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feed <飛丸日記 8月6日> 「あるフライヤーの物語」 (2023/8/13 1:13:52)
230809 マケドニア世界選手権 板垣直樹 2位をフライト中

お袋が亡くなってから二週間、喪主としての仕事に追われる。
時には真正面から受け止めなくてはならない事、避けてはならない責任がある。
いや、5年前、親父の葬儀の時に思った事、これは、日本の素晴らしい仕組みである。
忙殺されて、故人を偲ぶ時間が十分に取れない。
一番落ち込んでいる時に悲しんでいる暇がない。
世の中、うまく出来ている。

一旦東京に戻り、改めて来てくれた娘。計10日間の付き添い。ありがたい限りである。
8月6日、やるべき事を後にして、止む無く静岡を後にする。
37年来の友人、その方の葬儀への参列の為だ。

「憧れの先輩➁」(http://tobimaru888.blog.fc2.com/blog-entry-522.html)と共に
初めてお会いした時の事は、今でも覚えている。後光がさしていた。
この方を「憧れ」とは言いたくない。
娘さんが選んだというその遺影。正にこの方を物語っている。
故人に対して、失礼ながら、自信に満ちた、ちょっとふてぶてしいその写真。
でも事実、才能に満ち溢れた方だった。ここまでの人は中々いない。
悪い癖。直ぐランキングする。
明らかに「自分の人生に影響を与えたベスト8」の一人である。
遺影を前に、故人との様々な思い出が浮かぶ。

私が日本記録を出した1988年4月17日。
夜通しかけて回収を行い、伊藤忠に辿り着く。
パソコンの陰で爆睡していると、この方からの電話で呼び出された。
「お前、日本記録を出しておいて、俺のところに連絡してこないとは、どういうつもりだ。」

私が出したのは、長距離フライトの日本国内記録。日本記録ではない。
日本<人>記録が更新されたNHKニュースを実家で見た時の光景は、今でも覚えている。
やられた。
なんて人だ。きちんと組み立て、アメリカまで飛びに行き。ニュースになる手配までしている。
その後、今やヨドバシカメラの社長になっている方等と、記録更新狙いにアメリカに行く。
後数キロで届かなかった。

将来はオリンピック種目になるとの噂もあり、世界選手権を目指す等、今以上に競技熱が凄かった。
1989年スイスでの世界選手権。参加枠は6人。一週間掛けて富士山麓で行われた世界選手権選考会。
立ちはだかったのはこの方だった。私は次点、7番目となり参加できず。
ところが大会前日、練習フライトで怪我をされた。私を呼ぶか議論となったが、自分は出ると言い張ったとか。
大会初日、グライダーを構えるところまで行き、そこで断念されたとか。
呼ばれたら、会社をおっぽり出して行っていただろう。
お陰で36年間、辞めずに伊藤忠に勤める事が出来た。ある意味、恩人である。

式場で幾つもの思い出が頭をよぎる。
ハング界の大革新「ツノ無し」の登場。
構造材をカーボンとする事で、空気抵抗となる支柱を無くす。
この方はハング・メーカーの日本ディーラーとなり、いち早く輸入された。
「今度の日本選手権は俺が取る。これだけの高性能機ならそれ以外の奴は敵ではない。」
有言実行、その年、この方は何度目かの日本選手権者になった。

更なる素材の進歩が続き、高性能機がクラス分けされる中、
私は初めて2014年フランスでの世界選手権に参加できた。
2週間行われる大会にはフル出場できず、途中で帰国。
その数日後、ルームメイトだった友人が、フライト中の事故で亡くなった。
葬儀で聞くと、この方が亡くなったのは、フランスの同じエリア、あの崖である。

載っていたのはハンググライダーではなく、パラグライダーである。
葬儀の喪主ご挨拶で聞いたお話し。暫く飛ぶことからは遠ざかっていた。
ヨットで単独太平洋横断をしたりしていた。
数年前、体力の衰えもあり、パラグライダーを再開した。
年老いても飛び続ける為に、最近パラグライダーを始めた私。
考えさせられる。

2015年8月。
翌年行われるマケドニア世界選手権の練習に、プレ大会に参加する。
ブログに書いた「マケドニア戦記」だ
(http://tobimaru888.blog.fc2.com/blog-entry-123.html)
京都盆地を数倍にしたスケール、なだらかな山並み。
そんな中、一か所だけ。思い出したくない同じような崖があった。

人には言えないとんでもない話。
2022年12月、翌年の世界選手権の参加意思確認が上から順に行われる。
世界戦に行くにはかなりの休みを取る必要がある。辞退者が相次ぐ。
「私が辞退したらトミーが行けるから。」
暖かいお言葉もあり、下位の私まで順番が回って来る。
会社を辞めれば、今度はフル参加できる。
翌日、某社の社長に第一声のメイルをした。
「今までお世話になっていて申し訳ありませんが、会社を辞める事にしました。」

世界選手権の場所はまたマケドニア。
その後いろいろあって、結局、私は世界選手権には参加しなかった。
8月8日、世界戦の同時中継が始まる。
頑張れ、日本。
連夜の応援。落ち込んでいるこのタイミングでのこの大会。
これも神様の気まぐれか。


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