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<飛丸日記 7月31日> 「これまでの30年」
飛丸日記
(2024/12/25 18:57:24)
<飛丸日記 7月31日> 「これまでの30年」 (2024/9/24 4:55:18)
「これからの30年」を考えるにあたり、「これまでの30年」を振り返る事は役に立つ。
実は今回いろいろあって、伊藤忠での中国駐在時代を思い出す事があった。
その話はさておき、この30年の前半を彩った出来事。
場所は中国広東省東莞市、生産品目では中国1,2のシェアを持つ化学工場である。
試運転から取引を始め、後任の方が買収、私は経営企画の立場で買収に携わった。
その後原料納入を担当する営業となり、二代目社長として2000年に赴任、
香港に本社機能、大陸に工場がある。社員総数97人、36歳の時である。
この話、内容を考えて今まであまりオープンにしてこなかったが
約20年の月日が流れ、また伊藤忠を退社し、そろそろ良いと思うので話します。
中々とんでもない話しです。
中国というのは全く違う価値観で動いている国、人たち。
違う価値観の方々とやって行くにはどうするべきか、
この歳になると無理して付き合う事はないのだが、
そうも行かない場合もある。その時の対応策。
日本人間の価値観の違いというのは大抵コミュニケーション不足だ。
話せばわかる。偶にも金儲け第一主義の人、会社もあるが、自ずと淘汰される。
いや、淘汰されなければならない。
ところが海外は違う。全く違う価値観で動いている。
それを理解し、それに合わせて対応しないと、こちらが生きていけない。
また、何かをやる時には、誰とやるか、何処で、どの分野に取り組むか、
それが非常に大事だと言う事を、身をもって学んだというお話です。
そもそもこの若さで社長として赴任したのには訳がある。
最初に言い渡された部長が固辞して部署異動となりその後退職された。
次に言い渡された課長は、二か月後には転職された。
因みに今や上場企業の社長さん。
新たに来た課長には、「火中の栗を拾うな」とアドバイスを頂いたが、
自分が蒔いた種との思いから、そのまま火に飛び込んだ。
因みにこの方も、現在は社長である。
伊藤忠の凄いのは、私はここで交渉して部長の基本給をもらって赴任した。
但し伊藤忠の賞与は業績連動、業績が悪いので賞与は最低だった。
事業は赤字続き。投資金額は数億円だが、引くに引けない。
問題は赴任当時46億円あった売掛金、なんと中国で掛け売りをしていたのだ。
撤退宣言をしたら、そのまま焦げ付くのが予想され、身動きが取れなかった。
赴任すると、それなりに火は収まっていると思っていたが、全く甘かった。
先ず受けた洗礼が、税関による拘束。赴任直後、中国語はさっぱりわからない、
「この書類にサインしろ、でなければ帰さない」多分そう言われ一日部屋に軟禁された。
夕方、未だにサインしない私の右手を掴んで強引にサインさせようとする。
左手で紙を破いた。あの書類には一体何が書いてあったのだろうか。
その後、中国語がある程度出来るようになった頃に、突然電話が入った。
「お前の会社は、40百万円支払う事になっている。一体何時払うんだ。」
わいろの要求である。
当然、拒否。知らないの一点張り。
その後何度も電話が入り、最後には「今から殺しに行くからな」 の一言。
それでも無視したが、もう一人おられた駐在員の方にも電話が入り、
その方から伊藤忠へ通報され、大騒ぎになった。
流石伊藤忠、中央政府に相談し なんと武装警察が2人、工場内に配置された。
機関銃を持って工場内を警備する。
それは良いのだが、私の大嫌いな犬、シェパードも一緒だ。
1日に一回は工場を回り、生産現場や在庫を確認する事を日課にしていたのだが
それが出来なくなった。
特段の殴り込み(?)もなく、二か月でその体制は終了した。
相手の次の手は、周辺住民による入り口の封鎖だった。
「匂いがあるから出て行け」と住民運動が突然起こる。
村長ともう一人を工場に招き入れ、話し合いをする。
年に一度のお祭りに、会社として寄付金を払う事にして騒動を収めた。
別れ際に、もう一人がこっそりささやく。
「俺があの時電話をしたものだ。素直に払わないからこういうことになる。」
後で調べると、付近の黒社会を牛耳る親玉だった。
更なる攻撃は、「不正輸入をしている」という嫌疑による輸入の禁止措置。
工場では固体原料を主に日本から、液体原料は主にヨーロッパから輸入している。
日本からの輸出は止めてもらったが、船上にある数千トンの貨物は止められない。
止む無く香港にタンクを幾つも借りて、耐えしのいだ。
貨物はどんどん到着し、タンク代が嵩んで行く。
積み重なるコストをグラフにして唸る毎日。
工場の生産が止まったことで、中国の製品市況は高騰した。
3か月後、輸入許可がおり、なんとか解決した。30千万円以上の損である。
