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ヨーロッパツアー2024 Part3(スイス編②)
falsadaフライトブログ
(2024/12/26 8:58:54)
ヨーロッパツアー2024 Part3(スイス編②) (2024/11/14 12:52:07)
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ヨーロッパツアー2024 Part3(スイス編②) (2024/11/14 12:52:07)
ここまでのあらすじ
ツアー5日目にして初のレストデーを過ごした一行。レストデーと言いつつ観光しまくっていたため恐らく休めてはいない。レストデーとは何なのか。ツアーはあと2日、皆の体力はいかに……!
6日目(2024/8/15)
またしても上の文章は適当です。前回にも増して適当です。まあ、それは置いておいて。この日は怒涛のスケジュールでした。私とSS木家は、朝からユングフラウ鉄道に乗ってユングフラウヨッホ観光へと赴きました。朝だとチケットが安かったので……。5時台に出発したため、朝焼けが見えました。鉄道の長いトンネルを抜けると雪国でした。唐突に川端康成の『雪国』をオマージュしてみましたが、特に意味はありません。高い場所では気温が低いのだということを身をもって実感しました。その日は一番の見どころだと思われるアイガーが見える展望台が閉まっていて、なんだか残念でした。氷河はこの2日間でたくさん見られました。5日目のマッターホルン観光と比べると、観光地感が強く規制がしっかりしていて人も多かったので、個人的にはマッターホルン観光の方が面白かったです。山を下りて、家族へのお土産を買いたい私とSS木さんの誕生日プレゼントを買いたいRNちゃんは土産屋へ。2人で色々見て回りましたが、最終的に父親へのプレゼントが被る事態に。奇しくも父親たちがお揃いのロックグラスを持つ事態となってしまいました。
こうして3000メートル級の山から下りたその足で、この日のエリアInterlakenへ直行。帰りの時間があって降りてきていたMZHちゃんとランディングで合流し、駅まで送り届けてテイクオフへ。途中フォローが吹いてきたとDMENから連絡があったが、とりあえず上がってみることに。車で上がれるところまで上がり、そこからはしばし歩く。貧弱な私はハーネスを背負って歩くだけで結構疲れた。DMENは私の機体を台車で運んでくれた上、組むのも手伝ってくれた。ありがたすぎた……。そうして準備が出来た時には、良い感じに前から吹いていた。風が変わらないうちにさっさと出る。上がりはしなかったが、出て右側の大きな湖がキレイで、その湖の上を飛ぶことが出来たのがなんだか楽しかった。MZHちゃんは湖がキレイ過ぎて涙が出そうになったと言っていた。興味がある人はぜひ行ってみてください。
ランディングは、これまでのエリアよりは狭いものの十分に広いものでした。テイクオフからは見えないので、出てしばらくは真剣に探しました。ちゃんと見つかったので安心して湖まで飛んでいけました、良かった。降りるとY山さんとTIGちゃんはリフライトへ行く姿勢を見せておりました。「やる気あるなあ」と思って話を聞いていると、Y山さんがInsta360の録画ボタンを押し忘れるという痛恨のミスをしてしまったようで。Interlakenはヨーロッパツアー最大の撮りどころといっても過言ではないエリアだったため、「それはもう1本行かなきゃだな……」と納得。結果、湖に近い別のテイクオフから飛んだらしく、恐らくより長く湖を映せたと思われます。
Interlakenではタンデムがたくさん行われていて、我々がランディングで普段の板敷のようにビール片手にぐだぐだしている間にも飛んできていました。Y路さんはこの日やたらと疲れていて、帰りの運転が完遂できないと考えたため、SS木家の車に乗り込んでいた私が代打としてそちらの車に乗せられました。ところが、帰路の途中で突発的にY山さんのスマホから流れ出した“JUDY AND MARY”にY路さん大興奮。そして覚醒。そのままイントロドンをしながら最後まで運転し切りました。私はひたすら出題係をしていました。この1時間ほどで、今までの人生で摂取してきた量を超えるジュディマリを摂取したと思います。次の日にはドイツに戻るドライブが控えていたため、明日はミスチルでやろうと約束が交わされていました。
この日の夕飯は、前回のネタバレ通りパスタ。あとは残りのチーズフォンデュ。TIGシェフが辛いトマトパスタを、私がマイルド過ぎるトマトパスタを作り、最後に2人で大量のパルミジャーノレッジャーノを使った生ハムのせカルボナーラを作りました。贅沢な味だった……。
