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沖縄慰霊の日…。
飛行中年
(2024/12/25 18:57:24)
沖縄慰霊の日…。 (2021/6/23 19:33:08)
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沖縄慰霊の日…。 (2021/6/23 19:33:08)
6月23日。本日は沖縄慰霊の日です。
太平洋戦争末期、沖縄戦が終わった日として、この日を忘れないために制定された日です。
年齢を重ねた方ならば、なぜ、このような悲劇が沖縄で起こったかはご存知だと思うのですが…。
若い方は、いまひとつわからない方の多いのではないでしょうか?
そのことが気になったので、今夜は私なりにできるだけわかりやすく解説してみたいと思います。
今回のこのブログに関しては、それぞれの立場でいろいろなご意見を持たれている方がいると思いますので、コメントについては一切受け
付けませんので、それでも読んでみたい方のみ、以下の記事を読んでいってください。
日露戦争で日本が勝った流れで、日本は大陸へと入っていきますが、その時日本に与えられた条件に軍が不服を感じ、あらゆる手を使って、さらに
自分たちが豊かになれるように中国の一部に「満州国」を設立します。
この動きに対し、当然中国は異議を唱えますが、結局これがもとで「日中戦争」が勃発。
この動きに対し、それまで日本に石油を売っていたアメリカは、中国に味方し石油の販売を停止します。
ここから1941年12月8日、「真珠湾攻撃」を日本が仕掛け、アメリカとの「太平洋戦争」も勃発します。
はじめは日本の優位で進んでいた太平洋戦争ですが、ミッドウェー海戦から状況が逆転。
すでに環太平洋の島の多くを抑えていた日本ではありますが、逆にどんどんアメリカ軍にそれらの島は攻め落とされていきます。
そうこうしているうちに、旧日本海軍が所有していた軍艦のほとんどは沈められ、実質的に攻めることができなくなり、日本の負けは「確定的」に
なりました。
しかし…。
日本はこの時、簡単に白旗を上げるわけにはいかなかったのです。
なぜならば、簡単に日本が降参してしまうと、アメリカが日本の統治のために、日本の国を作り変えてしまう可能
性があったからです。
とりわけ、旧日本軍やこの時の日本政府が警戒したのは、「天皇制の廃止」でした。
安易にアメリカが日本統治のために天皇制を廃止してしまったら、まず間違いなく、残っている軍国主義の考えの人たちが、アメリカに対しテロ行
為を始めてしまい、戦後の日本の国が混乱してしまうと考えたからです。
で、そうならないように軍がとった手段が…。
アメリカに対する徹底抗戦です。
わかりやすい話、日本はアメリカに対し「もうこれくらいにしておきませんか?」と言わせて、日本に有利な条件で戦争を終えたかったのです。
そのためにとられた手段が、「特攻」だったわけです。
彼らには戦果は求められていませんでした。
彼らに求められたことは、アメリカ軍の目の前で死んで見せることにより、日本人にはそれなりの覚悟があるということを知らしめるためでした。
この特攻が盛んになり始めたころ、アメリカ軍はとうとう沖縄に侵攻してきたのです。
当然、沖縄では旧日本軍とアメリカ軍との間で、激しい火ぶたが切って落とされます。
が、この時、旧日本軍は、沖縄の人たちに対し、負けるくらいなら玉砕しろ!という指示を出し
たのです。
先に説明した天皇制を守る等の目的のため、旧日本軍は特攻隊の人たちと同じように、沖縄の人たちにも命を捨て
て戦え!と言ったのです。
普通、戦争は兵隊と兵隊との戦いです。
しかし、沖縄戦では、民間人をも戦争に参加させたのです。
これは、子供も女の人も例外はありませんでした。
爆弾を子供に持たせ、アメリカの兵隊に突っ込ませるということが、日常茶飯事のように行われるようになりま
す。
これに対しアメリカ兵も、自分の命を守るため、日本人とあれば女子供も皆殺しにしなければいけなくなりました。
もはや戦争ではありません。ただの殺戮です…。
