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<飛丸日記 5月23日> 「東南亜制覇の旅」「ドラマは最後に訪れる」
飛丸日記
(2024/12/25 18:57:24)
<飛丸日記 5月23日> 「東南亜制覇の旅」「ドラマは最後に訪れる」 (2019/6/13 21:58:29)
3時間前後掛けて100キロ前後のタスクを一つ一つ前に進める。
ゴールまで後数キロ、気流を捉え、上昇を開始する。
中々ゴールが出来ない私だが、時にそう言った局面を迎える。
そして、それは脳力全開の時である。
上昇気流を離脱してゴールに向かうべきタイミングは? ゴールまでの速度は?
マラソン競技の如く、ハングの競技では、途中まで集団で飛ぶ事が多い。
見えない上昇気流を見つけるには、集団で飛ぶのが圧倒的に有利だからだ。
しかし、どこかで集団を離れ単独で進む事になる。時に激しいデット・ヒート。
1秒でも早くゴールを切る為、リスクを背負い低い高度で走り出すことも。
時に、ゴール手前10メーターで下りてしまう。そう言った悲喜劇も起このだ。
最後の最後まで、世の中わからないものだ。
そう言えば、余談中の余談。
昔参加した全米選手権。ゴールまで数キロ、ファイナル・グライド、スピードを出し、互いに順位を争う。
ゴールにはまだ数機しか降りていないのを確認する。ゴールすれば上位に食い込める。
相手が更に加速して前に出る。
これ以上は危ないと判断し、断念。、スピードを緩めた瞬間、信じがたいことが起きた。
先行していたグライダーが目の前で空中分解したのだ。
これを言うと「やっぱりハングライダーは危険なスポーツ」と思われるが・・・
まあ、何事にも限度はある。
その後私は、パラシュートを開いて落ちていくグライダーを上から撮影。
その大会では「Best Photographer (最優秀写真家)」賞をもらった。
さて、本題。
なぜこんなことが起きてしまったのか。
トラブルはなぜ起きるのか。反省すべき点は?再発防止策は?
最終日。その日はラオスからホーチミン経由、KL、そしてミリに行く予定だった、
KLまでの二枚のチケットをもらい、ホーチミン行きのフライトに乗る。
いつも通り窓側を指定。ずっと窓から景色を眺める。
おいしそうな雲だ。
23年ぶりのホーチミン。昔仕事で、7,8回訪れている。
到着後、次のフライトまでの時間を確認。
かなり時間がある。良し、BLOGでも書くか。
足早に乗り継ぎカウンターを目指す。
進んでいくと、レ書類を書いて、入国VISA代を払う列がある。
ん、何かがおかしい。なんで乗り継ぎなのにVISA代がいるんだ?
入国書類を見ると・・・「カンボジア!」
何で私はカンボジアにいるんだ?
確かに乗る時のゲートの表示はホーチミンだった。
飛行機もベトナム航空だったし・・・。
兎に角、拙い。
そこから大騒ぎ。
とは言え、英語が出来る職員がいない。
あっちへ行け、そっちへ行けと正に指で指図される。5か所をたらい回し。
何とか英語が出来る職員の所に辿り着く。
「お前、何でこんなところにいるんだ!」と目を丸くする。
無線を使い、別のスタッフを呼ぶ。
いろいろな場所を通過し、最後はもう一度同じ飛行機に辿り着いた。
要は その飛行機から降りてはいけなかったらしい。
そんなのあり? 空港についても降りてはいけない飛行機があるなんて。
国内線ではその経験が何回かあるが、国際線では聞いたことがない。
恐らく1000回には至らないが500回は搭乗経験があるにも関わらず。
何故、そんな事になったのだろうか?
偶々私は、その時、最前列に座っていた。
後ろだったら他の乗客が一部降りないという異変に気づいただろう。
窓から見えた街は、記憶に比べて、やけに小さかった。
普段しないこと。乗って来た飛行機の写真を撮影したのは、虫の知らせか?
