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feed <飛丸日記 8月1日> 「ある町工場の物語」 (2023/8/4 14:47:21)
230804B-F000-冨原淳実家
230804 親父 教訓

7月24日、自宅に寄った時、躊躇しながらも喪服と思われる服を持つ。
7月27日、お通夜当日朝、ケースを開ける。
んんん!!!どう見ても濃い青だ。喪主である。流石に許されない。
式典開始まで後4時間、娘と共に、隣町に喪服を買いに行く。
相変わらずアホやなあ。喪服は何処にあるんだろう?
最後に使ったのは何時だ?
ん?親父の葬式の筈だ。実家にあるかもしれない!
娘が実家にいる息子に電話をする。探してもらう。慌てて引き返す。
一件落着。我が子供たち、素晴らしい連携プレーである。
いやそもそも、手間のかかる親父だ。

無駄に持ってきてしまった背広服。
伊藤忠を退職する今、もう着る機会もないだろう。
いや、世の中はうまく出来ている。今日は背広を着て行こう。
8月1日(月)、この機会にメイン・バンクの新支店長とのご挨拶。いざ出陣。

「伊藤忠では、ブルネイ・プロジェクトで銀行団に300億円以上の融資をして頂く等、
銀行さんとは直接お付き合いする機会が多かったです。
融資先の与信リスクに対し、時に担保を取らないといけない事はわかります。
でも、どうしても気持ちが収まりません。
交代のご挨拶の直後に説明もなく行うと、問題になるかもしれません。
事前にお話しさせて下さい。」

「つい最近、実家の土地建物の登記資料を取り寄せる機会がありました。
昭和57年9月29日、実家に数千万円の担保設定がされている事に気が付きました。
9月29日と言えば、葬儀の喪主挨拶で話した洪水の、僅か十数日後です。
倒産するかもしれないと親父が言っていたのを覚えています。
私は大学に行けないかもしれないと思いました。
担保設定をして追加融資をして頂いたのかも知れません。
地域に根差す地方銀行として、きちんと対応されたのでしょう。
御行が過去弊社に御支援して頂いた事には、改めて御礼を申し上げます。
只、その時の親父の気持ちを思うと、どうしてもすんなりと納める事は出来ません。
気持ちが収まるまで、貴行に預けているお金を、可能な限り他行に移させて頂きます。

兄貴が亡くなり、親父が亡くなり、お袋と遠隔経営でなんとかつないできた町工場。
私が会社を継げたのも、無借金経営まで会社を持って来てくれていたお陰だ。

実家で弔問客を迎える中、親父から受けた薫陶が書いてある額を目にする。
「人としていきる。これがこの道。さてもさても理。」
親父、お袋、兄貴、3人の遺影に向かい、話す。
「親父悪い、私はまだまだその域には達しない。」
身近で起きている事だけでなく、ウクライナとロシアの問題。
中国と台湾、アメリカとの問題等など。
思うに「世の中を動かしているのは感情である。」
「人の想い」こそ、私は大切にして生きて行きたい。

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