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feed <飛丸日記 1月2日> 二人旅 その2 「私のこども術」 (2022/2/13 21:50:58)
220102 寸又峡温泉 wお袋
220102 寸又峡温泉 wお袋2
220103 寸又峡温泉 夢の吊り橋
220103 井川湖LD
220103 井川湖LD
220103 安倍川上流

12月31日、博多駅から中洲、天神と歩き、息子と酒を飲みかわす。
1月1日、嫁さんの実家3㎞手前まで馬に乗って接近する。
その後、小倉経由で新幹線で掛川へと移動する。
人生初、3度の食事は全て駅弁。
長い道のりだが、もっと時間が欲しかった。
とっかえひっかえ本を読むと、飽きることなく時間はあっという間に過ぎる。

2010年3月、ドバイ駐在前に静岡に帰省した。
長らく日本を離れ、遠隔地に駐在する前に、初めての家族会議である。
「会社がうまく行くのが一番。遺産はいらない。でも、親父お袋はお願いね。」
勝手気ままな次男坊、あれから12年、状況は目まぐるしく変わる。
社長の兄貴は亡くなり、復帰した親父も今はいない。
私が会社を継ぎ、お袋と二人になった
世の中、想像出来ない事ばかり起こる。

実家南側が増築され、こじんまりした快適な空間がある。そこに住むお袋。
これを残していった親父、流石である。先見の明、私もこうありたいものだ。
1月2日、3日は、お袋と大井川上流の寸又温泉に行くことにした。
「二人旅」、これまたお袋と様々な話をした。
45年経って初めて口にした文句、明かされる真実。
「なんで小6の時に英語の塾に通わせたの?あれで英語が嫌いになった。
 人は強要されたら、やる気を失う。
 大体兄貴は行かなかったのに、なんで私だけ、と嫌で嫌で仕方なかった。」
「それ位はしてやりたかったのでお父さんに頼んだんだよ。
 お兄ちゃんはあなた以上に頑固なところがあって、自分で勝手に辞めちゃった。」
親のお心子知らず、とは言え、コミュニケー不足による反感、逆効果は否めない。
世の中みんな、思い込みの世界、きちんと言わなければ、わからない事がある。
60年前の「静岡の我が社」創業話から、遂には親父お袋の馴れ初めまで話が遡る。

2018年「遠隔経営」を開始した時には、ブルネイから毎日の様に電話をしていた。
会社から帰宅の車中30分が、会長と社長の定期会議の時間である。
意見が合わず、ガシャンといきなり電話を切られたこともあった。
国際電話で毎日電話、「遠隔経営」がもたらした思わぬ効用。
今にして思うとこんな親孝行な事はない。自画自賛!
最近は帰宅途中に週2,3回、電話を入れている。

とは言え静岡で1人暮らし、この状態が何時までも続く訳がない。
どうしたものか。
いやいや「こけたら3倍返し」
社会課題の典型がそこにある。
事業継承問題は「遠隔経営」という方法でなんとか切り抜けた。
社会課題を身近な事で再認識し、「Creative Solution」(創造的解決)を図る。

と、格好よく言ってみたものの、今のところ解決策は見えない。
まあ、明日の自分は今日よりもっと進化している筈だ。
未来の私に期待しよう。


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