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<飛丸日記 2月21日> 「ロシアから思うこと」
飛丸日記
(2024/10/31 8:42:30)
<飛丸日記 2月21日> 「ロシアから思うこと」 (2022/3/16 1:25:15)
テレビの向こうに広がる光景は、涙なくして観れないものもある。
時に叫びたくなる。憤りを感じる。
「情報セキュリティ」の制約から、「青山の我が社」「八丁掘の我が社」のお話は
基本的には「飛丸日記」では語れない。
当たり障りのない精神論のマネジメント・メッセージをアップするのが限界である。
出張先でのプライベート写真、この掲載も業務で何処にいるのかわかるので禁止行為だ。
確かに、情報とは あやゆるものから活用できるものである。
やるせないこの思い、出来るだけ一般論から発信する。
先ず「世界を股にかけて飛び回る商社マン」というのは虚像ではない。
思い出される10数年前、社内での会話
「数えてみると、私は過去60数か国訪問しました。」
ちょっと自慢気に話すとやり返された。「俺は80数か国かな」
まあ、周りは皆、そんなものである。
南アフリカのアパルト・ヘイト、エルサレムの嘆きの壁、
ポーランドのアウシュビッツ、ブラジルの大サトウキビ畑等など。
様々な場所を訪れ、見聞を広める機会がある。
ロシアもその一つである。
モスクワの赤の広場、ウラジオストックの港、バイカル湖のシベリア鉄道。
大昔に陸の孤島の極寒のキャンプに、ヘリで降り立ったこともあった。
観光だけではない。
商社マンたるもの、「交渉術」は一つの重要なテクニックである。
相手国の国民性、考え方、背景にあるものの勉強は欠かせない。
交渉相手の意思決定がどのようになされるか、
観察、分析、考察、そしてコミュニケーションの試行錯誤を重ねて行く。
私とロシアとの関わり合いは深い。
第二外国語はロシア語を専攻した。
大学1年の夏、初めて計画した海外旅行は
シベリア鉄道を利用してのモスクワへの旅だった。
冷戦真っただ中、「世界を知るにはソ連を知る必要がある」
そんな思いから取り組んだ。
初めて見たロシアは、イタリア行きの機上から見るツンドラ地帯だった。
荒涼たる景色が果てしなく広がる大地。
コサックは、ここを東へ東へと進んでいったんだろうな。
窓にかぶりついて見た光景は未だに目に焼き付いている。
交渉で何度かロシアを訪れる機会があった。
出会った人々は、皆さん気の良い温和な人たちばかり。
「不毛地帯」でのシベリア抑留の描写等から思い描くロシアのイメージ。
思っていた強面で冷徹なロシア人像とは全く違っていた。
なんであんなことが起きてしまったのだろうか。
そんな中、事件は起こった。
度重なる交渉の一幕。
モスクワで急用が出来たとの事で、会社トップが会議に出れなくなった。
No.2以下の方と、少しでも情報交換や議論が出来れば良いと臨んだが
全く何もできなかった。
「トップの指示、許可がなければ 何も話せません。」
何だろう、これは。分析してはいたが ここまで一人が牛耳る組織とは。
過酷な自然環境の中では、一神教が広まりやすいという。
リーダーの指示の下、一糸乱れぬ行動が必要とされる。
隊列を崩せば、それは死に繋がりかねない。
逆に言うと、リーダー以外は思考停止、盲目的な追従が必要となる。
ここで宗教を論じるつもりはないが、一般論として聞く話である。
個々を見ず、一括りにして論じるのは良くないこと。
でも今のロシアを見ていると、あの時の分析を思い出す。
何故ここまで一人の人間を、絶大な権力者にしてしまったのか。
人々はそれを許し、寧ろ依存してきた。
国の歴史を見ると、一度ではない。起こるべくして起きている。
もはや、国民性だ。
「ロシア軍、ロシア軍」と言うが、結局それは人ではないか。
行われている事は、人としてあるべき姿を完全に逸脱している。
思考停止して、上に従っているだけだ。
軍紀に従い、絶対服従、軍隊とはそういうものだろう。
でも、それはそれ。
軍隊のあるべき姿等、知ったこっちゃない。
兎に角、上が何を言おうが、間違っている事は間違っている。
盲目に従えば良いというものではない。
振り返って、自分の周りで思う事。
私の属する組織は、そんな形にはしたくない。
あってはならない事だ。
自分では納得できなくとも、業務命令には従う。
とは言え、法律違反だと思えば、業務命令だろうと従わない。
コンプライアンス問題しかり。
個々人が独自の判断基準を持ち、それぞれが考えて行動する。
そういう組織であるべきだ。
既に始まってしまった専横者の大暴走。
もし自分がそこにいたら、今から何ができるかはわからない。
ただ先ずやるべき事は、そうした状態にならない様に努めるべきだ。
ロシア国内では個々には様々な動きが起きている様だ。
国民性という一般論。
とは言え、人は変われるものである。
