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<飛丸日記 6月26日> TMC 「BCP(事業継承計画)の考察」
飛丸日記
(2024/10/31 8:42:30)
<飛丸日記 6月26日> TMC 「BCP(事業継承計画)の考察」 (2023/12/30 4:38:46)
頂いた二つ目のアドバイス。
「いろいろとやりたい事があるのはわかった。
でも、先ずベースとなる軸足を何処に置くか決め、それを固めよ。」
私に取っての軸足、それは「株式会社 トミハラ」であるのは間違いない。
6月後半、先ずはコロナ以来久々にお客さん周りをする。
いや、実はコロナを口実に訪問していなかっただけ。
世の中はうまく出来ている。帰国後初めての訪問である。
自動車関連ビジネスが7,8割。
事業存続には、第二の柱の存在が欠かせない。
事業継承以来二度目の名古屋出張、
TMC(TOMIHARA Corporation) 「BCP(事業継続計画)の考察」 と銘打って
プレゼンを行い、その後6か月掛けて話し合い、理解を得る。
とは言え、冨原家は何時かは抜けなくてはならない。
親父が創業し、兄貴が継ぎ、また親父お袋と受け継がれてきた会社。
実は2018年、事業継承した時には大きな隠れ負債があった。
身動きが取れない。それがあって伊藤忠は兼業を特例で認めてくれた。
ありがたい会社である。
2022年9月、伊藤忠のお蔭で得た交渉力、そのおかげで問題は解決した。
いや結局のところ交渉とは誠心誠意、最善の形を目指す気持ちである。
さて、次のステップ。
自分はまだまだやれるが、子供には継がせられない。
この3月、息子の就職が決まった。
前々から継いでもらう気はなかったが、第三者的にも状況がはっきりした。
冨原家はいずれ離脱する必要がある。
会社を畳むか、売却なりするか、いや、会社の名前すら変えてもらう必要がある。
思った事。
会社というのはある一定規模にならないと、親族以外の社員への継承はできない。
親族内での継承は、個々人の自由意志の尊重や経営者としての能力の有無を考えると難しい。
後はそこまでとして畳むか、第三者への売却しかない。
無理な親族内での継承は、誰も幸せになれない。
創業の時代に、そこまで会社を大きくできるか否かが勝負である。
創業61年、(株)トミハラはそこまでにはなれなかった。
金属精密加工業、この分野では全く知見がない私、すべきことは見えている。
廃業か事業売却等による事業継承。
不思議な事に、今まで伊藤忠等でやってきた9つのプロジェクトでノウハウは十分ある。
只、廃業は滔滔と進めて行けばできるが、事業継承を目指した売却はかなりの労力が掛かる。
親父お袋兄貴とやってきた事業、できれば廃業はしたくない。
勿論、働いている社員さんの事、お世話になっている取引先の事も考えればそれがベストだ。
ここは、事業存続を目指そう。
「冨原さんてほんとひどい人ですよね。
問題があって、兼業を認めて頂いたのに、解決したら伊藤忠を辞めてしまうなんて。」
「何言ってるの?これでトミハラを廃業せずに維持できた。事業継承もトライする。
最大の受益者はあなたなんですよ。」
実は社員さんに指摘されるまで全く気付かなかったのだが、確かにひどい話である。
相変わらず話が長いが、この話だけで終わるとお世話になった伊藤忠の皆さんが
誤解するといけないのでお話をしておくと、全ては偶然である。
当時担当していたProject10で会社の進め方に納得が出来ず、伊藤忠を辞める事にした。
正確には、時間が掛かり、自分が伊藤忠にいる間に終えられず、中途半端になる。
どうなるかわからないまま、伊藤忠を去る。そんな無責任な事は出来ない。
「次世代に負の遺産は残さない。」今を生きる者の務めである。
ありがたくもお偉いさんから4回も遺留されたが、
遺留の面談はほとんどプロジェクトの進め方の議論だった。
いや世の中に偶然などない。
「プランEを考えよ」
最低限5つのシナリオを考え、それぞれに対策を取っておき、状況に応じ選択する。
全てはハングライダーから学んだ教訓である。
