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伊能忠敬の地図が正確すぎる理由!その2 (2022/3/7 20:54:43)
前回では、伊野忠敬が作った日本地図の正確さがいかに凄かったのか…。
なんと、御前崎から能登半島先端の距離の誤差が16メートル!しかなかったことなどについてお話しました。
そして…。
彼は、どのような手順で日本を測量していったのか?そのことについて簡単に触れてみました。
今回は、御前崎から能登半島先端までの距離の、驚異的ともいえる正確さは、いったいどんな方法で実現できたのか…。
その詳細について、私が調べて分かった範囲ですが、お話してみます!
前回、伊能忠敬の地図は、実は、緯度についてはとても正確なものの、経度については、それなりの誤差が発生してい
たことについて述べました。
この理由は、当時は経度を測るうえで重要な、正確な時計がなかったためでしたね!
そのため、経度、つまり、日本地図の東西方向については、地道な測量を積み重ねるしかなかったんです。
そのため、伊能忠敬の日本地図は、東西方向では、どうしても誤差が大きくなってしまいました。
それでは…。
なぜ、南北方向、具体的には御前崎から能登半島先端の距離が、16メートルしか誤差が出ない、きわめて正確なものだっ
たのか…。
そこには必ず秘密があるはずだと私は考えました!
そして、伊能忠敬記念館へ行ったり、いろいろと調べてみた結果…。
ある「測定器」に注目したのです。
その測定器なんですが…。
コレです!↓
これ、象限儀と言います。
この器具、わかりやすく言うと、これで北極星の高度(角度)を見上げることにより、自分がいる緯度を知ることが出来
るものなんです!
北極星の高度は、そのまま自分がいる緯度を表します。
つまり、北極星の高度を正確に測ることは、すなわち、その場所の緯度を測ることになるのです。
…。
「でも、こんな簡単な道具で、そんなに正確に北極星の高度が分かるの?」
そんな声が聞こえてきそうなのですが…。
実は、象限儀は、ある工夫により、見た目よりずっと正確な測量をすることが出来たんです!
その工夫がコレ!↓
これは、象限儀の「弧」の部分に刻まれた目盛りを、簡単に書いたものです。
赤い線は、望遠鏡で北極星を見上げた時の角度になります。
36度から37度の間に、何やら細い三角形があり、更に、縦の目盛りがそれを区切っていますよね!
実は、この目盛りの切り方で、驚くほど細かく北極星の高度を測ることが可能だったんです!
この目盛りの読み方は、すでにお分かりになっている方も多いと思いますが…。
ちなみに、上の目盛りを読み取ると、36度45分…。
1度の中の目盛りを正確に読みやすくするため、こんな工夫をしていたんですね!
コレ、実際はもっと細かく目盛られており、かなり正確に北極星の高度を読み取ることが出来ます。
上の写真の象限儀で、目盛りのある弧の部分が幅広になっているのは、細かく角度を読み取るため工夫だったんです。
ちなみに…。
1分の角度を距離に直すと、2キロに満たないくらい…。
上の目盛りの切り方ならば、私でも1分くらいは目盛りが読めそうですよね!
つまり、私でも、この象限儀を使えば、南北方向の誤差が2キロ以内に納めることが出来るということです。
おそらくなんですが、伊能忠敬は、この目盛りを読み取る技術を鍛え上げ、相当正確に読むことが出来たのではない
か…。
私はそう考えました!
ただ…。
ここで一つ注意しなければいけないことがあります!
それは…。
北極星の真ん中は、真北(しんほく)ではなく、地球の自転により、若干ですがブレが生じていることです!
伊能忠敬が求めている精度の地図を作ろうとしたら、これは大問題ですよね!
そのため、おそらくなんですが、伊能忠敬は、正確な時計を見ながら、このブレを補正するため、いつも同じ時間に北極
星の位置から本当の北「真北」を見つけ出して、それに象限儀を合わせていたに違いありません!
その証拠として…。
前回ご紹介した、伊能忠敬が作成した地図と、現在の地図との比較…。
緯度のズレについてよく見てみると…。
関東から離れるほど、緯度の誤差が大きくなっていることにお気づきでしょうか?
これは、おそらくなんですが、彼が持ち歩いていた時計の誤差が、関東から離れるほど大きくなったため…。
そのため、象限儀で北極星を観測する時間がずれて、ブレの補正が正確に出来なくなったためであろうと、私
は考えています。
だから、関東に近い、御前崎から能登半島の測量が、正確にできたのではないでしょうか?
私はそう考えました!
それにしても、御前崎から能登半島先端の距離の誤差を16メートルしか出さなかった伊能忠敬の測量技術…。
もし、私が考えた、彼の象限儀の目盛りの読み取り技術によるものであるとすれば、もうこれは神業としか言いようがな
いですよね!
伊能忠敬は、「執念」といっても良いくらい、正確な地図を作ろうとしていました。
それでは、なぜ伊能忠敬は、ここまでして正確な地図を作ろうとしていたのか…。
当時の日本は、そこまで正確な地図は、まだ、必要とされていなかったはずです。
次回はそれについて触れてみたいと思います!