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<飛丸日記 2月21日> 「ロシアから思うこと」 (2022/3/16 1:25:15)
テレビの向こうに広がる光景は、涙なくして観れないものもある。
時に叫びたくなる。憤りを感じる。
「情報セキュリティ」の制約から、「青山の我が社」「八丁掘の我が社」のお話は
基本的には「飛丸日記」では語れない。
当たり障りのない精神論のマネジメント・メッセージをアップするのが限界である。
出張先でのプライベート写真、この掲載も業務で何処にいるのかわかるので禁止行為だ。
確かに、情報とは あやゆるものから活用できるものである。
やるせないこの思い、出来るだけ一般論から発信する。
先ず「世界を股にかけて飛び回る商社マン」というのは虚像ではない。
思い出される10数年前、社内での会話
「数えてみると、私は過去60数か国訪問しました。」
ちょっと自慢気に話すとやり返された。「俺は80数か国かな」
まあ、周りは皆、そんなものである。
南アフリカのアパルト・ヘイト、エルサレムの嘆きの壁、
ポーランドのアウシュビッツ、ブラジルの大サトウキビ畑等など。
様々な場所を訪れ、見聞を広める機会がある。
ロシアもその一つである。
モスクワの赤の広場、ウラジオストックの港、バイカル湖のシベリア鉄道。
大昔に陸の孤島の極寒のキャンプに、ヘリで降り立ったこともあった。
観光だけではない。
商社マンたるもの、「交渉術」は一つの重要なテクニックである。
相手国の国民性、考え方、背景にあるものの勉強は欠かせない。
交渉相手の意思決定がどのようになされるか、
観察、分析、考察、そしてコミュニケーションの試行錯誤を重ねて行く。
私とロシアとの関わり合いは深い。
第二外国語はロシア語を専攻した。
大学1年の夏、初めて計画した海外旅行は
シベリア鉄道を利用してのモスクワへの旅だった。
冷戦真っただ中、「世界を知るにはソ連を知る必要がある」
そんな思いから取り組んだ。
初めて見たロシアは、イタリア行きの機上から見るツンドラ地帯だった。
荒涼たる景色が果てしなく広がる大地。
コサックは、ここを東へ東へと進んでいったんだろうな。
窓にかぶりついて見た光景は未だに目に焼き付いている。
交渉で何度かロシアを訪れる機会があった。
出会った人々は、皆さん気の良い温和な人たちばかり。
「不毛地帯」でのシベリア抑留の描写等から思い描くロシアのイメージ。
思っていた強面で冷徹なロシア人像とは全く違っていた。
なんであんなことが起きてしまったのだろうか。
そんな中、事件は起こった。
度重なる交渉の一幕。
モスクワで急用が出来たとの事で、会社トップが会議に出れなくなった。
No.2以下の方と、少しでも情報交換や議論が出来れば良いと臨んだが
全く何もできなかった。
「トップの指示、許可がなければ 何も話せません。」
何だろう、これは。分析してはいたが ここまで一人が牛耳る組織とは。
過酷な自然環境の中では、一神教が広まりやすいという。
リーダーの指示の下、一糸乱れぬ行動が必要とされる。
隊列を崩せば、それは死に繋がりかねない。
逆に言うと、リーダー以外は思考停止、盲目的な追従が必要となる。
ここで宗教を論じるつもりはないが、一般論として聞く話である。
個々を見ず、一括りにして論じるのは良くないこと。
でも今のロシアを見ていると、あの時の分析を思い出す。
何故ここまで一人の人間を、絶大な権力者にしてしまったのか。
人々はそれを許し、寧ろ依存してきた。
国の歴史を見ると、一度ではない。起こるべくして起きている。
もはや、国民性だ。
「ロシア軍、ロシア軍」と言うが、結局それは人ではないか。
行われている事は、人としてあるべき姿を完全に逸脱している。
思考停止して、上に従っているだけだ。
軍紀に従い、絶対服従、軍隊とはそういうものだろう。
でも、それはそれ。
軍隊のあるべき姿等、知ったこっちゃない。
兎に角、上が何を言おうが、間違っている事は間違っている。
盲目に従えば良いというものではない。
振り返って、自分の周りで思う事。
私の属する組織は、そんな形にはしたくない。
あってはならない事だ。
自分では納得できなくとも、業務命令には従う。
とは言え、法律違反だと思えば、業務命令だろうと従わない。
コンプライアンス問題しかり。
個々人が独自の判断基準を持ち、それぞれが考えて行動する。
そういう組織であるべきだ。
既に始まってしまった専横者の大暴走。
もし自分がそこにいたら、今から何ができるかはわからない。
ただ先ずやるべき事は、そうした状態にならない様に努めるべきだ。
ロシア国内では個々には様々な動きが起きている様だ。
国民性という一般論。
とは言え、人は変われるものである。
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