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<飛丸日記 6月2日> 最大の難題:「未来の予見」
飛丸日記
(2024/12/25 18:57:24)
<飛丸日記 6月2日> 最大の難題:「未来の予見」 (2022/12/4 23:10:51)
「次男のお前には財産分与はしない。その代わり好きにやれ。」
そう言われて育ち、正にその通りにしてきた私だが、
「世の中、一寸先はわからない。」
2012年11月、経営難からの過労で、兄貴が急死。
「悪いけど継ぐ気はないので会社を畳んどいてね。」
非情な息子である。とは言え、ドバイ駐在中。
「青山の我が社」で大役を担い、出来る事は何もない。
2018年1月、親父が急死。今度はブルネイ駐在中。
帰国し、初めて帳簿を見る。
親父は兄貴の立てたプログラムに従い、会社を立て直していた。
流石、我が人生で尊敬する方、No.1、No.2である。
一方でとんでもない隠れ負債を抱え、そこから先に進めない。
会社を畳むかどうかはさておき、潰すに潰せない状態だった。
突如事業継承する事になった「静岡の我が社」
打開策は兼業しか見当たらない。
「青山の我が社」に頼み込む。
「社長にはなるな、代表取締役になってもいいが一人だけはあかん。」
「給与はもらうな」「営業時間中にやるな」「ビジネスで競合するな」
条件付きながらも、何とか「青山の我が社」の了解を得る。
「代表取締役・会長」に就任。
お袋を「代表取締役・社長」に仕立て、ブルネイから「遠隔経営」を行う。
「ブルネイ駐在中なので、当面は訪問は出来ません。帰任したらお伺いします。」
弔事休暇の3週間で、46社を訪問する。社員さんとも面談を重ねる。
その後年に2回帰国して「帰省会議」を行い、都度全社員と面談、何とかしのぐ。
2019年10月、病もあって気力が落ちたお袋が、続投を固辞。
「農業起業家」の大学ハンググライダー部の後輩にラブレターを書く。
「静岡の我が社」への参画を依頼する。
お願いした役職は、「代表取締役・総務部長」
これまた筑波からのリモート・ワークである。
2020年4月、ブルネイ駐在より帰任。
時はコロナの真っ盛り。
帰国後は月一回は帰省せねばと思っていたのだが、それが出来ない。いや、これ幸い。
客先訪問はコロナを理由に出来ず、また世はZoomが普及し便利になる。
今にして思うと、「時代の先行く、リモート・マネジメント」だ。
その間、2018年8月、「経営をやりたい人」を募集して、工場長を交代する。
2020年10月、社長に就任して頂く。
「代表取締役・会長・CEO」「代表取締役・総務部長」「社長・COO」のトロイカ体制。
権力集中を避け、うまく体制が組めたと、自画自賛していたのだが
「世の中、一寸先はわからない。」
2020年9月「代表取締役・総務部長」がご自身でハングのショップを始められ、
掛け持ちで多忙になる。
2022年6月、「静岡の我が社」を去る事になる。
ハング界の後進育成は、私が願う事。成功を祈る。
「社長・COO」に代表取締役に就任して頂く。
結果、「代表取締役・会長・CEO」「代表取締役・社長・COO]
気が付くと、「青山の我が社」と同じである。
紆余曲折、七転八倒、収まるところに収まった。
今度こそ、一つの最終形。
今後は「代表取締役・社長・COO」の成長を促し、次世代の育成も行う。
目指すは、「持続発展可能なシステムの構築」
社会課題の一つ、事業継承問題。
「親族によらない町工場の事業継承」に取り組む。
昨今、常々考え、発信している事。
「未来を予見し、やるべき事をやる、やれる事をやる。やりたい事をやる。」
「未来の予見」が最大の難題である。
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<飛丸日記 6月2日> 最大の難題:「未来の予見」 (2022/12/4 23:10:51)
「次男のお前には財産分与はしない。その代わり好きにやれ。」
そう言われて育ち、正にその通りにしてきた私だが、
「世の中、一寸先はわからない。」
2012年11月、経営難からの過労で、兄貴が急死。
「悪いけど継ぐ気はないので会社を畳んどいてね。」
非情な息子である。とは言え、ドバイ駐在中。
「青山の我が社」で大役を担い、出来る事は何もない。
2018年1月、親父が急死。今度はブルネイ駐在中。
帰国し、初めて帳簿を見る。
親父は兄貴の立てたプログラムに従い、会社を立て直していた。
流石、我が人生で尊敬する方、No.1、No.2である。
一方でとんでもない隠れ負債を抱え、そこから先に進めない。
会社を畳むかどうかはさておき、潰すに潰せない状態だった。
突如事業継承する事になった「静岡の我が社」
打開策は兼業しか見当たらない。
「青山の我が社」に頼み込む。
「社長にはなるな、代表取締役になってもいいが一人だけはあかん。」
「給与はもらうな」「営業時間中にやるな」「ビジネスで競合するな」
条件付きながらも、何とか「青山の我が社」の了解を得る。
「代表取締役・会長」に就任。
お袋を「代表取締役・社長」に仕立て、ブルネイから「遠隔経営」を行う。
「ブルネイ駐在中なので、当面は訪問は出来ません。帰任したらお伺いします。」
弔事休暇の3週間で、46社を訪問する。社員さんとも面談を重ねる。
その後年に2回帰国して「帰省会議」を行い、都度全社員と面談、何とかしのぐ。
2019年10月、病もあって気力が落ちたお袋が、続投を固辞。
「農業起業家」の大学ハンググライダー部の後輩にラブレターを書く。
「静岡の我が社」への参画を依頼する。
お願いした役職は、「代表取締役・総務部長」
これまた筑波からのリモート・ワークである。
2020年4月、ブルネイ駐在より帰任。
時はコロナの真っ盛り。
帰国後は月一回は帰省せねばと思っていたのだが、それが出来ない。いや、これ幸い。
客先訪問はコロナを理由に出来ず、また世はZoomが普及し便利になる。
今にして思うと、「時代の先行く、リモート・マネジメント」だ。
その間、2018年8月、「経営をやりたい人」を募集して、工場長を交代する。
2020年10月、社長に就任して頂く。
「代表取締役・会長・CEO」「代表取締役・総務部長」「社長・COO」のトロイカ体制。
権力集中を避け、うまく体制が組めたと、自画自賛していたのだが
「世の中、一寸先はわからない。」
2020年9月「代表取締役・総務部長」がご自身でハングのショップを始められ、
掛け持ちで多忙になる。
2022年6月、「静岡の我が社」を去る事になる。
ハング界の後進育成は、私が願う事。成功を祈る。
「社長・COO」に代表取締役に就任して頂く。
結果、「代表取締役・会長・CEO」「代表取締役・社長・COO]
気が付くと、「青山の我が社」と同じである。
紆余曲折、七転八倒、収まるところに収まった。
今度こそ、一つの最終形。
今後は「代表取締役・社長・COO」の成長を促し、次世代の育成も行う。
目指すは、「持続発展可能なシステムの構築」
社会課題の一つ、事業継承問題。
「親族によらない町工場の事業継承」に取り組む。
昨今、常々考え、発信している事。
「未来を予見し、やるべき事をやる、やれる事をやる。やりたい事をやる。」
「未来の予見」が最大の難題である。
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