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feed (ブルネイ日記 6月19日 着想) 人生に影響を与えた20のフライト 6部作その4 「進化するゲーム」 (2015/7/30 15:50:32)
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・またまた改めて、FB記事の抜粋。
 そう言えば、このフライト、錠とタスクは決めていました。笠間駅、友部ジャンクション、モーパラ。
 ログが最後にカクカクとなっているのは、その為。
 でも確かにタスクをこなしに笠間、友部を取りに行った途端に雲がない領域を無理やり飛んで、
 一気に140まで落ちてしまいました。

・象徴的なよなあ、この状況。

・目標設定をしてから飛び立つ。
 気象条件に応じて、目標設定を変える。
 この時は、気象条件が思いの他、良かったので、飛び出してから、
 数倍の距離のフライトに変更。
 その後、状況に応じて、改めて目標を以前のものに戻す。
 しかし、強引に目標達成に拘った為に、一気に苦難に陥った。
 何とか克服、最終的にはゴール達成。 

・人生においても同じ。
 目標設定は大事。でも、目標に囚われ過ぎてはいけない。
 場合により、頭の片隅に置き、違う事に集中する。
 時が来れば、目標達成にまい進する。
 そして、最後の最後まであきらめない。
 
・大学3年の春、ハンググライダーの練習の為、西富士(富士宮)に一か月籠った。
 全て車中泊。
 同時期に籠っていた金沢大、金沢工業大学のハング仲間と非常に親しい間柄に。
 天気が悪い時は、丹那、湯河原のハング・ショップを訪ねたり。
 夜は何時も トランプやらに興じていた。

・その時にやったトランプ遊び、名付けて
 「進化するゲーム」
 勝った人が 今までルールに加えて 新しいルールを考え、足しこんでいく。
 もっとこうした方が面白いんじゃないかと、皆でいろいろな意見を出し合い、
 最終的に採用する新ルールの決定権は前回の勝者にある。
 例えば、最初は普通のババ抜き。そこから、こういう場合もカードを出して良いとか。
 どんどん面白くなるが、やがて行き過ぎて、大抵、ある方向に特化しすぎておかしくなりだす。
 そして最後はルールの複雑さに誰もついてこれなくなる。
 但し、勝者は 新しいルールを何も採用しない、という選択もできる。
 また、何か不要と思うルールを取り去ることもできる。退化できるルールもある。

・今でも覚えている位だから、結構面白かった。
 最後には、どうしても誰かが無理な進化を取り入れ、複雑になりすぎて、わからなくなる。
 The End。
 何か人間の進化の過程のような。
 「Global Standard」とか言って、勝手にルールを作り、その登録費やら検査代を取る欧米勢。
 やりたい放題。やられるがままの我々。世の中の縮図。

・大分脱線。
 言いたい事
 教訓そのXX 「 To be Game Changer ( ゲーム・チェンジャーになれ)」
 ルールは自分で作り出せ。
 決まりを守り、がんじがらめにさせられる立場でなく、決まりを作る側に回れ。
 教訓そのXX「自分のFiedlで戦え」もこの一つ。
 会議等でどんな話題を議論するのか。
 交渉で、何を論点、論拠にして、ディベートを行うか。基準を何にするのか。
 ビジネスで、何を競い合う基準とするか。
  目標そのXX「社会のルールの創出」
 これが出来たら最高である。

・まあ、これも程度問題。
 行過ぎると、誰かの様に「非常識」「無法者」と言われてしまう。
 そう言えば、日本記録を出した足尾(筑波山)でのフライト。
 大阪から引っ越して来た新参者。当時、普段は、直ぐ近くの板敷山でフライトしていた。
 飛び出す場所が高く、朝早くから日が照りサーマルが期待できる東向斜面のエリア、足尾。
 そこで開かれる大会。ハング・ショップOpaの餅田さんに、遠征として連れて行ってもらった。
 日本記録を出したのは、足尾を初めて訪問し、大会として参加した二日目のフライトだった。
 気象条件が無茶苦茶いい。
 大会で設定されたコース・フライトをぶっちぎり、勝手に大好きなクロカンを行う。