7日目(2024/8/16)
ヨーロッパツアー(ほぼ)最終日。この日はドイツに戻らなければいけなかったので、ドイツに近い方面のエリア Stanserhorn へ。テイクオフの標高はなんと脅威の1900メートル。ランディングとの高度差は1400メートル。ドイツの Tegelberg で「板敷の3倍だ!」などとはしゃいでいたが、上には上がいた。ここまでくると「4倍以上…5倍近い…笑」という感じでなんだか笑えてきました。機体とハーネスはゴンドラの出発地まで運んでもらい、人は列車でそこまで登りました。そこからゴンドラに機体を載せるのですが、本当に、文字通り、「載せる」だけでした。なんの固定もせず、載せていました。ハラハラしながら機体と共に山に上がると、辺りが白い。山が高すぎて雲が同高度、なんなら下にありました。下が見えないと飛べないな~と話しながら機体を組み始めたのですが、周りは観光客でいっぱいでした。
そんなこんなで機体は組みあがり、雲が晴れて多少下が見えるタイミングを見計らって出ていきました。ランディングは結構遠く、山を回り込まないと見えない場所にあったので、Y路さんがランディングの座標を入れた6030を貸してくれました。テイクオフすると、前に出ていっただけなのに雲に入りました。危険な雲では無いので少ししたら抜けましたが、本当に全てが白で怖かった……。ひたすらバリオを見ていました。それからは山沿いをウロウロして、弱めのサーマルに当たって回してをちょっとだけ繰り返し、ランディング探しに向かいました。これが割と難しかったです。目印としてラウンドアバウトが近くにあったのですが、2つ見つけてしまい、2つを見比べながら考えることになりました。最終的には、無事にランディングに降りられたので良かったです。
無事にみんな降りてきて、ドイツへと向かう準備が始まりました。車は5人乗り1台(荷物でパンパン)に対して人が6人いたため、2人は電車でドイツまで向かうことになりました。SS木さんとMNRさんが電車、Y路さん、Y山さん、TIGちゃん、私が車に乗ることに決定。Dmenに感謝と別れの挨拶をし、電車組を見送ってドイツへのドライブが開始しました。
とりあえず腹ごしらえでもしようと、恐らく世界で一番高いであろうマクドナルドへ赴きました。これにより、運転しながら食べづらいハンバーガーを買ってしまったY路さんの代わりに、助手席のY山さんがハンドルを操作する不思議な絵面が生まれました。右ハンドルの視点で操作できるから意外とやりやすいそうです。こうして一段落ついた後、昨日の宣言通りにミスチルでイントロドンが行われました。TIGちゃんもミスチルファンなので、また私が出題係をしました。Y路さんは古めの、TIGちゃんは新しめの曲を得意とし、なかなか面白い争いが起こっていましたが、私が飽きたため終了。全員参加で昭和ヒッツでのイントロドンが新たに始まりました。全く知らない演歌とかが出てきて笑いました。その後平成ヒッツにも足を延ばし、結局4~5時間くらいずっとイントロドンをしてドイツに着きました。ちなみに、道中のアウトバーンではY路さんが189キロ、1週間前から楽しみにしていたY山さんが218キロを記録しました。200キロを体験した後の120キロはめちゃくちゃ遅かったです。人間の慣れって凄い。
こうして宿に着き、電車組を迎えに行って、最後の夜が過ごされました。みんなはワインを飲みながらチーズやクラッカーを食べていました。私はオレンジジュースを飲んでいました。今回のヨーロッパツアーについて振り返り語らい、明日の帰国のための準備をして就寝しました。
エピローグ(2024/8/17)
Y路さん以外は帰国の日。私だけ少し遅い飛行機だったので、全くの別行動をすることになってしまいました。行きは日本から2人だったにも関わらず失敗を生み出していた自分が、帰りはドイツから1人で飛行機に乗らなくてはならないという不安を胸に、空港へと足を踏み入れました。まあいくつか怪しい場面はあった気がしますが、なんとか乗れました。先に出立した4人はラウンジで仲良くビールを飲んでいたので、その優雅さが羨ましかったです。機内では「Not spicy one please.」と言うことに成功して機内食にありつけ、乗り継ぎもなんとかなり、無事に日本に帰ってきました。そして、空港から自宅の最寄り駅まではバスで一本だったのでここまでは良かったのですが……。時間が遅かったため、駅からバスを使っても15分ほど歩かなければ自宅に帰れない事態に陥り、重いハーネスと荷物を背負って歩くこととなりました。正直、ここ最近で一番つらかったです。タクシー使えば良かった。しかも、次の日の午前中にテストがありました。ツアー中は何もできていなかったので、次の日の朝7時には学校に行きました。大変だった~!
