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<飛丸日記 9月20日> 「諏訪的生き方」
飛丸日記
(2024/12/25 18:57:24)
<飛丸日記 9月20日> 「諏訪的生き方」 (2020/12/16 23:02:03)
「目指せ、能登!」 最大の難所、秩父越えは後回し。
9月の連休を利用して一気に日本海を目指すことにした。
初日は小淵沢から松本まで、距離にして78㎞。
ところが「Go To キャンペーン」の影響為か、松本で宿が取れない。
「こけたら3倍返し」発動。この問題を如何に逆転させるか。
作戦変更を思い付く。中間地点の岡谷で宿を予約する。
先ず小淵沢から岡谷までサイクリング。
その後、電車で車を回収し、次に岡谷から松本にサイクリング。
自転車を松本に置いたまま、岡谷に戻る。
結果、一行程減り、時間が作れる。諏訪、岡谷を探索出来る。
こんな事でもない限り、岡谷に来る事はないだろう。
これにて三倍返し、完成である。
諏訪、岡谷を探索して感じたこと。
何か街に熱気がある。またその一方でゆとりがある。
そこに住む人々のたおやかさ、そして小粒ながら強そうな中小町工場の数々。
地方にあって、悠々自適で力強い。これだ!
「サラリーマン遠隔経営」を始めて、もう2年半が過ぎた。
親父に会社を託され、先ずは「サポーター」を固めた。孤立無援では戦えない。
チーム・キナバル、チーム・ムル、そして「スクラッチの会」
これまでどれだけ助けとなってくれた事か。そして今でも。
次に社員さん一人一人とのコミュニケーション手段を確保した。
今でも月に一度は全ての社員さんとやり取りをしている。
親父が亡くなった時、ブルネイから弔事休暇で帰国を利用して46社の客先を廻った。
喫緊の問題解決。社内体制の刷新。取引先との条件改善。商売の取捨選択。
そして2年間掛けて就業規則の改定、雇用契約の再締結、諸規定の作成に取り組んだ。
この9月にやっと完成である。
思うにここまでは、会社経営の経験者であれば誰にでも出来る。
とは言え「サラリーマン遠隔経営」というのは流石にOnly Oneだろう。
商社マンとして海外駐在を続けながら、全く知らない業界で最初から「遠隔経営」
ブルネイ時代は毎日深夜に2,3時間の勤務、帰国後もあまり時間は変わらない。
親からもらった元気な身体とハングで培った精神力でここまでは来た。
問題はここからだ。
自慢話。過去4つの会社でNo.1、No.2を経験したが、何れも業績は回復した。うまく行った。
まあ、人並み以上に働く経営者がいれば、大抵うまく行くものだ。
問題はその後である。自分がいなくなっても会社が継続してうまく行くかどうか。
「自分がいる間だけ業績が良い」と言うのには、今や魅力を感じない。
やりたい事は「次世代へつなぐこと」
その為に、より良い仕組みを作る。そして最善の方法は、人を育てることだ。
「大企業の良いところを取り入れた町工場」
やっと人並みの、いや誇れる町工場にまで変革が出来た。
スタートラインに立てた。
考えた末、三週間前に社員さんに打ち出したことがある。
「これから10年計画を立てる」
会社を大きくする必要はない。こじんまりでも構わない。
大事な事は、次世代へとつなぐ「生命力のある会社を創る」事である。
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<飛丸日記 9月20日> 「諏訪的生き方」 (2020/12/16 23:02:03)
「目指せ、能登!」 最大の難所、秩父越えは後回し。
9月の連休を利用して一気に日本海を目指すことにした。
初日は小淵沢から松本まで、距離にして78㎞。
ところが「Go To キャンペーン」の影響為か、松本で宿が取れない。
「こけたら3倍返し」発動。この問題を如何に逆転させるか。
作戦変更を思い付く。中間地点の岡谷で宿を予約する。
先ず小淵沢から岡谷までサイクリング。
その後、電車で車を回収し、次に岡谷から松本にサイクリング。
自転車を松本に置いたまま、岡谷に戻る。
結果、一行程減り、時間が作れる。諏訪、岡谷を探索出来る。
こんな事でもない限り、岡谷に来る事はないだろう。
これにて三倍返し、完成である。
諏訪、岡谷を探索して感じたこと。
何か街に熱気がある。またその一方でゆとりがある。
そこに住む人々のたおやかさ、そして小粒ながら強そうな中小町工場の数々。
地方にあって、悠々自適で力強い。これだ!
「サラリーマン遠隔経営」を始めて、もう2年半が過ぎた。
親父に会社を託され、先ずは「サポーター」を固めた。孤立無援では戦えない。
チーム・キナバル、チーム・ムル、そして「スクラッチの会」
これまでどれだけ助けとなってくれた事か。そして今でも。
次に社員さん一人一人とのコミュニケーション手段を確保した。
今でも月に一度は全ての社員さんとやり取りをしている。
親父が亡くなった時、ブルネイから弔事休暇で帰国を利用して46社の客先を廻った。
喫緊の問題解決。社内体制の刷新。取引先との条件改善。商売の取捨選択。
そして2年間掛けて就業規則の改定、雇用契約の再締結、諸規定の作成に取り組んだ。
この9月にやっと完成である。
思うにここまでは、会社経営の経験者であれば誰にでも出来る。
とは言え「サラリーマン遠隔経営」というのは流石にOnly Oneだろう。
商社マンとして海外駐在を続けながら、全く知らない業界で最初から「遠隔経営」
ブルネイ時代は毎日深夜に2,3時間の勤務、帰国後もあまり時間は変わらない。
親からもらった元気な身体とハングで培った精神力でここまでは来た。
問題はここからだ。
自慢話。過去4つの会社でNo.1、No.2を経験したが、何れも業績は回復した。うまく行った。
まあ、人並み以上に働く経営者がいれば、大抵うまく行くものだ。
問題はその後である。自分がいなくなっても会社が継続してうまく行くかどうか。
「自分がいる間だけ業績が良い」と言うのには、今や魅力を感じない。
やりたい事は「次世代へつなぐこと」
その為に、より良い仕組みを作る。そして最善の方法は、人を育てることだ。
「大企業の良いところを取り入れた町工場」
やっと人並みの、いや誇れる町工場にまで変革が出来た。
スタートラインに立てた。
考えた末、三週間前に社員さんに打ち出したことがある。
「これから10年計画を立てる」
会社を大きくする必要はない。こじんまりでも構わない。
大事な事は、次世代へとつなぐ「生命力のある会社を創る」事である。
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