生産が再開され、そして市況は急落した。
攻撃は続く。次に起きたのは、税関による査察。
突然署員が数人訪れて、会社の書類を幾つもの段ボール箱に入れて押収された。
暫く仕事が出来なくなる。
まもなく収束、反撃に出る。
社内では「自殺調査」と言われたのだが
半年に一回、会社の書類をこちらから税関に提出する事にしたのだ。
「文句があるなら、調べろ!」
紙面の都合でここまでにしておくが、勿論これはほんの一部の話だ。
自慢話が一つ。
離任最後の決算では、数千万円の黒字を確保できた。
採算が良い新規商品の拡販を加速させ、事業に目途を付けて離任した。
帰国後、プロジェクト案件を担当。ブルネイ・メタノール・プロジェクト等を推進した。
3年後、ブルネイ事業が建設段階に入ると、この中国事業を担当する課長となった。
残念ながら事業は不安定のまま。6代目社長は偶々同期。二人で話し合い、
「次世代に負の遺産を残さない。」
この信念の元、伊藤忠としてこの事業から撤退する事にした。
同期が探して来てくれたイタリアの会社と事業売却交渉を行う。
その時の思い出深いやり取り。
「お前はもっと俺を敬え。おれは大会社の社長なんだ。」
「俺は伊藤忠を代表してここにいる。まして100人の社員の未来が掛かっている。」
事業を継続し、売掛金は先に伊藤忠がもらう仕組みにして焦げ付きなく回収できたのだが
交渉の土壇場でとんでもない条件を提示された。
なんとその会社は愛する我が社を閉鎖して、上海近郊に大工場を建て、生産を集中するという。
指名された社員を残して後はこちらで解雇せよという要求だった。
もはや引くに引けないところまで来ていた。
解雇する社員の再就職先を可能な限り探し、この事業から撤退した。
2006年9月クローズ、14年間に亘って携わり、七転八倒した悲しい思い出である。
茨の道を突き進む、
例え経済的に損をしようとも、自分が正しいと思う道を行く。
但し、初志貫徹には拘らない。
間違っていると思ったら、臨機応変に対応する。
まあ、これからの30年も、この路線だな。
話しはまだ20年近く残っているが、実はこれは序の口だった。
この一か月後。この気丈な私(?)が自殺寸前にまで追い込まれた事件に巻き込まれた。
エタノール不正会計事件。約41億円、当時伊藤忠最高額の不正処理を見つけた。
これはまだ舞台裏を話すのは時期尚早なので、また何時か。
何れにせよ、この中国事業の失敗を繰り返さない様にこれからも物事を進めて行こう。
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<飛丸日記 7月31日> 「これまでの30年」 (2024/9/24 4:55:18)
「これからの30年」を考えるにあたり、「これまでの30年」を振り返る事は役に立つ。
実は今回いろいろあって、伊藤忠での中国駐在時代を思い出す事があった。
その話はさておき、この30年の前半を彩った出来事。
場所は中国広東省東莞市、生産品目では中国1,2のシェアを持つ化学工場である。
試運転から取引を始め、後任の方が買収、私は経営企画の立場で買収に携わった。
その後原料納入を担当する営業となり、二代目社長として2000年に赴任、
香港に本社機能、大陸に工場がある。社員総数97人、36歳の時である。
この話、内容を考えて今まであまりオープンにしてこなかったが
約20年の月日が流れ、また伊藤忠を退社し、そろそろ良いと思うので話します。
中々とんでもない話しです。
中国というのは全く違う価値観で動いている国、人たち。
違う価値観の方々とやって行くにはどうするべきか、
この歳になると無理して付き合う事はないのだが、
そうも行かない場合もある。その時の対応策。
日本人間の価値観の違いというのは大抵コミュニケーション不足だ。
話せばわかる。偶にも金儲け第一主義の人、会社もあるが、自ずと淘汰される。
いや、淘汰されなければならない。
ところが海外は違う。全く違う価値観で動いている。
それを理解し、それに合わせて対応しないと、こちらが生きていけない。
また、何かをやる時には、誰とやるか、何処で、どの分野に取り組むか、
それが非常に大事だと言う事を、身をもって学んだというお話です。
そもそもこの若さで社長として赴任したのには訳がある。
最初に言い渡された部長が固辞して部署異動となりその後退職された。
次に言い渡された課長は、二か月後には転職された。
因みに今や上場企業の社長さん。
新たに来た課長には、「火中の栗を拾うな」とアドバイスを頂いたが、
自分が蒔いた種との思いから、そのまま火に飛び込んだ。
因みにこの方も、現在は社長である。
伊藤忠の凄いのは、私はここで交渉して部長の基本給をもらって赴任した。
但し伊藤忠の賞与は業績連動、業績が悪いので賞与は最低だった。
事業は赤字続き。投資金額は数億円だが、引くに引けない。
問題は赴任当時46億円あった売掛金、なんと中国で掛け売りをしていたのだ。