戦争で戦う兵隊は、自分が戦う行為は正義であるという信念がなければ、実際には戦えません。
しかし、罪もない民間人を殺さなくてはいけなくなったアメリカ兵の多くの方が、思い悩んで精神を病んでしまったと聞いたことがあります。
戦うことを強制された沖縄の民間人の方も、アメリカ兵と戦えるはずもなく…。
軍から最後の自決用の手榴弾などを持たされて、洞窟の中に身をひそめるようになります。
そして、多くの沖縄の方が、自決を遂げていきました。
これが、沖縄戦と私は理解しています。
つまり、沖縄の方たちは、戦後の日本のために犠牲になったのです。
実に、1/4の沖縄の民間人の方が命を落とされました。
また、生き残った方たちも、捕虜としてアメリカ軍にとらえられ、収容所に入れられました。
こんな出来事を決して忘れないようにするために、「沖縄慰霊の日」が制定されたのです。
のちに、この悲劇に対し、昭和天皇は自ら沖縄に謝罪に行きたいと願っていたようなのですが、さすがにこの行為は危険すぎると宮内庁が判断。
結局これは叶いませんでした。
しかし、時代が平成へと変わり、やはり、天皇家として沖縄訪問しておかなければいけないと、平成天皇は沖縄を訪問しますが…。
当然といいますか、その平成天皇に対し、物が投げつけられるという事件が起こりました。
私は思うのですが、上に説明した歴史の流れから言って、平成天皇に沖縄の方が物を投げつけられてもおかしくないと思うのです。
対する平成天皇ですが、自分の身に何かが起こるかもしれない…。そのことを十分承知の上で、沖縄訪問を望まれていたはずです。
そんな危険を犯してまでも、やはり、平成天皇は、過去の過ちに対し、沖縄の方たちに謝罪したかったのだと思います。
私は思うのですが…。
過去の歴史を見てみても、「奪い合うこと」からは決して豊かさは生まれていません。
豊かさが生まれるのは、「共存し、お互いを認め合うこと」からだと思います。
とかく人は、目に見えているもの、目先の利益ばかりにとらわれがちです。
しかし、本当の豊かさって、人と人とが心を通わせ、お互いを尊重することから生まれくるものではないでしょう
か?
私は、そう強く思うのです…。
このような悲劇は、決して今後繰り返してはならないのです…。
太平洋戦争末期、沖縄戦が終わった日として、この日を忘れないために制定された日です。
年齢を重ねた方ならば、なぜ、このような悲劇が沖縄で起こったかはご存知だと思うのですが…。
若い方は、いまひとつわからない方の多いのではないでしょうか?
そのことが気になったので、今夜は私なりにできるだけわかりやすく解説してみたいと思います。
今回のこのブログに関しては、それぞれの立場でいろいろなご意見を持たれている方がいると思いますので、コメントについては一切受け
付けませんので、それでも読んでみたい方のみ、以下の記事を読んでいってください。
日露戦争で日本が勝った流れで、日本は大陸へと入っていきますが、その時日本に与えられた条件に軍が不服を感じ、あらゆる手を使って、さらに
自分たちが豊かになれるように中国の一部に「満州国」を設立します。
この動きに対し、当然中国は異議を唱えますが、結局これがもとで「日中戦争」が勃発。
この動きに対し、それまで日本に石油を売っていたアメリカは、中国に味方し石油の販売を停止します。
ここから1941年12月8日、「真珠湾攻撃」を日本が仕掛け、アメリカとの「太平洋戦争」も勃発します。
はじめは日本の優位で進んでいた太平洋戦争ですが、ミッドウェー海戦から状況が逆転。
すでに環太平洋の島の多くを抑えていた日本ではありますが、逆にどんどんアメリカ軍にそれらの島は攻め落とされていきます。
そうこうしているうちに、旧日本海軍が所有していた軍艦のほとんどは沈められ、実質的に攻めることができなくなり、日本の負けは「確定的」に
なりました。
しかし…。
日本はこの時、簡単に白旗を上げるわけにはいかなかったのです。
なぜならば、簡単に日本が降参してしまうと、アメリカが日本の統治のために、日本の国を作り変えてしまう可能
性があったからです。
