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<飛丸日記 2月18日> 「第二回卒業旅行」 完結編
飛丸日記
(2024/10/31 8:42:30)
<飛丸日記 2月18日> 「第二回卒業旅行」 完結編 (2024/2/26 9:43:51)
1987年3月「第一回卒業旅行」
大学の研究室の方々に、大阪伊丹空港まで見送ってもらった。
当時、海外に行くとはそういうものだった。
サンフランシスコからシカゴまでアメリカ大陸横断鉄道に乗り、
NY、ニューオリンズを訪れ、最後はデンバー経由でLAへ。
ニューオリンズでは、バスの中での乗客の会話が全く聞き取れず、
「流石南部、スペイン語で喋っているんだな」と思い聞き流していた。
そこに「Yes」という単語。驚愕した。「えっ、英語で話してたんだ!」
語学におけるヒヤリング能力は、「永遠の課題」である。
因みに中国語は2003年の駐在直後は英語より言いたい事が言えた。
でもヒヤリングはさっぱり。相手の会話を部下に翻訳してもらう。
私がしゃべり、相手がしゃべり、部下が訳す。三角会話だった。
現○○社長との思い出、ブルネイ・プロジェクトでガス供給先シェルと会食。
交渉相手曰く「お前の英語はテキサス訛りだなあ。」
流石、元ヒューストン駐在者、あの全く聞き取れない世界を生き抜いてきた方。
因みにこの方と会食に参加すると時々恩恵がある。
カニ嫌い、横に座った時にカニが出ると、大好きなカニが二人分食べられる。
嬉しい限りだった。
伊藤忠時代の話はもういいと思いながらも、流石にいろいろ思い出す。
もっと前、就職活動をした1986年の話。
黒板には学科に採用希望を出している企業名が書かれている。
成績一番の者から順に呼ばれていく。
「1番、□□君。」、前に出て、ソニーの横に名前を書く。
既に伊藤忠の内定をもらっていた私。
教室の後ろ、出入り口のところに陣取り、この異様な光景を眺めていた。
「みんなこんなんで、自分が働く会社を決めるのか。」
私は就職活動で、64社回った。
伊藤忠と三菱商事はダイビング部の先輩に最初に会って頂いた。
同じく内定をもらった三井物産はハンググライダーの先輩だった。
Project F2406 「2024年6月までに目途が立たなかったら再就職活動をする。」
39年ぶりにまた始まるかもしれない。
2月20日、取り合えず登録をしておこうと、ハローワークを訪問する。
これにて退職に伴う諸作業が終了した。
帰路にまた打ち上げで今月3回目の甲殻類料理、レッドロブスターで締める。
財布はある。今度はちゃんと支払った。
東北大学工学部精密機械工学科。
ソニーに入った自慢の兄貴も相当優秀な学業成績だったのだろう。
因みにこの時、二番目に呼ばれたのが今の嫁さんである。
高1の時、大学には行けないレベルの順位だった私。
兄貴に勉強を見てもらった事を覚えている。
高1の春、近くの山、火剣山に登って5つの夢を抱いてから世界が変わった。
①空を飛ぶ ②物理学を学ぶ ③家庭を持つ ④日本代表になる ⑤秘密。
ここまでに①から④までは達成して来た。
⑤は恥ずかしいので秘密だが、言ってみれば、親父、兄貴を超える事だ。
次男で生まれた者の、「永遠の課題」だろう。
兄貴はその後ソニーを辞めて(株)トミハラの社長になった。
(株)トミハラの自慢の一つは、「品質管理はソニー基準」である。
2012年、経営難から心労で兄貴が亡くなる。
2018年、癌で親父が急死する。
当時プレジデント、現社長にもお願いして、特例で兼業を認めてもらう。
「営業時間中にするな。給与はもらうな。社長にはなるな。」の3条件。
名義借りでお袋に社長になってもらい、何とか遠隔経営で会社を続ける。
生涯収入を遥かに超える隠れ負債問題があったが、5年掛けて何とかした。
これが出来たのは、明らかに伊藤忠で培った経験のお蔭である。
ありがたい限りだ。
親父越えを認めてくれたお袋も 昨年癌で急死した。
http://tobimaru888.blog.fc2.com/blog-entry-287.html
(2018年2月 親父を超えた日)
考えてみると高1の時に立てた5つの夢は、既に4.5達成している。
後は兄貴を超えるだけ。
いや、亡くなった方は普通は超えられるものではない。
これは「永遠の課題」だな。
旅行中に、もう一つ大きな出来事があった。
(株)トミハラの売却候補先が絞られ、面談スケジュールが決まったのだ。
昨年6月にM&A仲介の会社と契約、(株)トミハラの会社案内、企業概要書を作成した。
