国から入ってきました。
鑑真和上は、日本の仏教を立て直すために、その生涯を日本に捧げています。
そして…。
皆さんは中国残留孤児ってご存知でしょうか?
もう若い方には分からないかもしれませんが、中国に残された日本人の赤ん坊が中国残留孤児となっています。
なぜそのようなことになったのか…。
そのことを今一度整理し、隣国の中国との関係を考え直してほしいと思い、今回このブログを書かせていただきます。
19世紀から20世紀中ほどにかけ、世界の国々は自国の豊かさにつながる行為だと、大義名分を謳いながら多くの間違いを犯していました。
そんな中、日本も中国の北東部に「満州」という国を作ってしまったのですが、そのいきさつは…。
満州は本来中国の領土でしたが、日露戦争の結果、当時の二大帝国主義国家であるロシアと日本が、弱体化していた中国の頭越しに1904年に条約を結び、日本は満州での権益を獲得しました。
日本が手に入れたのは南満州鉄道の経営権と遼東半島の租借権だけでした。そしてそれを護る為に派遣されたのが日本陸軍の関東軍と呼ばれる部隊でした。
しかし関東軍は日露戦争の結果ロシアから譲り受けた権益だけでは満足せず、満州全土を日本のものにしてしまえと1931年に軍事行動を起こします。
いわゆる「満州事変」です。
関東軍は、中国軍が攻めてきたから反撃しただけ、と言い訳けをしましたがもちろん誰も信じません。
昭和天皇は激怒、「今後私の承認なしに軍隊を動かす事はまかりならん!!」と。しかし結局は後承諾。それどころか陸軍が一丸となって天皇を無視し、首謀者たちは爵位を受けたり昇進したり、、、。
いわゆる「軍の暴走」がここから始まったのです。
関東軍の満州侵略は世界から非難され、中国の提訴によって国際連盟が調査団を結成。日本、中国、満州を訪問して調査活動を行いました。
日本は国際連盟が日本に対して要望を出す前に、1932年に「満州国」を設立(のちに満州帝国と改名)。20年前に崩壊していた清王朝の廃帝の溥儀を引っ張り出して満州帝国皇帝にしました。
映画「ラストエンペラー」で紹介されたあの溥儀です。
「満州は中国人がトップの独立国だ!」と関東軍は言って世界を誤魔化そうとしました。しかし現実は満州国は100%日本の傀儡国家(日本の言いなりになる操り人形の国)でした。
そして1933年、国際連盟総会で満州国を否定する決議が全会一致で成立(反対は日本だけ)。その結果に日本は仕方なく国際連盟を脱退。
そして元から住んでいた中国人農民を追い出して日本から大量の開拓民を導入し、実質日本の国の一部のようにしました。
と、ここまでが「満州」ができたいきさつですが、ご存知のように日本は戦争に負けます。
そのとたん…。
満州にいた日本人は地獄を見ることになったのです。
敵国の真っただ中にいた日本人の多くが虐殺されました。
殺されまいと必死に逃げる日本人…。
この時、まだ何も分からず、いつ泣き出すかも分からない赤ん坊が邪魔だったのです。
赤ん坊を抱えた日本人は、一部の望みを託し、その赤ん坊を置き去りにしたのです。
ひょっとしたら、心ある中国の方に拾われて、育ててもらえるのではないかと…。
これが「中国残留孤児」なのです。
置き去りにされてしまった日本人の赤ん坊…。
しかし、その多くは心ある中国人の方に「赤ん坊には罪はない」と拾われて、わが子同然に育てられたのです。
おそらく、敵国の赤ん坊を拾い上げた中国人は、周りからは白い目で見られたと思います。
しかし、そんな逆境を乗り越えながら、日本人の赤ん坊を立派に育て上げた多くの中国人の方がいるのです。
たとえ国や政治がどのように動こうと、人間として正しいと思う道を選び、日本人の赤ん坊を育て上げる…。
私はこれこそ正しい人間の生き方だと思います。
当時、日本がこれだけ中国に嫌われていた時代に、その国の子供を拾い上げ育てた中国人が大勢いたこの事実を、私は皆さんに知っていただきたいのです。
不思議なのは、こんな大切な事実が教科書などには載せられていないこと…。
「中国残留孤児」に関することも、どんどん歴史の中から忘れ去られようとしていることです。
私は思うのですが、このような事実こそ忘れてはいけないのではないでしょうか?
そして、国と国の平和な関係を作り上げていくには、政治家同士が話し合うよりも、まずは中国残留孤児を拾い上げたような、人として正しい生き方できる人間同士がお互いの国の間で交流しあい、そして、平和へ
の道を切り開いていくことが重要だと私は思うのです…。
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