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<TMC日記 10月20日> 「映画の日」
飛丸日記
(2024/12/25 18:57:24)
<TMC日記 10月20日> 「映画の日」 (2019/11/4 21:32:07)
幼稚園、小学校と、最大勢力には成れなかったものの、
一応のガキ大将を張っていた私。
何度か、縄張り争い(?)で大人数の喧嘩をした覚えがある。
そんな喧嘩にはルールがあった。
「泣いたら負け」である。
騎馬戦で帽子を取られたら戦いから降りなければならない。
それと同様に、泣いたら、戦闘不能と見なされ、戦闘要員から外される。
「泣いたら負け」
このルールはその後も私を縛り、泣かない事が鉄則だったのだが
7年前に、このルールを撤廃した。
兄貴の訃報を聞いて数時間後に飛び乗ったドバイからの夜行便。
気を紛らわそうと何本もの映画を見たのだが、兎に角涙が出てきた。
お涙頂戴の映画ではない。アクションもの。喜劇もの。
全く泣く場面ではないのに、涙が溢れ出た。
そしてそれ以来、かな、逆に必ず泣く事が決まりである。
前回は「フォルトゥナの瞳」
この映画では「運命」なるものを考えさせられた。
「生物博士」「文学部」「M社のK氏」「E嬢」他計10名のサポーターの方々。
突然「遠隔経営」せざるを得ない状況になった時、偶然にも相談相手がそこにいた。
そしてその中から○○○の登場。
不思議なものである。
いや、世の中に偶然はない。全ては神様の配剤である。
いや、先ずは自助努力。
「幸運」は見えない上昇気流、サーマルの様なもの。
先ずはサーマルが多いと思われるところに身を置く。
人生において、やるべき事のひとつである。
さて、今回。
見られる映画は、前回8月の一時帰国の時と変わり映えがしない。
已む無し。
今回は、「雪の華」
「概要」をざっと読んだ時点で、あらすじはお見通し。
泣き所も見え見え。ここで泣かさせられるんだろうなあ。
「末期病の○○はオーロラを見ることを夢見ていた。
まだ愛を見つけるチャンスがあるだろうか?」
「余命後数ヶ月」と言われらた、自分が取る行動はなんだろう。
この旅行中、とある方と、あろうことか「死に方議論」をする機会があった。
どういった死に方が良いか。
いや、裏を返すと、どういった生き方が良いか。
自分の余命がわかった時に、その先をどう生きるべきか。
ハンググライダーを長くしていると、時には命の危険を感ずる時がある。
汚名を着せぬ為に言うと、そんな事は滅多にはない。
でも36年もやっていると、偶にはある。・・・・私は3回かな。
数秒後の自分の生存が、想像できなかった時。
「人はこうやって死ぬもんなんだ。」と実感した時。
「○○さんよ、悪い。後は任せた。」と思った時。
死と向き合うと、人の生き方、考え方は変わるものである。
「人は明らかに来る未来の出来事に、正面から向き合う事は難しい。」
でも、その未来を真近に感じると、当然、向き合わざるを得なくなる。
この映画の主人公はなかなか突拍子もない行動に出た。
そこは創造を超えた奇想天外なストーリー。その点は80点。
さて私は。
出来れば「今と変わらぬ生活を送ります。」と言える毎日を送りたいものだ。
いや、後一年、と言われたら、先ずはオーロラを見に行こう。
この映画と同じところが、またまたなんとも言えない偶然である。
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<TMC日記 10月20日> 「映画の日」 (2019/11/4 21:32:07)
幼稚園、小学校と、最大勢力には成れなかったものの、
一応のガキ大将を張っていた私。
何度か、縄張り争い(?)で大人数の喧嘩をした覚えがある。
そんな喧嘩にはルールがあった。
「泣いたら負け」である。
騎馬戦で帽子を取られたら戦いから降りなければならない。
それと同様に、泣いたら、戦闘不能と見なされ、戦闘要員から外される。
「泣いたら負け」
このルールはその後も私を縛り、泣かない事が鉄則だったのだが
7年前に、このルールを撤廃した。
兄貴の訃報を聞いて数時間後に飛び乗ったドバイからの夜行便。
気を紛らわそうと何本もの映画を見たのだが、兎に角涙が出てきた。
お涙頂戴の映画ではない。アクションもの。喜劇もの。
全く泣く場面ではないのに、涙が溢れ出た。
そしてそれ以来、かな、逆に必ず泣く事が決まりである。
前回は「フォルトゥナの瞳」
この映画では「運命」なるものを考えさせられた。
「生物博士」「文学部」「M社のK氏」「E嬢」他計10名のサポーターの方々。
突然「遠隔経営」せざるを得ない状況になった時、偶然にも相談相手がそこにいた。
そしてその中から○○○の登場。
不思議なものである。
いや、世の中に偶然はない。全ては神様の配剤である。
いや、先ずは自助努力。
「幸運」は見えない上昇気流、サーマルの様なもの。
先ずはサーマルが多いと思われるところに身を置く。
人生において、やるべき事のひとつである。
さて、今回。
見られる映画は、前回8月の一時帰国の時と変わり映えがしない。
已む無し。
今回は、「雪の華」
「概要」をざっと読んだ時点で、あらすじはお見通し。
泣き所も見え見え。ここで泣かさせられるんだろうなあ。
「末期病の○○はオーロラを見ることを夢見ていた。
まだ愛を見つけるチャンスがあるだろうか?」
「余命後数ヶ月」と言われらた、自分が取る行動はなんだろう。
この旅行中、とある方と、あろうことか「死に方議論」をする機会があった。
どういった死に方が良いか。
いや、裏を返すと、どういった生き方が良いか。
自分の余命がわかった時に、その先をどう生きるべきか。
ハンググライダーを長くしていると、時には命の危険を感ずる時がある。
汚名を着せぬ為に言うと、そんな事は滅多にはない。
でも36年もやっていると、偶にはある。・・・・私は3回かな。
数秒後の自分の生存が、想像できなかった時。
「人はこうやって死ぬもんなんだ。」と実感した時。
「○○さんよ、悪い。後は任せた。」と思った時。
死と向き合うと、人の生き方、考え方は変わるものである。
「人は明らかに来る未来の出来事に、正面から向き合う事は難しい。」
でも、その未来を真近に感じると、当然、向き合わざるを得なくなる。
この映画の主人公はなかなか突拍子もない行動に出た。
そこは創造を超えた奇想天外なストーリー。その点は80点。
さて私は。
出来れば「今と変わらぬ生活を送ります。」と言える毎日を送りたいものだ。
いや、後一年、と言われたら、先ずはオーロラを見に行こう。
この映画と同じところが、またまたなんとも言えない偶然である。
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