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link 飛行中年 飛行中年 (2024/11/1 21:06:04)

feed 私のブログ注目記事三選! (2024/5/31 16:04:05)

私は皆さんもお察しのように「オタク」です。

でも、オタクなだけに、結構ハマるととんでもないことを考え始めます。

それだけに、そんな私が書くブログは、結構突拍子もない「新説」も出たりして…。

意外と世間が驚くものも、今まで書いてきました。

それだけに、特定の記事に非常にアクセスが集中したりしています。

手前味噌ではありますが…。

そんなオタクな私が書く、皆さんからのアクセスが多い記事を、今回は三つご紹介します!

 

まず3位は、「 首長竜の首はなぜ長い? 」です。

北海道を旅している際、穂別町の博物館にて、私は首長竜の骨格標本を見たのですが…。

そこで私は、「首長竜の首はなぜ長いか、その理由が未だに分かっていない…。」ことを知ります。

そこから、想像だけで首長竜の首がなぜ長いのか、私は考えだしてしまったのです。

 

まず私は、今までの定説、「首長竜が水中を泳ぎ回っていた」という常識に疑問を感じます。

首長竜が水中を泳ぎ回っていたとしたら、あの長い首が、実は邪魔になってしまうことに気がついたからです。

加えて…。

首長竜が水中にいたとしたら、あの長い首を持ち上げたら、体が沈んで、その水圧で呼吸が困難になることにも気が

つきました。

これはどう考えても、首長竜は水中生活をしていたとは考えられません!

 

では、首長竜はどんなところで生活していたのか…。

あの特異な体の形が、住むのに適していた場所は…。

海の中の藻が生い茂ったその上を、のしのしと首長竜は歩き回っていた。

そして、藻の中に潜む生き物を、首長竜はその長い首を持ち上げて、上から見つけて捕食していた!

そんな結論を導き出しました。

そう考えると、先の水圧の問題や、首長竜のあの独特な体の形の説明がついてしまうんです!

真相はどうなのか…。

皆さんも、想像を巡らせて、首長竜の首がなぜ長いのか考えてみたら面白いかも?

 

 

私のブログでアクセスが多い第二位は…。

伊能忠敬の地図が正確すぎる理由 」です。

伊能忠敬…。

日本で一番最初に、緻密な測量により日本地図を作った人ですよね!

その地図の精度は、当時明らかに世界トップレベルの物を持っており…。

御前崎から能登半島の先端までの距離の誤差が、わずか16メートルしかありませんでした。

これはもう、驚異の精度としか言えません!

ではなぜ伊能忠敬は、これだけの精度を持った日本地図を作る必要があったのか…。

その理由は、私は二つあると思います。

一つは、これから近代化するであろう日本には、正確な地図が必要となることを読んでいたから。

もう一つは…。

世界で一番最初に、緻密な測量による「地球の大きさ」を知りたいという野望を持っていたから…。

 

伊能忠敬は、その裁量を認められ、千葉県佐原の伊能家に婿養子に入ります。

伊能家は代々佐原を治める銘家でした。

そこで忠敬は、利根川堤防の工事の取りまとめなども行っていますが…。

私は、おそらくこの時、正確な地図がなかったばかりに、その工事の支払いが水増しされたのではないかと思ってい

ます。

当時は豪商などが、大きな公共工事などを仕切っていたのですが、正確な地図がなかったため、追加料金が発生する

のは当たり前でした。

しかも、正確な地図がないがために、競合もかけられません。

全部、豪商の言うがままに工事を任せるしかなかったのです。

これでは、近代化していくうえで必要不可欠なインフラ整備が、思うように進んでいってくれません!

そのことを、伊能忠敬は危惧したんだと思います。

更に…。

伊能忠敬自身も、実はオタクで、暦学や測量に関する学問を、ある程度独学で勉強していたのでは?

そして、そんな学問に興味を持っていた伊能忠敬は、世界で最初に正確な地球の大きさを知ってやろうという「欲

望」を、いつしか持つようになったのではないか…。

そう私には思えるのです。

で、なければ、伊能忠敬が隠居後、あんなに早く暦学や測量をマスター出来るはずがありません!

この二つの理由があったため、伊能忠敬は正確な日本地図を作ることを決意したのだと、私は考えています。

 

伊能は幕府から資金の援助を受けましたが、実は全額は出ず、かなりの資金は「自腹」でまかなっています。

多くの人を雇って、日本を歩き回って日本地図を作りますが、完成間近で他界…。

しかし、残りは弟子たちが作り上げました。

 

そんな苦労の末に出来た、測量による正確な日本地図。

実は、伊能忠敬の没後約30年…。

伊能忠敬の正確な日本地図が、日本の危機を救うことになります。

ペリーの来航です。

ペリー一行が日本に来た理由は、捕鯨の補給基地を日本に作ることが一番の目的でした。

そのため、最初から港を作る目的で、測量船も引き連れてきていたのです。

ペリー一行は、とりあえずは日本に今ある地図を、幕府に要求します。

 

この時に出されたのが、伊能忠敬の地図だったのです。

ペリーたちはあまり期待もせずに、伊能忠敬の地図を見ながら、自分たちの正確な測量を始めところ…。

伊能忠敬の驚異的とも言える、地図の正確さに驚嘆してしまったのです!

先ほどにも説明しましたが、正確な地図は、国の近代化には欠かせない基本となるものです。

その国造りの基本となるものが、極めて正確に出来ている…。

ペリーたちは、これはうかつにこの国を敵に回してはいけない!そう考えたのです。

そして、情報をとるために、幕府には一年の猶予を与えるということにして、自分たちは、一度琉球へと移動したの

です。

 

このとき、もし伊能忠敬の地図がなかったとしたら…。

日本の歴史が変わっていたかもしれません…。

 

 

そして、堂々の私のオタク丸出しブログ第一位のアクセスとなっている記事は…。

申し訳ない。

長くなったので次回に!


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