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『日本国紀』 百田尚樹

 幻冬舎 2018年11月刊

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賛否両論、いろいろと取り沙汰されており、歴史好きとしてはとりあえず読んでみることにした。

百田のおっさんは問題発言が多いが、最初に読んだ 「永遠の0」 がおもしろかったので第一印象はいい。この歴史教科書みたいな本もたいへん読みやすかった。ただし、おっさんの偏見が随所に散りばめられていて、どこまで本当のことか、どこから偏見なのか、よくわからん。話半分で飲み込めばいいのかな?

 

以下、久しぶりにメモとしての抜書き。#は私のコメント。

 

○608年、聖徳太子は三度目の遣隋使を派遣した。・・・(手紙に)日本の天子を「王」と書くと、自ら冊封を認めることになる。そこで太子は「天皇」という言葉を編み出した。・・・/太子は「天皇」という言葉を用いることによって、中国の皇帝と対等の立場であるということを表したのだ。・・・/これが日本における「天皇」という名称の始まりとなった。それまでは「大王(おおきみ)」と呼ばれていたのが、これ以降、「天皇」という呼称に代わった。「天皇」という言葉には、日本がどこにも従属しない独立不羈の国であるという精神が込められているのである。

 

○仁徳天皇が臣下に高台から遠くを見た時のことを話した。/「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないからではないか。都がこうなら、地方は一層ひどいことだろう」/そして「向こう三年、税を免ず」という詔を発した。その日から、仁徳天皇は衣を新調せず、宮垣が崩れて、茅葺屋根が破れても修理しなかった。三年が経ったある日、天皇は高台に出ると、炊煙が盛んに立つのを見て、皇后にこう言った。/「朕はすでに富んだ。喜ばしいことだ」/すると、皇后が言った。/「宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだといえるのですか」/天皇はこう答えた。/「政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」/その年の秋、諸国の人々から、「宮殿は破れているのに、民は冨み、道にものを置き忘れても拾っていく者もない。この時に税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」との申し出が次々とあった。しかし天皇はさらに三年、税を免除した。そして六年の歳月が過ぎ、やっと税を課して宮殿の修理をした。・・・/「民、うながされずして材を運び簣を負い、日夜をいとわず力を尽くして争いを作る。いまだ幾ばくを経ずして宮殿ことごとく成りぬ」/民を思う天皇に感謝した民衆が、自発的に宮殿の修繕に参じたのである。「大御心」(天皇の心)と「大御宝」(国民)という関係がこうしてできあがっていったのだろう。

#仁徳天皇陵のある堺出身なので、仁徳天皇にはなんとなく親しみがある。

 

○醍醐天皇によって大宰府に流された菅原道真は、二年後にその地で亡くなるが、「祟り」はそれから数年後に起きる。・・(数々の祟り)・・/醍醐天皇は道真の怨霊を恐れて、彼の左遷を取り消して名誉を回復させるが、祟りは収まらなかった。・・(数々の祟り)・・朝廷は道真の怨霊を鎮めるために北野天満宮を作り、そこに道真の霊を祀って、ようやく祟りは収まった。

 

○室町文化の特色としてまず挙げられるのは、「わび・さび」である。/「わび」(侘び)とは、「心細く思う」「落ちぶれた生活を送る」「困って嘆願する」などの意味を持つ「わぶ」という動詞の名詞形だ。本来良くない意味を持つこの言葉が、中世の頃から「貧粗・不足の中に心の充足を見出そうとする意識」へと変化し、室町時代の茶の文化などと結びついて、独特の美意識が形成された。/一方、「さび」(寂び、あるいは然び)は、「さびれる」を意味する動詞「さぶ」の名詞形である。本来は「時間の経過とともにものが劣化する」という意味の言葉だったが(金属の錆もそこから来ている)、室町の頃から、「閑寂さの中に、奥深いものや豊かなものがおのずと感じられる美しさ」という意味を持つようになった。これもまた日本独特の美意識である。

・・・住宅も質素なものとなり、それらは今日の和風建築のもととなった。庭も自然の地形を生かしたものとなり、また枯山水と呼ばれる簡素で象徴的な庭園も作られた。枯山水は水のない庭のことで、池や水を使わずに石や砂などにより山水の風景を表現する日本独特の庭園様式である。龍安寺の石庭や龍吟庵の東庭が有名だが、・・・

 

○・・・宣教師ルイス・フロイスの眼力は見事というほかない。ついでながら、明智光秀評も紹介しておこう。/「裏切りや密会を好み、刑罰を科するに残酷。忍耐力に富んでおり、謀略の達人」

#来年の大河の主人公なのに、これでは身も蓋もない。。

 

○ペリーが兵隊を乗せた小舟を下ろし、江戸湾の水深を測るという行動に出た時、忘備にあたっていた川越藩兵はそれを阻止しようとしたが、幕府から「軽挙妄動を慎め」と命じられていた浦賀奉行によって押しとどめられた。自国領内、しかも江戸城のすぐ目の前の海を外国人が堂々と測量することを黙認した幕府の態度は腰抜けとしかいいようがない。ただこれは、現代の日本で起きていること、たとえば尖閣諸島の沖で、中華人民共和国の海警局の船の跋扈を看過している状況と似たことのようにも見える。

#歴史の記述に付帯して、こんなコラムが山のようにある。

 

評価:9点

ホントかウソか、よくわからないところがたくさんあるが、読んでおいて損はないと思う。歴史の勉強になる。

 


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