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link 飛行中年 飛行中年 (2024/12/25 18:57:24)

feed 春の東北の旅 その3 (2022/5/18 20:18:46)

今日は、角館から盛岡、そして、宮沢賢治を訪ねて花巻に進みます。

 

今朝の朝食。

定番のうどんですが、この辺の名物のわかめの揚げ物に、さやいんげんを入れました。

朝食が終わった後は…。

豆からミルしたコーヒー…。

私…。車中泊の朝のコーヒーは、結構こだわっているんです。

 

まずやってきたのは、北の京、角館。

もうここに来るのは何回目でしょう。

桜が咲くころは、本当きれいです。

でも、新緑の角館もなかなか…。

歩いて、町をぐるっと回ります。

 

そのあとは、秋田駒ケ岳へ…。

ここの中腹に、私が知る限り、本州で最も遅く咲くソメイヨシノの並木があるのですが…。

さすがに遅すぎましたね!でも、まだ、少しだけ花がついていました。

 

残念でしたが次に進みます。

やってきたのはぴょんぴょん舎。

冷麺が有名なお店ですね!

私もここに来るのは久しぶりです。

もちろん、注文するのは冷麺。

今の季節はナシが入るんですね!

いつもはスイカが定番だったと思います。

 

昼食も済ませて…。

今回の旅のメインイベント!

宮沢賢治記念館。

宮沢賢治は、生前はまったく無名の人でした。

有名になったのは、彼の死後なんです…。

生きていた時は、周りからは、ただの変わり者的な扱われ方だったようで…。

でも、彼が作り出した童話は、後に多くの人の心をつかむことになります。

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」の一部分に…。

「褒メラレズモセズ、苦ニモサレズ…。」というところがありますが…。

これって、ある意味、「がんばってはいるんだけど、誰も認めてくれない…。でも、それはそれでよい…。」という、彼

自身の慰め、諦めを表現しているように、私には感じられます。

でも…。

宮沢賢治は、理想ばかり追い求めていたかもしれませんが、常に人として正しい生き方を貫いた人です。

そんな彼の生き方は、私は大好きです!

 

宮沢賢治記念館の後は、彼自身が名付けたイギリス海岸へ。

残念ながら、名前の由来となった、白い川底は増水で見えません…。

この白い川底が、イギリス ドーバー海峡の崖と同じ地質だったため、宮沢賢治はこの名前を付けたそうです。

 

お次に向かったのは…。

花巻空港。

実はこの空港、今回の私の旅のBGMで聞いていた、松任谷由美の「緑の町に舞い降りて」が、テーマ曲としていつも流さ

れています。

そして、ここには、ちょっとマニアックなものが…。

零戦のプロペラ及び、ハミルトン式可変ピッチ機構です。

もちろん本物です。

(可変ピッチ機構とは、自動車や自転車の変速ギアのようなもので、速度によって効率の良いプロペラの角度に変えるも

の)

現在、このハミルトン式可変ピッチ機構を使った飛行機は、すでに日本にはなかったと思います。

私の記憶が正しければ、航空自衛隊でかつて使っていた練習機T6が最後だったと思います。

このハミルトン式可変ピッチ機構には、ちょっとした逸話があります。

もともとこの機構はアメリカの特許。

太平洋戦争の開戦とともに、三菱が零戦をはじめ多くの飛行機にこの機構を採用しましたが、戦争中であったため、その

特許料を支払っていませんでした。

しかし、それではまずいだろうと、終戦後、三菱はアメリカにこの特許料を支払いに行きます。

「1セントもごまかすつもりはないから、特許料を請求してくれ。」と、いったところ…。

「じゃ、特許料は1ドルだ!1セントもまけないからな!」と、返されたそうです…。

おそらくですが…。

太平洋戦争開戦の初期だけとはいえ、アメリカ軍を苦しめるほどの零戦を作った、日本の技術者に対する畏敬の念が

あったのだと思います。

こんな逸話も既に忘れ去られそうなので、ちょっとこのブログに書いておきます。

 

花巻空港を後にして向かったのは昔話の里、遠野。

今夜はここで一泊です。

夕食は…。

ダッチオーブンの蓋で、鶏肉バーべキュー。

それに…。

三陸、山田町産のシラスの刺身にサラダです。

明日は三陸を巡ります。

 


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