とりわけ、旧日本軍やこの時の日本政府が警戒したのは、「天皇制の廃止」でした。
安易にアメリカが日本統治のために天皇制を廃止してしまったら、まず間違いなく、残っている軍国主義の考えの人たちが、アメリカに対しテロ行
為を始めてしまい、戦後の日本の国が混乱してしまうと考えたからです。
で、そうならないように軍がとった手段が…。
アメリカに対する徹底抗戦です。
わかりやすい話、日本はアメリカに対し「もうこれくらいにしておきませんか?」と言わせて、日本に有利な条件で戦争を終えたかったのです。
そのためにとられた手段が、「特攻」だったわけです。
彼らには戦果は求められていませんでした。
彼らに求められたことは、アメリカ軍の目の前で死んで見せることにより、日本人にはそれなりの覚悟があるということを知らしめるためでした。
この特攻が盛んになり始めたころ、アメリカ軍はとうとう沖縄に侵攻してきたのです。
当然、沖縄では旧日本軍とアメリカ軍との間で、激しい火ぶたが切って落とされます。
が、この時、旧日本軍は、沖縄の人たちに対し、負けるくらいなら玉砕しろ!という指示を出し
たのです。
先に説明した天皇制を守る等の目的のため、旧日本軍は特攻隊の人たちと同じように、沖縄の人たちにも命を捨て
て戦え!と言ったのです。
普通、戦争は兵隊と兵隊との戦いです。
しかし、沖縄戦では、民間人をも戦争に参加させたのです。
これは、子供も女の人も例外はありませんでした。
爆弾を子供に持たせ、アメリカの兵隊に突っ込ませるということが、日常茶飯事のように行われるようになりま
す。
これに対しアメリカ兵も、自分の命を守るため、日本人とあれば女子供も皆殺しにしなければいけなくなりました。
もはや戦争ではありません。ただの殺戮です…。
戦争で戦う兵隊は、自分が戦う行為は正義であるという信念がなければ、実際には戦えません。
しかし、罪もない民間人を殺さなくてはいけなくなったアメリカ兵の多くの方が、思い悩んで精神を病んでしまったと聞いたことがあります。
戦うことを強制された沖縄の民間人の方も、アメリカ兵と戦えるはずもなく…。
軍から最後の自決用の手榴弾などを持たされて、洞窟の中に身をひそめるようになります。
そして、多くの沖縄の方が、自決を遂げていきました。
これが、沖縄戦と私は理解しています。
つまり、沖縄の方たちは、戦後の日本のために犠牲になったのです。
実に、1/4の沖縄の民間人の方が命を落とされました。
また、生き残った方たちも、捕虜としてアメリカ軍にとらえられ、収容所に入れられました。
こんな出来事を決して忘れないようにするために、「沖縄慰霊の日」が制定されたのです。
のちに、この悲劇に対し、昭和天皇は自ら沖縄に謝罪に行きたいと願っていたようなのですが、さすがにこの行為は危険すぎると宮内庁が判断。
結局これは叶いませんでした。
しかし、時代が平成へと変わり、やはり、天皇家として沖縄訪問しておかなければいけないと、平成天皇は沖縄を訪問しますが…。
当然といいますか、その平成天皇に対し、物が投げつけられるという事件が起こりました。
私は思うのですが、上に説明した歴史の流れから言って、平成天皇に沖縄の方が物を投げつけられてもおかしくないと思うのです。
対する平成天皇ですが、自分の身に何かが起こるかもしれない…。そのことを十分承知の上で、沖縄訪問を望まれていたはずです。
そんな危険を犯してまでも、やはり、平成天皇は、過去の過ちに対し、沖縄の方たちに謝罪したかったのだと思います。
私は思うのですが…。
過去の歴史を見てみても、「奪い合うこと」からは決して豊かさは生まれていません。
豊かさが生まれるのは、「共存し、お互いを認め合うこと」からだと思います。
とかく人は、目に見えているもの、目先の利益ばかりにとらわれがちです。
しかし、本当の豊かさって、人と人とが心を通わせ、お互いを尊重することから生まれくるものではないでしょう
か?
私は、そう強く思うのです…。
このような悲劇は、決して今後繰り返してはならないのです…。
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