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松浦武四郎ってご存知ですか?
飛行中年
(2024/12/25 18:57:24)
松浦武四郎ってご存知ですか? (2019/7/13 9:02:40)
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松浦武四郎ってご存知ですか? (2019/7/13 9:02:40)
皆さんは「松浦武四郎」ってご存知ですか?
この方、「北海道」の名付け親ということで有名なんですが、調べてみると、実に面白い生き方をした人物なんです…。
江戸時代後期から明治にかけて生きた人物で、教科書などでは幕府の役人となり、蝦夷地を調べ上げた…。と、あるのですが。
調べてみると、もともと放浪癖を持っていて、若いころから日本中を旅してまわっています。
相当な好奇心の持ち主だったみたいですね!
三重県の出身だったことから、それをうまく利用して、日本中でいろいろな方の家に泊めてもらっていたようです。
当時、「お伊勢参り」は人々のあこがれであり、一生に一度は行きたいと考えていましたが、そんなとき、伊勢の人のお世話になるかもしれない…。
そんな思いから、人々は「伊勢の人」というだけで、結構自分の家に泊める習慣があったようです。
さんざん放浪した武四郎は、九州で病気となり、お寺のお世話になっているうちに、そのままそのお寺に居ついてしまいます。
しばらく時がたち、幕府が蝦夷地を調査する人材を求めました。
これを聞いた武四郎。再び「好奇心」に火がついてしまいました!
誰も行きたがらなかった蝦夷地に、自ら赴くことを決意します。
そうして長年、武四郎はアイヌの人たちのお世話になりながら、6回にわたって蝦夷地を調べ上げます。
この時、新しく蝦夷地に名前を付ける必要が出てきたのですが…。
もともとアイヌの人たちは、蝦夷地を「カイ」と呼んでいたことから、「北」の「カイ」の「道」ということから「北海道」と名付けたようです。
武四郎は、アイヌの人たちと旅をする中で、彼らの文化についても学び、北海道の地名にそのままアイヌの言葉を残すことにします。
アイヌの人たちが名付けた地名には、そのままその土地の特性が表されていたからです。
例えば、標津「シベツ」は、「シ」は鮭、「ベツ(ペツ)」暴れる川で、鮭のいる暴れる川。
また、稚内は、「ワッカ」速い水の流れ(滝)、「ナイ」暴れない川で、早い水の流れの暴れない川。と、言った具合です。
これは、私は武四郎が残した大きな財産だと思います。
なぜならば、後世の人が、その土地の特性を知ることが出来るからです。
そのことは、生きていくうえで、そして、災害を事前に知るということでも大変役にたつことになると思います。
武四郎自身は、あくまで大和民(つまり私たち)とアイヌの人たちの「共存の世界」を目指していましたが…。
現実的には、海産物などで大きな富をもたらす蝦夷地と、それを捕るアイヌの人たちは、大和民に利用されるだけになります。
これに対して、武四郎は異議を唱えますが、誰も聞く耳持たず…。
やがて、武四郎は自ら役人の座を降ります。
私がこの武四郎に興味を持ったのは、毎年のように北海道を旅するようになってから…。
北海道の各所に、武四郎の銅像やその足跡を示すものがあるため、自然と気になってきたのです。
こんな武四郎の人生。実は7月15日の海の日に、NHKでドラマとして放映されます。
興味がありましたら、是非ご覧ください!
この方、「北海道」の名付け親ということで有名なんですが、調べてみると、実に面白い生き方をした人物なんです…。
江戸時代後期から明治にかけて生きた人物で、教科書などでは幕府の役人となり、蝦夷地を調べ上げた…。と、あるのですが。
調べてみると、もともと放浪癖を持っていて、若いころから日本中を旅してまわっています。
相当な好奇心の持ち主だったみたいですね!
三重県の出身だったことから、それをうまく利用して、日本中でいろいろな方の家に泊めてもらっていたようです。
当時、「お伊勢参り」は人々のあこがれであり、一生に一度は行きたいと考えていましたが、そんなとき、伊勢の人のお世話になるかもしれない…。
そんな思いから、人々は「伊勢の人」というだけで、結構自分の家に泊める習慣があったようです。
さんざん放浪した武四郎は、九州で病気となり、お寺のお世話になっているうちに、そのままそのお寺に居ついてしまいます。
しばらく時がたち、幕府が蝦夷地を調査する人材を求めました。
これを聞いた武四郎。再び「好奇心」に火がついてしまいました!
誰も行きたがらなかった蝦夷地に、自ら赴くことを決意します。
そうして長年、武四郎はアイヌの人たちのお世話になりながら、6回にわたって蝦夷地を調べ上げます。
この時、新しく蝦夷地に名前を付ける必要が出てきたのですが…。
もともとアイヌの人たちは、蝦夷地を「カイ」と呼んでいたことから、「北」の「カイ」の「道」ということから「北海道」と名付けたようです。
武四郎は、アイヌの人たちと旅をする中で、彼らの文化についても学び、北海道の地名にそのままアイヌの言葉を残すことにします。
アイヌの人たちが名付けた地名には、そのままその土地の特性が表されていたからです。
例えば、標津「シベツ」は、「シ」は鮭、「ベツ(ペツ)」暴れる川で、鮭のいる暴れる川。
また、稚内は、「ワッカ」速い水の流れ(滝)、「ナイ」暴れない川で、早い水の流れの暴れない川。と、言った具合です。
これは、私は武四郎が残した大きな財産だと思います。
なぜならば、後世の人が、その土地の特性を知ることが出来るからです。
そのことは、生きていくうえで、そして、災害を事前に知るということでも大変役にたつことになると思います。
武四郎自身は、あくまで大和民(つまり私たち)とアイヌの人たちの「共存の世界」を目指していましたが…。
現実的には、海産物などで大きな富をもたらす蝦夷地と、それを捕るアイヌの人たちは、大和民に利用されるだけになります。
これに対して、武四郎は異議を唱えますが、誰も聞く耳持たず…。
やがて、武四郎は自ら役人の座を降ります。
私がこの武四郎に興味を持ったのは、毎年のように北海道を旅するようになってから…。
北海道の各所に、武四郎の銅像やその足跡を示すものがあるため、自然と気になってきたのです。
こんな武四郎の人生。実は7月15日の海の日に、NHKでドラマとして放映されます。
興味がありましたら、是非ご覧ください!
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