そんなこんな、色々なことがありましたが、とても良い経験になったツアーだったなと思います。ヨーロッパに行くのも、1人で飛行機に乗るのも、海外で運転するのも、海外で飛ぶのも、何もかもが初めてのことで、自分の世界が広がったような気がします。楽しかったのは間違いないのですが、「楽しい」という言葉で完結させられるものでも無いなあと感じていて、現時点ではやっぱり「良い経験になったなあ」が一番しっくり来るように思います。まあそんなに考えてはいないんですけど。
ツアー中は本当に皆さんに助けられて過ごしました。飛行機も、eSIMも、英語も etc… 慣れない事ばかりでしたが、社会人さんたちに助けてもらったおかげでツアーを楽しめました。もしも色々不安で海外ツアーを迷うなら、安心してください。多分みんな助けてくれると思います。と、誰かに届くことがあるのか分からないメッセージを申し訳程度に残して、そろそろ終わろうと思います。
読んでくれた皆様、こんな長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。そして更新が滞り、気づけばツアーが終わって3か月近くが経過していました。鮮明な記憶を残しておこうと思っていたのですが、それは叶わぬ思いとなってしまいました。まあそんなことは置いておいて、このブログでヨーロッパツアーの雰囲気が伝えられていれば良いなと思います。お金はかかりますが、ぜひ行ってみてください!それでは。
ツアー5日目にして初のレストデーを過ごした一行。レストデーと言いつつ観光しまくっていたため恐らく休めてはいない。レストデーとは何なのか。ツアーはあと2日、皆の体力はいかに……!
6日目(2024/8/15)
またしても上の文章は適当です。前回にも増して適当です。まあ、それは置いておいて。この日は怒涛のスケジュールでした。私とSS木家は、朝からユングフラウ鉄道に乗ってユングフラウヨッホ観光へと赴きました。朝だとチケットが安かったので……。5時台に出発したため、朝焼けが見えました。鉄道の長いトンネルを抜けると雪国でした。唐突に川端康成の『雪国』をオマージュしてみましたが、特に意味はありません。高い場所では気温が低いのだということを身をもって実感しました。その日は一番の見どころだと思われるアイガーが見える展望台が閉まっていて、なんだか残念でした。氷河はこの2日間でたくさん見られました。5日目のマッターホルン観光と比べると、観光地感が強く規制がしっかりしていて人も多かったので、個人的にはマッターホルン観光の方が面白かったです。山を下りて、家族へのお土産を買いたい私とSS木さんの誕生日プレゼントを買いたいRNちゃんは土産屋へ。2人で色々見て回りましたが、最終的に父親へのプレゼントが被る事態に。奇しくも父親たちがお揃いのロックグラスを持つ事態となってしまいました。
こうして3000メートル級の山から下りたその足で、この日のエリアInterlakenへ直行。帰りの時間があって降りてきていたMZHちゃんとランディングで合流し、駅まで送り届けてテイクオフへ。途中フォローが吹いてきたとDMENから連絡があったが、とりあえず上がってみることに。車で上がれるところまで上がり、そこからはしばし歩く。貧弱な私はハーネスを背負って歩くだけで結構疲れた。DMENは私の機体を台車で運んでくれた上、組むのも手伝ってくれた。ありがたすぎた……。そうして準備が出来た時には、良い感じに前から吹いていた。風が変わらないうちにさっさと出る。上がりはしなかったが、出て右側の大きな湖がキレイで、その湖の上を飛ぶことが出来たのがなんだか楽しかった。MZHちゃんは湖がキレイ過ぎて涙が出そうになったと言っていた。興味がある人はぜひ行ってみてください。
