ホーム
>>
RSSセンター
>>
<飛丸日記 1月1、2、3日> 「学問のすゝめ」 その2
飛丸日記
(2024/12/25 18:57:24)
<飛丸日記 1月1、2、3日> 「学問のすゝめ」 その2 (2021/1/24 10:37:31)
「なんだ学術的な「虚学のすゝめ」だと思ったら「実学のすゝめ」なんだ。
ありきたりでつまらないなあ。」
ブルネイ駐在時代に購入した福澤諭吉の「学問のすゝめ」は、
ほんの少し読んでブルネイの本棚に長らく積読されていた。
旅行をする時には、荷物になるにも関わらず、「梯子読み」の為に
少なくとも4,5冊の本を持って行く。10冊以上の時も。
「梯子読み」、飽きたらその本は投げ出して、別の本を読む。
また飽きたら次に行く。
でも、偶に面白い本に当たると、一気に読み切る。
まあ、滅多にない事ではあるが。
今回のツアーでは、それが起こった。
空港に向かう時からずっと「学問のすゝめ」を読んだ。それ程、面白かったのである。
何一つ目新しい事は書いていない。共感できることばかり。頭の中が整理される。
前半は、私が唱える「神の種族の進化論」そのものである。
後半に至っては私のブログと変わらないレベルだ。
「福澤諭吉」と私が同じレベル。
相変わらず、不遜なのだが、昨今思うに、歴史上人物というのは
現在の視点から見れば、大したことはない。
歴史上の人物は、確かに素晴らしい方々ではあるが、彼らはその時代にあって素晴らしいのであって
今の時代であれば、特段のきらめきはない。
坂本龍馬の薩長同盟、まぁ今時の商社マンなら誰でも考え付くだろう。
そもそも私自身は、不遜とは思わない。人類は進歩しなければならないのだ。
彼らが偉大なのは、その時代に生まれて、時代に先んじて、そのことを思いついたこと。
確かに、今はありきたりの「実学のすゝめ」も、出版されたのは、「時は明治」である。
何故思いつくに至ったか。その境地に達したか。それが私の関心だ。
初版だけで、270万冊売れたという「学問のすゝめ」
明治の知識階級に、限りない影響を与えた事だろう。
明治時代にこの発想に辿り着いたのは素晴らしいことである。
尊敬に値する。
旅が終わりに近づき、巻末が近づく中、「福沢諭吉」の生涯に興味が沸く。
一体何歳の時にこの本を書いたのか。
調べるてみると、なんと、書き出しは37歳、驚きだ。
私より100年早く、そして少なくとも15歳若くしてこの境地に達している。
一体どんな環境で彼は育ったんだろう。
調べてみると、中津とある。中津って何処だ?
Google Mapで調べてみると、なんと、今いる場所から50㎞と離れていない。
神様のお導き、これは行くしかない。
大阪大学・古美術研究会・副部長
ハングの大会を優先した為に、35年前に参加できたなっか部の研究旅行。
その遅ればせながらの実行を目指し、翌日は国東半島の石仏ツアーを考えていた。
予定変更、行先は中津である。
いや、「To be Greedy」 (貪欲足れ)
朝6時起床、日の出から日没まで、駆け抜ける。
1日 福岡、太宰府天満宮
2日、湯布院
3日、耶馬渓、中津、国東半島
歴史を学び、考察を深める事が出来たツアーだった。
RSSセンター
メイン | 簡易ヘッドライン |
<飛丸日記 1月1、2、3日> 「学問のすゝめ」 その2 (2021/1/24 10:37:31)
「なんだ学術的な「虚学のすゝめ」だと思ったら「実学のすゝめ」なんだ。
ありきたりでつまらないなあ。」
ブルネイ駐在時代に購入した福澤諭吉の「学問のすゝめ」は、
ほんの少し読んでブルネイの本棚に長らく積読されていた。
旅行をする時には、荷物になるにも関わらず、「梯子読み」の為に
少なくとも4,5冊の本を持って行く。10冊以上の時も。
「梯子読み」、飽きたらその本は投げ出して、別の本を読む。
また飽きたら次に行く。
でも、偶に面白い本に当たると、一気に読み切る。
まあ、滅多にない事ではあるが。
今回のツアーでは、それが起こった。
空港に向かう時からずっと「学問のすゝめ」を読んだ。それ程、面白かったのである。
何一つ目新しい事は書いていない。共感できることばかり。頭の中が整理される。
前半は、私が唱える「神の種族の進化論」そのものである。
後半に至っては私のブログと変わらないレベルだ。
「福澤諭吉」と私が同じレベル。
相変わらず、不遜なのだが、昨今思うに、歴史上人物というのは
現在の視点から見れば、大したことはない。
歴史上の人物は、確かに素晴らしい方々ではあるが、彼らはその時代にあって素晴らしいのであって
今の時代であれば、特段のきらめきはない。
坂本龍馬の薩長同盟、まぁ今時の商社マンなら誰でも考え付くだろう。
そもそも私自身は、不遜とは思わない。人類は進歩しなければならないのだ。
彼らが偉大なのは、その時代に生まれて、時代に先んじて、そのことを思いついたこと。
確かに、今はありきたりの「実学のすゝめ」も、出版されたのは、「時は明治」である。
何故思いつくに至ったか。その境地に達したか。それが私の関心だ。
初版だけで、270万冊売れたという「学問のすゝめ」
明治の知識階級に、限りない影響を与えた事だろう。
明治時代にこの発想に辿り着いたのは素晴らしいことである。
尊敬に値する。
旅が終わりに近づき、巻末が近づく中、「福沢諭吉」の生涯に興味が沸く。
一体何歳の時にこの本を書いたのか。
調べるてみると、なんと、書き出しは37歳、驚きだ。
私より100年早く、そして少なくとも15歳若くしてこの境地に達している。
一体どんな環境で彼は育ったんだろう。
調べてみると、中津とある。中津って何処だ?
Google Mapで調べてみると、なんと、今いる場所から50㎞と離れていない。
神様のお導き、これは行くしかない。
大阪大学・古美術研究会・副部長
ハングの大会を優先した為に、35年前に参加できたなっか部の研究旅行。
その遅ればせながらの実行を目指し、翌日は国東半島の石仏ツアーを考えていた。
予定変更、行先は中津である。
いや、「To be Greedy」 (貪欲足れ)
朝6時起床、日の出から日没まで、駆け抜ける。
1日 福岡、太宰府天満宮
2日、湯布院
3日、耶馬渓、中津、国東半島
歴史を学び、考察を深める事が出来たツアーだった。
execution time : 0.005 sec