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feed <飛丸日記 6月2日> 最大の難題:「未来の予見」 (2022/12/4 23:10:51)
221111 TMC 富田工場
221111 TMC 富田工場 敷地
221111 TMC 本社工場
221111 TMC 富田工場 NC旋盤

「次男のお前には財産分与はしない。その代わり好きにやれ。」
そう言われて育ち、正にその通りにしてきた私だが、
「世の中、一寸先はわからない。」

2012年11月、経営難からの過労で、兄貴が急死。
「悪いけど継ぐ気はないので会社を畳んどいてね。」
非情な息子である。とは言え、ドバイ駐在中。
「青山の我が社」で大役を担い、出来る事は何もない。

2018年1月、親父が急死。今度はブルネイ駐在中。
帰国し、初めて帳簿を見る。
親父は兄貴の立てたプログラムに従い、会社を立て直していた。
流石、我が人生で尊敬する方、No.1、No.2である。
一方でとんでもない隠れ負債を抱え、そこから先に進めない。
会社を畳むかどうかはさておき、潰すに潰せない状態だった。
突如事業継承する事になった「静岡の我が社」
打開策は兼業しか見当たらない。
「青山の我が社」に頼み込む。

「社長にはなるな、代表取締役になってもいいが一人だけはあかん。」
「給与はもらうな」「営業時間中にやるな」「ビジネスで競合するな」
条件付きながらも、何とか「青山の我が社」の了解を得る。
「代表取締役・会長」に就任。
お袋を「代表取締役・社長」に仕立て、ブルネイから「遠隔経営」を行う。
「ブルネイ駐在中なので、当面は訪問は出来ません。帰任したらお伺いします。」
弔事休暇の3週間で、46社を訪問する。社員さんとも面談を重ねる。
その後年に2回帰国して「帰省会議」を行い、都度全社員と面談、何とかしのぐ。

2019年10月、病もあって気力が落ちたお袋が、続投を固辞。
「農業起業家」の大学ハンググライダー部の後輩にラブレターを書く。
「静岡の我が社」への参画を依頼する。
お願いした役職は、「代表取締役・総務部長」
これまた筑波からのリモート・ワークである。

2020年4月、ブルネイ駐在より帰任。
時はコロナの真っ盛り。
帰国後は月一回は帰省せねばと思っていたのだが、それが出来ない。いや、これ幸い。
客先訪問はコロナを理由に出来ず、また世はZoomが普及し便利になる。
今にして思うと、「時代の先行く、リモート・マネジメント」だ。
その間、2018年8月、「経営をやりたい人」を募集して、工場長を交代する。
2020年10月、社長に就任して頂く。
「代表取締役・会長・CEO」「代表取締役・総務部長」「社長・COO」のトロイカ体制。
権力集中を避け、うまく体制が組めたと、自画自賛していたのだが
「世の中、一寸先はわからない。」

2020年9月「代表取締役・総務部長」がご自身でハングのショップを始められ、
掛け持ちで多忙になる。
2022年6月、「静岡の我が社」を去る事になる。
ハング界の後進育成は、私が願う事。成功を祈る。
「社長・COO」に代表取締役に就任して頂く。
結果、「代表取締役・会長・CEO」「代表取締役・社長・COO]
気が付くと、「青山の我が社」と同じである。
紆余曲折、七転八倒、収まるところに収まった。

今度こそ、一つの最終形。
今後は「代表取締役・社長・COO」の成長を促し、次世代の育成も行う。
目指すは、「持続発展可能なシステムの構築」
社会課題の一つ、事業継承問題。
「親族によらない町工場の事業継承」に取り組む。

昨今、常々考え、発信している事。
「未来を予見し、やるべき事をやる、やれる事をやる。やりたい事をやる。」
「未来の予見」が最大の難題である。



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