まさかもう一度、その飛行機にまた乗るなんて。
大騒ぎしたのは正解だった。
言われるままにVISA代を払って入国していたらどうなっていたことやら。
「サイレンがなったら気取ってのんびり構えていないで、逃げよ。」
「緊急事態には、最大限の努力をせよ。」生き残る為の鉄則である。
まあ、兎に角、一件落着、事なきを得る。
「ドラマは最後に訪れる。」
東南アジア制覇の旅、これにて無事、終了である。
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<飛丸日記 5月23日> 「東南亜制覇の旅」「ドラマは最後に訪れる」 (2019/6/13 21:58:29)
3時間前後掛けて100キロ前後のタスクを一つ一つ前に進める。
ゴールまで後数キロ、気流を捉え、上昇を開始する。
中々ゴールが出来ない私だが、時にそう言った局面を迎える。
そして、それは脳力全開の時である。
上昇気流を離脱してゴールに向かうべきタイミングは? ゴールまでの速度は?
マラソン競技の如く、ハングの競技では、途中まで集団で飛ぶ事が多い。
見えない上昇気流を見つけるには、集団で飛ぶのが圧倒的に有利だからだ。
しかし、どこかで集団を離れ単独で進む事になる。時に激しいデット・ヒート。
1秒でも早くゴールを切る為、リスクを背負い低い高度で走り出すことも。
時に、ゴール手前10メーターで下りてしまう。そう言った悲喜劇も起このだ。
最後の最後まで、世の中わからないものだ。
そう言えば、余談中の余談。
昔参加した全米選手権。ゴールまで数キロ、ファイナル・グライド、スピードを出し、互いに順位を争う。
ゴールにはまだ数機しか降りていないのを確認する。ゴールすれば上位に食い込める。
相手が更に加速して前に出る。
これ以上は危ないと判断し、断念。、スピードを緩めた瞬間、信じがたいことが起きた。
先行していたグライダーが目の前で空中分解したのだ。
これを言うと「やっぱりハングライダーは危険なスポーツ」と思われるが・・・
まあ、何事にも限度はある。
その後私は、パラシュートを開いて落ちていくグライダーを上から撮影。
その大会では「Best Photographer (最優秀写真家)」賞をもらった。
さて、本題。
なぜこんなことが起きてしまったのか。
トラブルはなぜ起きるのか。反省すべき点は?再発防止策は?
最終日。その日はラオスからホーチミン経由、KL、そしてミリに行く予定だった、
KLまでの二枚のチケットをもらい、ホーチミン行きのフライトに乗る。
いつも通り窓側を指定。ずっと窓から景色を眺める。
おいしそうな雲だ。
23年ぶりのホーチミン。昔仕事で、7,8回訪れている。
到着後、次のフライトまでの時間を確認。
かなり時間がある。良し、BLOGでも書くか。
足早に乗り継ぎカウンターを目指す。
進んでいくと、レ書類を書いて、入国VISA代を払う列がある。
ん、何かがおかしい。なんで乗り継ぎなのにVISA代がいるんだ?
入国書類を見ると・・・「カンボジア!」
何で私はカンボジアにいるんだ?
確かに乗る時のゲートの表示はホーチミンだった。
飛行機もベトナム航空だったし・・・。
兎に角、拙い。
そこから大騒ぎ。
とは言え、英語が出来る職員がいない。
あっちへ行け、そっちへ行けと正に指で指図される。5か所をたらい回し。
何とか英語が出来る職員の所に辿り着く。
「お前、何でこんなところにいるんだ!」と目を丸くする。
無線を使い、別のスタッフを呼ぶ。
いろいろな場所を通過し、最後はもう一度同じ飛行機に辿り着いた。
要は その飛行機から降りてはいけなかったらしい。
そんなのあり? 空港についても降りてはいけない飛行機があるなんて。
国内線ではその経験が何回かあるが、国際線では聞いたことがない。
恐らく1000回には至らないが500回は搭乗経験があるにも関わらず。
何故、そんな事になったのだろうか?
偶々私は、その時、最前列に座っていた。
後ろだったら他の乗客が一部降りないという異変に気づいただろう。
窓から見えた街は、記憶に比べて、やけに小さかった。
普段しないこと。乗って来た飛行機の写真を撮影したのは、虫の知らせか?
まさかもう一度、その飛行機にまた乗るなんて。
大騒ぎしたのは正解だった。
言われるままにVISA代を払って入国していたらどうなっていたことやら。
「サイレンがなったら気取ってのんびり構えていないで、逃げよ。」
「緊急事態には、最大限の努力をせよ。」生き残る為の鉄則である。
まあ、兎に角、一件落着、事なきを得る。
「ドラマは最後に訪れる。」
東南アジア制覇の旅、これにて無事、終了である。
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