・でも、ちゃんと最低限の決まりは守る。 
 5時半過ぎ、大会本部に一報の連絡。
 「すいません、冨原ですがアウト・サイド(ゴールできずに途中で不時着)しました。
  回収は自分で行います。」 以上、心配させないように、安全に降りたという連絡。
  回収は、板敷山のフライヤー仲間、大学で同級だった鳥海に依頼した。
  足尾に戻って来た時には、既に午前3時を回っていた。
  鳥海さん。ありがとうございます。

・丁度一年前の同じ4月の第二週。これまた同級の大森が更新した日本記録、136㎞。
  172㎞の日本記録樹立の話しが知れ渡り、問い合わせが殺到したのは翌日だった。

・写真は2010年3月。静岡、天竜スーパー林道から実家を目指したフライト。
 親友の鵜野と二人でのフライト。
 二枚目の写真は対地高度1450m位、同高度で飛ぶ鵜野。
 掛川の街並み、母校の高校を見下ろす。
 その後、菊川の街並み、母校の中学、実家を見下ろす。彼方に、新設の静岡空港。
 ドバイ駐在前の記念すべき最後のフライト。

・初めて実家の上を飛んだのは、挑戦し始めてから、60回目のフライトだった。
 埼玉から実家の静岡に、週末何度も通った結果の賜物だ。

・中国駐在から帰任後、二度目を目指して、改めて何度も通った。
 実家近くに空港ができる計画が現実化し、その前にもう一度、と目指し始めた。
 何度か直ぐ近くまでは行くのだが、届かず。
 近くに到達するが、時間が遅くなると、最後に海風が入って来る。南風に阻まれる。
 いつも付き合ってくれる鵜野が、先行して空港予定地の横に降りたこともあった。
 2㎞手前に降りられる緊急ランディングを確保。飛行計器のGPSに設定。
 いざとなったらそこに、と常に意識して飛んだら、そのままそこに降りてしまったことも。
 気にしすぎると、その悪い事が現実化する。典型的な失敗パターン。 

・開港のタイム・リミットが来たと殆ど諦めかけていた時に朗報。
 なんと、空港開港が数か月延期となったのだ。
 それを伝えるNHKニュースの映像は、今でも忘れられない。
 また、何度も通う日々が始まった。
 そして2009年5月末、6月上旬の開港を前に、ラスト・チャンスのフライトで
 二回目の夢の実現。

・教訓そのXX 「To Be Greedy」 (どこまでも貪欲に)
 三度目の挑戦。
 もう一度、実家近くを飛んでみたい。
 空港開港後、実家は9㎞圏内の為、真上のフライトは出来ない。
 横から見下ろすフライトを目指す。
 空港の9㎞圏内は飛んではならない。
 従来のコース北からのアプローチでは9Km以上離れたところに、安全に降りられる場所がない。
 山伝いに飛ぶ、アプローチが容易な迂回コースは断念。
 単独フライトでは不利な平野部を行く、ストレート・コースに切り替えた。

・コースを変更してからは、なんと二回連続で、実家を見下ろすところまで飛べた。
 一人で平野を飛ぶ難しさはあるが、時間が早く、海風が入ってきていないのだ。
 全く違うコース、全く違う発想により、ブレーク・スルーすることが出来た。  
 目から鱗。
 囚われる事で、如何に自ら問題を難しくしてしまうことか。
 新しい発想が、如何にブレーク・スルーを生み出すことか。
 
・そう言えば、2001年5月、中国駐在前の最後のフライトが、実家への初のフライトだった。
 練習が出来なくなる為、技術的には人生のピークと予見したフライト。ラスト・チャンス。
 そのフライトで、夢の達成。

・神様は何時もドラマを用意してくれている。

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