撤退宣言をしたら、そのまま焦げ付くのが予想され、身動きが取れなかった。
赴任すると、それなりに火は収まっていると思っていたが、全く甘かった。
先ず受けた洗礼が、税関による拘束。赴任直後、中国語はさっぱりわからない、
「この書類にサインしろ、でなければ帰さない」多分そう言われ一日部屋に軟禁された。
夕方、未だにサインしない私の右手を掴んで強引にサインさせようとする。
左手で紙を破いた。あの書類には一体何が書いてあったのだろうか。
その後、中国語がある程度出来るようになった頃に、突然電話が入った。
「お前の会社は、40百万円支払う事になっている。一体何時払うんだ。」
わいろの要求である。
当然、拒否。知らないの一点張り。
その後何度も電話が入り、最後には「今から殺しに行くからな」 の一言。
それでも無視したが、もう一人おられた駐在員の方にも電話が入り、
その方から伊藤忠へ通報され、大騒ぎになった。
流石伊藤忠、中央政府に相談し なんと武装警察が2人、工場内に配置された。
機関銃を持って工場内を警備する。
それは良いのだが、私の大嫌いな犬、シェパードも一緒だ。
1日に一回は工場を回り、生産現場や在庫を確認する事を日課にしていたのだが
それが出来なくなった。
特段の殴り込み(?)もなく、二か月でその体制は終了した。
相手の次の手は、周辺住民による入り口の封鎖だった。
「匂いがあるから出て行け」と住民運動が突然起こる。
村長ともう一人を工場に招き入れ、話し合いをする。
年に一度のお祭りに、会社として寄付金を払う事にして騒動を収めた。
別れ際に、もう一人がこっそりささやく。
「俺があの時電話をしたものだ。素直に払わないからこういうことになる。」
後で調べると、付近の黒社会を牛耳る親玉だった。
更なる攻撃は、「不正輸入をしている」という嫌疑による輸入の禁止措置。
工場では固体原料を主に日本から、液体原料は主にヨーロッパから輸入している。
日本からの輸出は止めてもらったが、船上にある数千トンの貨物は止められない。
止む無く香港にタンクを幾つも借りて、耐えしのいだ。
貨物はどんどん到着し、タンク代が嵩んで行く。
積み重なるコストをグラフにして唸る毎日。
工場の生産が止まったことで、中国の製品市況は高騰した。
3か月後、輸入許可がおり、なんとか解決した。30千万円以上の損である。
生産が再開され、そして市況は急落した。
攻撃は続く。次に起きたのは、税関による査察。
突然署員が数人訪れて、会社の書類を幾つもの段ボール箱に入れて押収された。
暫く仕事が出来なくなる。
まもなく収束、反撃に出る。
社内では「自殺調査」と言われたのだが
半年に一回、会社の書類をこちらから税関に提出する事にしたのだ。
「文句があるなら、調べろ!」
紙面の都合でここまでにしておくが、勿論これはほんの一部の話だ。
自慢話が一つ。
離任最後の決算では、数千万円の黒字を確保できた。
採算が良い新規商品の拡販を加速させ、事業に目途を付けて離任した。
帰国後、プロジェクト案件を担当。ブルネイ・メタノール・プロジェクト等を推進した。
3年後、ブルネイ事業が建設段階に入ると、この中国事業を担当する課長となった。
残念ながら事業は不安定のまま。6代目社長は偶々同期。二人で話し合い、
「次世代に負の遺産を残さない。」
この信念の元、伊藤忠としてこの事業から撤退する事にした。
同期が探して来てくれたイタリアの会社と事業売却交渉を行う。
その時の思い出深いやり取り。
「お前はもっと俺を敬え。おれは大会社の社長なんだ。」
「俺は伊藤忠を代表してここにいる。まして100人の社員の未来が掛かっている。」
事業を継続し、売掛金は先に伊藤忠がもらう仕組みにして焦げ付きなく回収できたのだが
交渉の土壇場でとんでもない条件を提示された。
なんとその会社は愛する我が社を閉鎖して、上海近郊に大工場を建て、生産を集中するという。
指名された社員を残して後はこちらで解雇せよという要求だった。
もはや引くに引けないところまで来ていた。
解雇する社員の再就職先を可能な限り探し、この事業から撤退した。
2006年9月クローズ、14年間に亘って携わり、七転八倒した悲しい思い出である。
茨の道を突き進む、
例え経済的に損をしようとも、自分が正しいと思う道を行く。
但し、初志貫徹には拘らない。
間違っていると思ったら、臨機応変に対応する。
まあ、これからの30年も、この路線だな。
話しはまだ20年近く残っているが、実はこれは序の口だった。
この一か月後。この気丈な私(?)が自殺寸前にまで追い込まれた事件に巻き込まれた。
エタノール不正会計事件。約41億円、当時伊藤忠最高額の不正処理を見つけた。
これはまだ舞台裏を話すのは時期尚早なので、また何時か。
何れにせよ、この中国事業の失敗を繰り返さない様にこれからも物事を進めて行こう。
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