ランディングは、これまでのエリアよりは狭いものの十分に広いものでした。テイクオフからは見えないので、出てしばらくは真剣に探しました。ちゃんと見つかったので安心して湖まで飛んでいけました、良かった。降りるとY山さんとTIGちゃんはリフライトへ行く姿勢を見せておりました。「やる気あるなあ」と思って話を聞いていると、Y山さんがInsta360の録画ボタンを押し忘れるという痛恨のミスをしてしまったようで。Interlakenはヨーロッパツアー最大の撮りどころといっても過言ではないエリアだったため、「それはもう1本行かなきゃだな……」と納得。結果、湖に近い別のテイクオフから飛んだらしく、恐らくより長く湖を映せたと思われます。
Interlakenではタンデムがたくさん行われていて、我々がランディングで普段の板敷のようにビール片手にぐだぐだしている間にも飛んできていました。Y路さんはこの日やたらと疲れていて、帰りの運転が完遂できないと考えたため、SS木家の車に乗り込んでいた私が代打としてそちらの車に乗せられました。ところが、帰路の途中で突発的にY山さんのスマホから流れ出した“JUDY AND MARY”にY路さん大興奮。そして覚醒。そのままイントロドンをしながら最後まで運転し切りました。私はひたすら出題係をしていました。この1時間ほどで、今までの人生で摂取してきた量を超えるジュディマリを摂取したと思います。次の日にはドイツに戻るドライブが控えていたため、明日はミスチルでやろうと約束が交わされていました。
この日の夕飯は、前回のネタバレ通りパスタ。あとは残りのチーズフォンデュ。TIGシェフが辛いトマトパスタを、私がマイルド過ぎるトマトパスタを作り、最後に2人で大量のパルミジャーノレッジャーノを使った生ハムのせカルボナーラを作りました。贅沢な味だった……。
7日目(2024/8/16)
ヨーロッパツアー(ほぼ)最終日。この日はドイツに戻らなければいけなかったので、ドイツに近い方面のエリア Stanserhorn へ。テイクオフの標高はなんと脅威の1900メートル。ランディングとの高度差は1400メートル。ドイツの Tegelberg で「板敷の3倍だ!」などとはしゃいでいたが、上には上がいた。ここまでくると「4倍以上…5倍近い…笑」という感じでなんだか笑えてきました。機体とハーネスはゴンドラの出発地まで運んでもらい、人は列車でそこまで登りました。そこからゴンドラに機体を載せるのですが、本当に、文字通り、「載せる」だけでした。なんの固定もせず、載せていました。ハラハラしながら機体と共に山に上がると、辺りが白い。山が高すぎて雲が同高度、なんなら下にありました。下が見えないと飛べないな~と話しながら機体を組み始めたのですが、周りは観光客でいっぱいでした。
そんなこんなで機体は組みあがり、雲が晴れて多少下が見えるタイミングを見計らって出ていきました。ランディングは結構遠く、山を回り込まないと見えない場所にあったので、Y路さんがランディングの座標を入れた6030を貸してくれました。テイクオフすると、前に出ていっただけなのに雲に入りました。危険な雲では無いので少ししたら抜けましたが、本当に全てが白で怖かった……。ひたすらバリオを見ていました。それからは山沿いをウロウロして、弱めのサーマルに当たって回してをちょっとだけ繰り返し、ランディング探しに向かいました。これが割と難しかったです。目印としてラウンドアバウトが近くにあったのですが、2つ見つけてしまい、2つを見比べながら考えることになりました。最終的には、無事にランディングに降りられたので良かったです。
無事にみんな降りてきて、ドイツへと向かう準備が始まりました。車は5人乗り1台(荷物でパンパン)に対して人が6人いたため、2人は電車でドイツまで向かうことになりました。SS木さんとMNRさんが電車、Y路さん、Y山さん、TIGちゃん、私が車に乗ることに決定。Dmenに感謝と別れの挨拶をし、電車組を見送ってドイツへのドライブが開始しました。