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<飛丸日記 6月26日> TMC 「BCP(事業継承計画)の考察」 (2023/12/30 4:38:46)
頂いた二つ目のアドバイス。
「いろいろとやりたい事があるのはわかった。
でも、先ずベースとなる軸足を何処に置くか決め、それを固めよ。」
私に取っての軸足、それは「株式会社 トミハラ」であるのは間違いない。
6月後半、先ずはコロナ以来久々にお客さん周りをする。
いや、実はコロナを口実に訪問していなかっただけ。
世の中はうまく出来ている。帰国後初めての訪問である。
自動車関連ビジネスが7,8割。
事業存続には、第二の柱の存在が欠かせない。
事業継承以来二度目の名古屋出張、
TMC(TOMIHARA Corporation) 「BCP(事業継続計画)の考察」 と銘打って
プレゼンを行い、その後6か月掛けて話し合い、理解を得る。
とは言え、冨原家は何時かは抜けなくてはならない。
親父が創業し、兄貴が継ぎ、また親父お袋と受け継がれてきた会社。
実は2018年、事業継承した時には大きな隠れ負債があった。
身動きが取れない。それがあって伊藤忠は兼業を特例で認めてくれた。
ありがたい会社である。
2022年9月、伊藤忠のお蔭で得た交渉力、そのおかげで問題は解決した。
いや結局のところ交渉とは誠心誠意、最善の形を目指す気持ちである。
さて、次のステップ。
自分はまだまだやれるが、子供には継がせられない。
この3月、息子の就職が決まった。
前々から継いでもらう気はなかったが、第三者的にも状況がはっきりした。
冨原家はいずれ離脱する必要がある。
会社を畳むか、売却なりするか、いや、会社の名前すら変えてもらう必要がある。
思った事。
会社というのはある一定規模にならないと、親族以外の社員への継承はできない。
親族内での継承は、個々人の自由意志の尊重や経営者としての能力の有無を考えると難しい。
後はそこまでとして畳むか、第三者への売却しかない。
無理な親族内での継承は、誰も幸せになれない。
創業の時代に、そこまで会社を大きくできるか否かが勝負である。
創業61年、(株)トミハラはそこまでにはなれなかった。
金属精密加工業、この分野では全く知見がない私、すべきことは見えている。
廃業か事業売却等による事業継承。
不思議な事に、今まで伊藤忠等でやってきた9つのプロジェクトでノウハウは十分ある。
只、廃業は滔滔と進めて行けばできるが、事業継承を目指した売却はかなりの労力が掛かる。
親父お袋兄貴とやってきた事業、できれば廃業はしたくない。
勿論、働いている社員さんの事、お世話になっている取引先の事も考えればそれがベストだ。
ここは、事業存続を目指そう。
「冨原さんてほんとひどい人ですよね。
問題があって、兼業を認めて頂いたのに、解決したら伊藤忠を辞めてしまうなんて。」
「何言ってるの?これでトミハラを廃業せずに維持できた。事業継承もトライする。
最大の受益者はあなたなんですよ。」
実は社員さんに指摘されるまで全く気付かなかったのだが、確かにひどい話である。
相変わらず話が長いが、この話だけで終わるとお世話になった伊藤忠の皆さんが
誤解するといけないのでお話をしておくと、全ては偶然である。
当時担当していたProject10で会社の進め方に納得が出来ず、伊藤忠を辞める事にした。
正確には、時間が掛かり、自分が伊藤忠にいる間に終えられず、中途半端になる。
どうなるかわからないまま、伊藤忠を去る。そんな無責任な事は出来ない。
「次世代に負の遺産は残さない。」今を生きる者の務めである。
ありがたくもお偉いさんから4回も遺留されたが、
遺留の面談はほとんどプロジェクトの進め方の議論だった。
いや世の中に偶然などない。
「プランEを考えよ」
最低限5つのシナリオを考え、それぞれに対策を取っておき、状況に応じ選択する。
全てはハングライダーから学んだ教訓である。
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