着々と準備を進め、幾つもの売却候補先を提示頂く等、ここまで作業が進んだ。
これは判断が難しいところだが、社員さんが疑心暗鬼にならないように、
私の方針や、現在の状況等を極力開示しながら進めている。
可能な限り情報を開示し、状況を理解し、その上でご自身で考えて頂く。
自分がその立場にいたら、どうなのか。うわさに振り回されるのは、徒労である。
2000年頃の伊藤忠商事、そのものだ。
とは言え、(株)トミハラを直ぐには事業売却したり、廃業するつもりはない。
親父、兄貴や自分がした苦労を、次世代にさせてはならない。
「次世代に負の遺産を残さない。」
人生の最低限のテーマである。
自分の先祖だけでなく、古代まで遡って人類を探求する。
先祖や両親、親族が残してくれたものをより良い形で次世代へとつなぐ。
自分が良いと思うものを世の中に広める。
自分が「あったら良いな」と思う仕組みを作り、未来へとつなげる。
そして「娘息子が羨む人生を送る。」
人生の面白さを見せつけ、その先へとつないでもらう。
2024年2月17日 息子と酒を飲み交わし、息子宅に泊まる。
翌日、いとこと共にゴルフをする。「第7回茶碗蒸しの会」
前後で回る方にご挨拶をする。「息子の人生初ゴルフなので遅いのをご容赦下さい」
やりたい事リスト 「子供とゴルフをする」、Doneである。
ダンディ36でも、20点勝ち。さて息子は何時私を抜くのだろうか。
Project YASATOを考えて、30年ぶりに元不動産部門の同期とやり取りを始めた。
2月22日、連絡先を教えてくれた同期も一緒に3人で呑む。3時間半語り合う。
20数年前、伊藤忠が潰れ掛けていた時に組織縮小で辞めた彼は
その後転職を重ね、驚いた事に、今は息子と同じ会社で働いていた。
何人もの上司が辞めて行ったあの頃の伊藤忠。
そう言えばあの時の課長は昨年4月に上場企業の社長になった。
二人の元課長と一人の元部長が今は上場企業の社長である。
採用担当の我々の兄貴分はファミリーマートの社長、元課長代行は会長。
直接見させて頂いたサラリーマン劇場は、これからは客席から眺めよう。
2024年2月「第二回 卒業旅行」とその後の2週間。
これからの人生に向け、貴重な考える時間となった。
「波乱の幕開け」から始まった一か月、
それにしても、人生は面白いものである。
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<飛丸日記 2月18日> 「第二回卒業旅行」 完結編 (2024/2/26 9:43:51)
1987年3月「第一回卒業旅行」
大学の研究室の方々に、大阪伊丹空港まで見送ってもらった。
当時、海外に行くとはそういうものだった。
サンフランシスコからシカゴまでアメリカ大陸横断鉄道に乗り、
NY、ニューオリンズを訪れ、最後はデンバー経由でLAへ。
ニューオリンズでは、バスの中での乗客の会話が全く聞き取れず、
「流石南部、スペイン語で喋っているんだな」と思い聞き流していた。
そこに「Yes」という単語。驚愕した。「えっ、英語で話してたんだ!」
語学におけるヒヤリング能力は、「永遠の課題」である。
因みに中国語は2003年の駐在直後は英語より言いたい事が言えた。
でもヒヤリングはさっぱり。相手の会話を部下に翻訳してもらう。
私がしゃべり、相手がしゃべり、部下が訳す。三角会話だった。
現○○社長との思い出、ブルネイ・プロジェクトでガス供給先シェルと会食。
交渉相手曰く「お前の英語はテキサス訛りだなあ。」
流石、元ヒューストン駐在者、あの全く聞き取れない世界を生き抜いてきた方。
因みにこの方と会食に参加すると時々恩恵がある。
カニ嫌い、横に座った時にカニが出ると、大好きなカニが二人分食べられる。
嬉しい限りだった。
伊藤忠時代の話はもういいと思いながらも、流石にいろいろ思い出す。
もっと前、就職活動をした1986年の話。
黒板には学科に採用希望を出している企業名が書かれている。
成績一番の者から順に呼ばれていく。
「1番、□□君。」、前に出て、ソニーの横に名前を書く。
既に伊藤忠の内定をもらっていた私。
教室の後ろ、出入り口のところに陣取り、この異様な光景を眺めていた。
「みんなこんなんで、自分が働く会社を決めるのか。」
私は就職活動で、64社回った。
伊藤忠と三菱商事はダイビング部の先輩に最初に会って頂いた。
同じく内定をもらった三井物産はハンググライダーの先輩だった。
Project F2406 「2024年6月までに目途が立たなかったら再就職活動をする。」
39年ぶりにまた始まるかもしれない。
