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feed (7月26日 最終話) 「家族への手紙、自分への手紙」 (2015/8/15 3:54:35)
元々は、ブルネイ駐在で、離れ離れに暮らしてる家族へのメッセージのつもりで書き出したブログ。
1話に必ず一つ、人生訓やら教訓を記載したのもその為。
本屋で、「娘に贈る・・・の手紙」、とかいうタイトルの本を見たことがある。
その冨原家版。

最後までその事は変わらない。
でも、途中から、加えてこれは、家族だけでなく 「自分への手紙」だな、と思い始めた。
そうも思って書いた。

現在は間違いなく躁期。駐在開始直後で、気持ちが高ぶっているのだろう。
相変わらず短い睡眠時間。いろいろな事を思いつく。
ベット脇の「Jotting Boad」は健在である。
ドバイ時代と同じだとすると、これも後1,2か月。
その内、また普通の状態に。

2年半前に、兄貴が亡くなり、突然、鬱期に突入した。
復活に2年以上を要した。
将来また、何かが起こり、暫く抜け出せないかもしれない。
その時の自分の為にも。
そう思って記載した。

それにしても、人の死、と言うのは重い。測り知れない何かがある。

兄貴が亡くなった時には、飛行機の中で見るごく普通の映画やら、
暫くは、何気ないもので、勝手に涙が出て来た。

涙もろい。
私の弱点。

恩人で、同郷のハング・フライヤー、森下さん。
結婚式ではギターで弾き語りをしてくれた。浜松で行われた結婚式にも、参加させて頂いた。
ドバイからの一時帰国。売り込みのダイレクト・メイルやら郵便物が山の様にたまっている。
一時帰国の時の一つのお仕事。その山の処理。
そこに思いもよらない森下さんの訃報のはがき。
ご病気とのこと。奥さんからだった。
後先を考えずに、思わず奥さんに電話。結婚式以来。
話しながら、泣き出してしまった。強引に電話を切ってしまった。
なんて失礼な。

数週間前、偶然、友達の友達として、森下さんの奥さんが、FBに登場。
パラグライダーの友達の記事に「森下」が「いいね」。
「森下?」ひょっとして。
自己紹介をみると森下さんの遺志を継いで、パラグライダー・スクールを経営している事を知った。
ブルネイのこの地で、何故かまた涙が出た。号泣した。(そしてこの記事を書いている今も)
メイルのやり取りなら、この前の様な失礼はことは起きないな。
奥さんにメッセージ、そしてFB友達申請。「姉御と呼ばせて下さい。応援しています。」
便利な世の中になったものである。

自分に影響を与えた人、No.1の親父。尊敬する人。まだまだ勝てない。
最近やっと、ゴルフでは勝ち出した。
No.2 のお袋。どうも人より健康に産んで頂いたようである。感謝、感謝。
祖父は99歳で他界した。親父お袋は、現在70台後半。
科学技術は進歩いている。多分、120歳まではご健在だろう。

No.3 の年子の兄貴。2011年に他界。
親父も50前にして、心臓病で生死をさまよったらしい。
冨原家50歳限界説?
いや、兄貴や親父のその歳は既に越えた。
現在、50歳。私の寿命は140歳かな。 人生、太く長く。
取り敢えず、80歳までは活動的な人生を送ろう。

No.4 阪大ハンググライダー部のニコ上の先輩。鈴木さん。
憧れの先輩。
私が、社会人1年目になった時に亡くなられた。
自殺だった。
何がなんだか、分からなかった。
自分が憧れ、尊敬する先輩が自殺。
追い打ちの一言。Dさんから。
「彼は自分を否定したんじゃなくて、生き方を肯定する為に、自殺したんじゃない」

大混乱。そして 迷宮入り。
答えを聞こうにも、もうその人はいない。
答えてはくれない。
その答えは、自分で考えるしかない。

「我想う、故に我あり」
柄にもなく、思索の日々は続く。

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