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link 飛行中年 飛行中年 (2024/12/25 18:57:24)

feed とんでもない人力飛行機発見!! (2023/10/26 19:33:57)

私は茨城県の石岡市在住。

直ぐ隣に、筑西市という街があるのですが…。

この筑西市には、「ヒロサワシティー」という施設があります。

このヒロサワシティーには、バイクや車、電車、そして、飛行機の博物館があるんです。

現在は、まだ、これらの博物館の多くは整備中で、残念ながら、一般公開されているものは少ないのですが…。

当然ですが…。

私は飛行機好きなため、このヒロサワシティーの航空機博物館が気になって仕方がない!

聞けば、このヒロサワシティーの航空博物館には、あの、国産旅客機第一号のYS-11の一番機、更には、零戦5

2型の実物なども展示されているようです!

当然、そのヒロサワシティーのHPページをちょくちょく私は開いていたのですが…。

 

そこで、私はとんでもない飛行機が、そのヒロサワシティーに展示されていることに気がついてしまったんです!!

…。

 

して、これが、問題のヒロサワシティーのHP内の航空博物館の写真ですが…。

お! 確かに、YS-11型機に零戦52型、更には、シコルスキー58などがありますね!

…。

ん!…。

何やら右上端に、人力飛行機らしき機体が…。

 

ええええええ!!!

この人力飛行機、どう見ても、あの伝説の人力飛行機、「ストーク」じゃないですか!!!

 

まさか、この伝説の人力飛行機が、現在に残っていたなんて…。

この機体、現在、琵琶湖で毎年行われている「〇人間コンテスト」の人力飛行機のベースとなったといっても過言で

はない機体です!

 

このストーク、今から48年も前に、日大理工学部にて、戦後の日本の航空界の巨頭、木村秀政氏の指揮のもと、

人力飛行機の世界記録を塗り変えるべく製作された機体なのです!

このお話を進めていくうえで、まずは「木村秀政氏」について、ご説明しなければなりませんね!

 

この方、日本の戦後の航空界の父と言われている方です。

既にお亡くなりになられていますが、第二次大戦の前後にかけて、航続距離の世界記録を作った「航研機」や、ロケ

ット戦闘機の「秋水」、更には、上の写真にもあるYS‐11型機のとりまとめなども手掛けられた、日本航空界の偉大

なる存在なのです!

 

敗戦後、日本はアメリカからの指示で、約8年の間、航空機の開発の停止を命じられました。

実は、戦争中、日本が開発した航空機が、思いのほか高性能だったため、その発達をアメリカが恐れたための処置だ

ったといわれています。

この日本に対する航空機開発禁止令のなか、それまで世界の第一線を走っていた、多くの日本の航空技術者は、フラ

ストレーションをかかえることとなります。

優秀な航空機を設計できる力があるのに、それが出来ない…。

零戦を設計した堀越、飛燕を設計した土井、一式陸攻を設計した本庄、そして、木村秀政…。

多くの航空技術者が悔しい思いをすることとなります。

 

しかし、彼らのフラストレーションを吹き飛ばす出来事が起こります!

国産技術にて、新しく輸送機を作ろうというプロジェクトが立ち上がったのです!

 

輸送機,設計…。Y、S。 それに、国産エンジン1号。機体1号。

名付けてYS-11です!

 

この新しい国産飛行機のとりまとめを、木村秀政氏が行うこととなります。

木村氏の他、多くの技術者の協力の元、日本の国土で使うにあたり、優秀な性能を持つ、YS‐11が完成しました。

 

木村氏は、その後も日本の航空界の発展のために、尽力します。

その活動の一つが、若い技術者の卵たちを育てるために、彼らに人力飛行機の開発を勧めたのです。

 

人力飛行機は、一見お遊びに見えますが、そこには、高い知識と技術力、そして、何よりも飛行機作りには欠かせな

い「チームワーク」が必要です。

そんな、飛行機作りには必要不可欠なものを、木村氏は若い人たちに身に着けて欲しかったんですね!

 

木村氏はそのほかにも、読売テレビからの要請で、毎年琵琶湖で開催されている〇人間コンテストの初代審査員など

も手掛けられています。

私は一度だけ、高校生の時、琵琶湖の会場にて、木村氏を遠くから拝見したことがあるくらいですが…。

間接的には、現在、同大会にて、木村氏の後を引き継ぐ形にはなりましたが、直接的には同氏との接点がないことが

残念…。

 

このストークという人力飛行機、まだCFRPもなかった時代に、スプルース材、バルサ、ヒノキ、そして、模型飛行

機用のガンピと言われる和紙を張り、仕上げに確かドープという塗料を使ったと記憶しています。

そのような天然素材だけで作られていたにもかかわらず、ストークは30キログラム台の重量に収められていた

と思います。ストークの詳細についてはこちら→ 人力飛行機

 

とにかく、このストークが現存していたことが驚きです!

よくぞ48年間も保存していたと思います。

現在の人力飛行機のように、CFRPやスタイロホームなどは一切使わず、非常に手間がかかる工法で丁寧に作られた

機体です。

 

大変貴重な機体なので、このヒロサワシティーで恒久的に保存していただけることは、とても喜ばしいことだと思い

ます!

〇人間コンテストで、人力飛行機の製作を夢見る若者は、是非、この機体を見ることをお薦めいたします。

天然素材だけでも、これだけの人力飛行機が作れるということに、きっと驚かれると思いますよ!

 


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