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link 呉本圭樹blog 呉本圭樹blog (2025/1/10 10:39:10)

feed 感謝だけでは足りない (2016/3/2 21:34:31)

救助に来てくれた方、緊急処置をしてくれたドクターヘリのドクター、緊急手術を行ってくれた先生方。
命を救っていただき本当にありがとうございました。

そして本当に日本は勿論世界中の友人達からのメッセージ、そしてわざわざお見舞いに来てくれた方々。
ありがとうございました。

今、私は元気です。

状況としては、首から下はかすり傷以外の外傷はほとんどありません。しかし、顔面の骨折、そして、脳挫傷
左目のダメージ、そして鼻がなくなってしまうくらいのダメージを受けました。その為、緊急入院してから10日間
眠らされた状態でした。先生達の的確な処置により、機能は低下したものの、鼻も目もつぶれることがなかった、
そして生きていたことが奇跡のような状態にもかかわらず、更に体のダメージがないという幸運に恵まれました。
もう、宝くじが当たることがないですね。

さて、では何があったのか、これは聞いた状況を簡単にまとめたものになります。
なぜなら、その日、白馬でスキーパラ(非常に小さなパラグライダーで、飛ぶことを目的に作られていない新しいスポーツ)
をしに行く予定が、天候が悪く、それなら朝霧高原でトレーニングをして山を登ってそのグライダーで飛ぼうと向かったところは
覚えていますが、それ以降の記憶がありません。
次にある記憶は、目が覚めて、知らない天井が見えたところだったのですから。

その日、私は朝霧高原で、山を登ろうと、早朝に出かけていたはずです、そして、数本飛んでは登るを繰り返して、実家に帰る
予定だったはずです。そしてその予定通り、山を登り、飛んだのだのです。しかし、グライダーが小さすぎるものでした。
それでも普通に飛べばよかったんでしょうが、回転をしようとしたようです。そして、高度がないまま滑空比のないグライダーは
上昇しきれずに山へと突っ込んだということです。
簡単にまとめるとそういうことになります。
それから多くの方々が救助に来てくれ、重い私をかわるがわる山から下ろしてくれたそうです。

自分の判断ミスとおごりが今回の事故の原因です。
あとはあせりでしょうか。

X-ピレネーの参加が決まったところであったのににもかかわらず、自分の準備が思いのほか上手く言っていなかったことに
焦りがあったのもたしかです。

どんな条件でも飛べなくてはいけない技術力、最終的に飛ぶか飛ばないかの判断力、そして体力、自分に関しての能力、
そして、遠征費や滞在費、情報収集費などなど、必要なものはいくらでもあるのに時間がないことに圧迫感を感じていたんでしょう。
あせっても仕方ないのに、今ならそう思えますが。

とにかく、私が目を覚ましたのはそれから10日もしてからです。
目を覚ました時にはなぜ自分がここで寝ているのか、頭もぼぅっとしていて、混乱もして、最初に話したドクターには「ここは日本ですか?」
と聞いていました。

それからは数日様々な不思議な体験をしたつらい数日でした。
自分が死んでしまうのかもしれないと思ったのはその日でした。(実際にはその危機はとっくに過ぎていたらしいのですが)
強い薬で症状を抑えていたので、幻覚を見ることもしょっちゅうで、ただし、これは幻覚だな、とわかるもの、
今思うと幻覚だったのか、本当だったのかわからないこともありましたし、寝かされていた日数が長かったために筋肉は
20%以上も落ちてしまい、目が覚めてからの3日間は、寝ることもできず、歩くこともできず、痛さとつらさで、気が滅入りました。

この時の話は、本にできるんじゃないかというくらいの体験でした。
※その話はまた機会があれば・・・・。

目を覚ますと、しばらくして左目がほとんど見えていないことに気がつきました。
鼻も詰まります。 パニックにはなりませんでしたが、混乱します。
そして自分が事故を起こしたことにもう一度たどり着き、機能が低下しただけでなくなっていないことに感謝するということの
繰り返しでした。
正直にいうと、目が覚めた日は本当に辛かった。
タイムパラドクスがおかしく、時間の整理がつかない。
幻覚だとわかるものの、見えないものがみえたりする。
おまけに辛い。(身体も精神も)このまま死んでしまうのではないか、そのほうが楽かもというところまで自分が少しでも
思ってしまったことが自分でも驚きでした。
周りではなくなっていくお爺さんなんかもいますし、とにかく、感覚が妙に冴えていたり、するので臭いも会話もなんでも認識はできてしまうのに、時間だけがゆっくり流れていくのです。私にとってこれは本当に辛い時間でした。

あぁ、この話をしはじめるとつきなくなってしまうので、この辺で。
とにかく緊急病棟から出たいというのがそれからの目標でした。意識を取り戻した次の日には身体を起こすことに成功、というか、普段普通にやっている普通の動作がここまでしんどいことだとは思っていませんでした。
3日目には車椅子で移動して少し歩くこともでき、4日目には歩行器で歩くことができました。
当初からの経過を見ている担当医も驚く回復力ではあったようですが自分としては毎日動いていたからだが思うように動かない
もどかしさで一杯だったのです。
5日目にようやく一般病棟に移され、その頃から家族や、自分のチームの人間がお見舞いに来てくれ、おかげで少しだけ救われた気分でした。

さて、現在、脳の損傷を検査して、その後、顔の手術をすることになっています。
パラグライダーの復帰には半年はかかりそうですが、身体を作ったり、知識をためたりといったスキルアップの時間は
とれます。必ず復活してきます。そして、その様子を今後のブログではお伝えしていきます。

今回の続きは次pブログで。




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