2月20日、取り合えず登録をしておこうと、ハローワークを訪問する。
これにて退職に伴う諸作業が終了した。
帰路にまた打ち上げで今月3回目の甲殻類料理、レッドロブスターで締める。
財布はある。今度はちゃんと支払った。
東北大学工学部精密機械工学科。
ソニーに入った自慢の兄貴も相当優秀な学業成績だったのだろう。
因みにこの時、二番目に呼ばれたのが今の嫁さんである。
高1の時、大学には行けないレベルの順位だった私。
兄貴に勉強を見てもらった事を覚えている。
高1の春、近くの山、火剣山に登って5つの夢を抱いてから世界が変わった。
①空を飛ぶ ②物理学を学ぶ ③家庭を持つ ④日本代表になる ⑤秘密。
ここまでに①から④までは達成して来た。
⑤は恥ずかしいので秘密だが、言ってみれば、親父、兄貴を超える事だ。
次男で生まれた者の、「永遠の課題」だろう。
兄貴はその後ソニーを辞めて(株)トミハラの社長になった。
(株)トミハラの自慢の一つは、「品質管理はソニー基準」である。
2012年、経営難から心労で兄貴が亡くなる。
2018年、癌で親父が急死する。
当時プレジデント、現社長にもお願いして、特例で兼業を認めてもらう。
「営業時間中にするな。給与はもらうな。社長にはなるな。」の3条件。
名義借りでお袋に社長になってもらい、何とか遠隔経営で会社を続ける。
生涯収入を遥かに超える隠れ負債問題があったが、5年掛けて何とかした。
これが出来たのは、明らかに伊藤忠で培った経験のお蔭である。
ありがたい限りだ。
親父越えを認めてくれたお袋も 昨年癌で急死した。
http://tobimaru888.blog.fc2.com/blog-entry-287.html
(2018年2月 親父を超えた日)
考えてみると高1の時に立てた5つの夢は、既に4.5達成している。
後は兄貴を超えるだけ。
いや、亡くなった方は普通は超えられるものではない。
これは「永遠の課題」だな。
旅行中に、もう一つ大きな出来事があった。
(株)トミハラの売却候補先が絞られ、面談スケジュールが決まったのだ。
昨年6月にM&A仲介の会社と契約、(株)トミハラの会社案内、企業概要書を作成した。
着々と準備を進め、幾つもの売却候補先を提示頂く等、ここまで作業が進んだ。
これは判断が難しいところだが、社員さんが疑心暗鬼にならないように、
私の方針や、現在の状況等を極力開示しながら進めている。
可能な限り情報を開示し、状況を理解し、その上でご自身で考えて頂く。
自分がその立場にいたら、どうなのか。うわさに振り回されるのは、徒労である。
2000年頃の伊藤忠商事、そのものだ。
とは言え、(株)トミハラを直ぐには事業売却したり、廃業するつもりはない。
親父、兄貴や自分がした苦労を、次世代にさせてはならない。
「次世代に負の遺産を残さない。」
人生の最低限のテーマである。
自分の先祖だけでなく、古代まで遡って人類を探求する。
先祖や両親、親族が残してくれたものをより良い形で次世代へとつなぐ。
自分が良いと思うものを世の中に広める。
自分が「あったら良いな」と思う仕組みを作り、未来へとつなげる。
そして「娘息子が羨む人生を送る。」
人生の面白さを見せつけ、その先へとつないでもらう。
2024年2月17日 息子と酒を飲み交わし、息子宅に泊まる。
翌日、いとこと共にゴルフをする。「第7回茶碗蒸しの会」
前後で回る方にご挨拶をする。「息子の人生初ゴルフなので遅いのをご容赦下さい」
やりたい事リスト 「子供とゴルフをする」、Doneである。
ダンディ36でも、20点勝ち。さて息子は何時私を抜くのだろうか。
Project YASATOを考えて、30年ぶりに元不動産部門の同期とやり取りを始めた。
2月22日、連絡先を教えてくれた同期も一緒に3人で呑む。3時間半語り合う。
20数年前、伊藤忠が潰れ掛けていた時に組織縮小で辞めた彼は
その後転職を重ね、驚いた事に、今は息子と同じ会社で働いていた。
何人もの上司が辞めて行ったあの頃の伊藤忠。
そう言えばあの時の課長は昨年4月に上場企業の社長になった。
二人の元課長と一人の元部長が今は上場企業の社長である。
採用担当の我々の兄貴分はファミリーマートの社長、元課長代行は会長。
直接見させて頂いたサラリーマン劇場は、これからは客席から眺めよう。
2024年2月「第二回 卒業旅行」とその後の2週間。
これからの人生に向け、貴重な考える時間となった。
「波乱の幕開け」から始まった一か月、
それにしても、人生は面白いものである。
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