とりあえず腹ごしらえでもしようと、恐らく世界で一番高いであろうマクドナルドへ赴きました。これにより、運転しながら食べづらいハンバーガーを買ってしまったY路さんの代わりに、助手席のY山さんがハンドルを操作する不思議な絵面が生まれました。右ハンドルの視点で操作できるから意外とやりやすいそうです。こうして一段落ついた後、昨日の宣言通りにミスチルでイントロドンが行われました。TIGちゃんもミスチルファンなので、また私が出題係をしました。Y路さんは古めの、TIGちゃんは新しめの曲を得意とし、なかなか面白い争いが起こっていましたが、私が飽きたため終了。全員参加で昭和ヒッツでのイントロドンが新たに始まりました。全く知らない演歌とかが出てきて笑いました。その後平成ヒッツにも足を延ばし、結局4~5時間くらいずっとイントロドンをしてドイツに着きました。ちなみに、道中のアウトバーンではY路さんが189キロ、1週間前から楽しみにしていたY山さんが218キロを記録しました。200キロを体験した後の120キロはめちゃくちゃ遅かったです。人間の慣れって凄い。
こうして宿に着き、電車組を迎えに行って、最後の夜が過ごされました。みんなはワインを飲みながらチーズやクラッカーを食べていました。私はオレンジジュースを飲んでいました。今回のヨーロッパツアーについて振り返り語らい、明日の帰国のための準備をして就寝しました。
エピローグ(2024/8/17)
Y路さん以外は帰国の日。私だけ少し遅い飛行機だったので、全くの別行動をすることになってしまいました。行きは日本から2人だったにも関わらず失敗を生み出していた自分が、帰りはドイツから1人で飛行機に乗らなくてはならないという不安を胸に、空港へと足を踏み入れました。まあいくつか怪しい場面はあった気がしますが、なんとか乗れました。先に出立した4人はラウンジで仲良くビールを飲んでいたので、その優雅さが羨ましかったです。機内では「Not spicy one please.」と言うことに成功して機内食にありつけ、乗り継ぎもなんとかなり、無事に日本に帰ってきました。そして、空港から自宅の最寄り駅まではバスで一本だったのでここまでは良かったのですが……。時間が遅かったため、駅からバスを使っても15分ほど歩かなければ自宅に帰れない事態に陥り、重いハーネスと荷物を背負って歩くこととなりました。正直、ここ最近で一番つらかったです。タクシー使えば良かった。しかも、次の日の午前中にテストがありました。ツアー中は何もできていなかったので、次の日の朝7時には学校に行きました。大変だった~!
そんなこんな、色々なことがありましたが、とても良い経験になったツアーだったなと思います。ヨーロッパに行くのも、1人で飛行機に乗るのも、海外で運転するのも、海外で飛ぶのも、何もかもが初めてのことで、自分の世界が広がったような気がします。楽しかったのは間違いないのですが、「楽しい」という言葉で完結させられるものでも無いなあと感じていて、現時点ではやっぱり「良い経験になったなあ」が一番しっくり来るように思います。まあそんなに考えてはいないんですけど。
ツアー中は本当に皆さんに助けられて過ごしました。飛行機も、eSIMも、英語も etc… 慣れない事ばかりでしたが、社会人さんたちに助けてもらったおかげでツアーを楽しめました。もしも色々不安で海外ツアーを迷うなら、安心してください。多分みんな助けてくれると思います。と、誰かに届くことがあるのか分からないメッセージを申し訳程度に残して、そろそろ終わろうと思います。
読んでくれた皆様、こんな長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。そして更新が滞り、気づけばツアーが終わって3か月近くが経過していました。鮮明な記憶を残しておこうと思っていたのですが、それは叶わぬ思いとなってしまいました。まあそんなことは置いておいて、このブログでヨーロッパツアーの雰囲気が伝えられていれば良いなと思います。お金はかかりますが、ぜひ行ってみてください!それでは。
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