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コレヒドール島の叔父さん…。 (2023/7/3 20:35:36)
つい先日、仕事で実家の近くに行ったので、ご先祖様のお墓にお参りしたのですが…。
ずっと気になっていたことがあるんです。
それは…。
墓石に、私のおじさんにあたる方が、「コレヒドール島にて戦死」と、書かれていることなんです…。
このことが、どういうことを意味しているのか…。
恥ずかしながら、私は結構大人になるまで、全く知りませんでした。
そのことが…。
ここに眠るおじさんに対して、本当に申し訳なく感じているのです…。
そもそもコレヒドール島とは何なのか…。
この島は、ヒィリピンのマニラ沖にある島のことです。
太平洋戦争時、この島は、アメリカ軍との壮絶な奪い合いがあった場所なのです。
ご存じのように、太平洋戦争は、環太平洋の島々が、日本軍とアメリカ軍との奪い合いになった戦争なのです
が…。
この奪い合いの中で、とりわけ、ヒィリピンのマニラは重要な場所とされていました。
そのマニラを守るためには、その玄関口に位置していた、このコレヒドール島を押さえることが、とても重要とさ
れていたのです。
そのため、太平洋戦争開戦早々、このコレヒドール島の壮絶な奪い合いが、日本軍とアメリカ軍との間で繰り広げ
られたのです。
もともと、戦争が始まる前は、このコレヒドール島は、アメリカ軍の支配下にありましたが、太平洋戦争開戦早々
に、日本軍がこの島を占領します。
しかし、戦局が悪化していく中で、終戦前には、再びアメリカ軍がこの島を奪い返すことになりますが…。
その間、大変な戦闘が、この島で繰り返されたのだそうです。
日本軍、アメリカ軍。お互い相手にこの島だけは渡してはなるものかと、激しい戦闘が繰り広げられました。
私の叔父さんは、この戦闘の中で戦死したのです。
一体どのような気持ちで、この戦闘に、叔父さんは参加していたのか…。
どんな不安の中で戦っていたのか…。
どんな苦しい思いをしていたのか…。
そして、どんな辛い思いをしていたのか…。
今の私には、とても想像が出来ない世界だと思います。
そんな、私の叔父さんがつらい思いをしていたことを、ずっと大人になるまで知らなかった私自身が、正直、私は
恥ずかしく思っているのです。
私の父親は、この戦死した叔父さんの弟にあたりますが…。
父親は、戦死した叔父さんのことについては、一切口に出したことがありません。
だから、私もこの事実については、ずっと知らなかったわけですが…。
おそらく…。
私の父親も、戦争については、語りたくはなかったのでしょう。
ただ、私の父親は、テレビなどで太平洋戦争の映像などが流れたときは、何も言わずに悲しそうな目でその映像を
見ていたことだけは覚えています。
今は、私は実家から遠く離れた場所で生活する身となりましたが…。
せめて、実家の近くに行った時くらい、このお墓にお参りする…。
そんなことくらいしか、今の私には、出来ないと思います…。